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ラセン  作者: 天咲賢治
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竹崎真一

その日もハローワークには、職を求める人々でいっぱいであった。


やっと求人情報を見れるパソコンが空いたのは、20分もしてからであった。


この場所にいる人達には笑顔がなかった。


皆、明日への生活に対して、不安を通り越えた恐怖心で、怯えているように誠には映った。


「僕だけでは無かった。」

と誠は安堵感を得た。


職員との相談は一時間待ちと表示されていた。


誠は求人の企業情報をプリントして、時間調整のため表に出た。


全く風が無い、晴天の空であった。


春の陽光が心地好く全ての物を照らしていた。


陽光をさえぎる場所の隅々までにも、それは明かりとしての恩恵を受けていた。


誠は近くの公園のベンチに座り、求人内容を確認していた。


誠は管理職募集の企業を探していた。


それもある程度は名の通った所を選んだ。


真由美が納得する企業じゃなくてはならなかったからだ。


突然そこへ、強い突風が起こった。


公園のブランコが、それに押されるようにギコッ、ギコッと音を立てて揺れた。


誠の手からプリントした、求人の紙がすり抜けて行った。


それはゆっくりと舞い上がり、ゆっくりと落ちて行った。


誠はそれを取るために、小走りに落下する方面へ走った。


紙はスーッとある人物の手に収まった。


その人物は、駆け寄ってくる誠に笑みを返した。


風が治まった。


ギコー!

という音を出したブランコは、徐々に振幅を弱めて行き、そして何事も無かったかのように、音を消した。


その人の笑みは春風のように、爽やかであった。


誠よりも、十五くらい年上の、五十歳位の初老の男であった。


その男は、顔に満面の笑みを浮かべ誠を見た。


誠と目が合った。


誠はその笑顔のさわやかさに魅了された。


それと、離れた場所から男を見ると、とても大柄な人だと思った。


誠は丁重に礼を述べた。


「どうもすみません。」


「いえいえ、飛んで行かなくて良かったですね。」


誠は男の近くまでくる途中、何度も深々と頭を下げた。


男も帽子を取り、頭を下げて誠に挨拶を返した。


「はい、どうぞ。」

と笑顔で、紙を誠に渡した。


先程は大柄だと思えたこの男は、誠よりかなり身長は低く、中年にしては痩せていた。


誠自身が背が高いので、一般の男性の身長ではある。


帽子を取って会釈した頭は、髪の毛が頭の真ん中だけ無かった。


痩せてはいるが、腕は太く、顔と一緒に日焼けしていた。


「私もまだ、運動神経はありますね。」


と、誠に人差し指と親指で丸を作り、豪快に笑った。


誠はその豪快な笑いに、心が一瞬に明るくなった。


誠は忘れていた男としてのプライドが、この男を通して、蘇って来るのが分かった。


しばらくは不安な気持ちが忘れられる。

と誠は、男に心で感謝した。


「本当にありがとうございました。」


「失礼ですが、職安の資料ですか?」


「はい、お恥ずかしい話ですが、求職中でして。」


「なんの、全然恥ずかしくないですよ。

今の社会は弱いものイジメをしますからね。

胸を張りましょう。」


誠は感激した。

ここ数ヶ月、このように励まされた事がなかったのである。


辞めた会社では、出世頭の誠を良く思っていない派閥の連中と同僚達が、社内だけでなく、取引先までにも、ねじ曲げたウワサを吹聴した。

退社の挨拶をしに言っても、お茶すら出ては来なかった。


家で、妻の真由美から


「もうあなたは終わりね。」


と言われた時には、男のプライドが崩れ落ちた。


誠はそれでも、自らの気持ちを奮い起たせていたのだが、そろそろ崩壊寸前であった。


誠は込み上げて来るものを、懸命にこらえた。


「まあ、立ち話もなんですから座りましょう。」


と男は言った次には公園のベンチの方向に歩き出していた。


動作が機敏で、無駄がない。


男はベンチの端に座ると、左手を振りながら誠を迎えた。


二人は、六月のそんなには強くない陽光の中で、しばらく沈黙した。


先程の突風が、うそのように風は再び沈黙し、公園の隅々に咲く花達が、その色彩を競演している。


小鳥達が、何物も攻めてくる物がない安堵感で、間隔を空けながら、穏やかに仲間達と鳴いている。


新緑からこぼれる木漏れ日。


元気に遊ぶ子供達の笑い声。


平安という自然の空間が、二人の周りに存在していた。


誠は名前を告げると、再度先程のお礼を言った。


男も誠に対して丁重に自らを語った。


「私は竹崎真一と言います。


しがない中小の社長をしています。


田中さん、何処かいい所が、見つかりそうですか?」


男はベンチの隅に置いたスーツの内ポケットから名刺を取り出すと、誠に渡した。


(株式会社)タケザキ

代表取締役、竹崎真一

と書かれていた。


誠も長い会社勤めの習慣から、名刺を取り出そうとしたが、今は失業中であることに我に帰り、また自らを卑下する気持ちが戻った。


「いやいや、いいんですよ、時期に立派な名刺が必ず出来るでしょうから。」


真一は微笑みながら、誠に言った。


誠は男の言葉で、また救われた。


「社長さんでございましたか。

失礼致しました。」


誠はこの男、竹崎から受けるオーラに、やはりただの人ではなかった、と納得して言った。


竹崎は穏やかな表情を作り、誠に言った。


「いやいや、社長といってもたいしたことはありません。

何か飲みましょう。


コーヒーでよろしいかな?」


と誠の頷きを確かめると、竹崎は公園の入口にある自動販売機に向かって行った。


誠が小銭を取り出す暇も与えずに、俊敏に歩いて行った。


公園を颯爽と歩いて行く後ろ姿には、威厳があった。


陽光が竹崎の白いワイシャツに反射し、誠に眩しく反射していた。


竹崎は誠に缶コーヒーを渡すと、誠の今ある境遇について聞いてきた。


誠は何故か、この竹崎に対して”警戒心”という感情を持つことが無かった。


いや、それよりここ数ヶ月の、誠自身に降りかかった苦難を聞いてほしかった。


誰にも、気に止められず、聞かれる事すらなかった胸のうちを、吐き出したかった。


誠は一流商社に勤めていたこと、そこで派閥の罠によってリストラされたこと、妻のこと、妻と自分の立場、などを包み隠さず竹崎に伝えた。


その間、竹崎は始終、誠の目を見て、頷き、時に腕組みをしながら聞いた。


誠は、心の中にあった鬱憤や不安などが、浄化され、心が晴れやかになって行くのを覚えた。


徐々に風が二人をかすかに触るように吹いてきた。


六月の草いきれの香りを含んださわやかな風は、強くなることはなく、一定の旋律で吹いて、彼方へと立ち去って行った。


陽光も徐々に、時間と共に強くなって来た。


「まあ、人には必ずと言っていい程、試練が来る。


誠さん、今がその時だと私は思いますよ。」


竹崎は笑顔で答えた。


何て澄んだ瞳なんだろう。


気持ちを優しく包んで、吸い込ませる深海のような瞳。


誠はその言葉と瞳に、また救われた。


「あなたの妻が納得する仕事とは、具体的に何だと思いますか?」


竹崎は誠に聞いた。


誠は一瞬、答えに詰まった。


ストレートに応えていいものだろうか?


誠は躊躇していた。


竹崎は誠の応えを分かっていた。


「奥さんの肩書に恥ずかしくない仕事とは?

何ですかね?


それでは奥さんの人生だけに、荷担しているだけです。」


誠はハッとした。


ハンマーで頭を殴られた感じだ。


心の全体を覆っていた”不安””喪失””失望”といった”負の思考”が球体の中に入り込み、そして誠の意識の中で大きな音を伴って、破裂して行くのを覚えた。


「誠さん、全ては貴方の中にあります。


この世の中では、決して神様が救いの手を差し延べる事はありません。


自らで解決しなければなりません。」


誠の心に何かが目覚めた。


落胆から昂揚する希望の光りが灯った。


「誠さん。」

面接は合格です。」


「はい?」


竹崎は、誠の肩に優しく手を置き、言った。


「井上祐一君は知っているね?」


「は、はい。」


「君が勤めていた時の、取引先の人間だね。」


誠は、突然竹崎の口から出てきた名前にびっくりした。


誠の妻である真由美の、別れた元夫であり、前職の会社での、取引先の会社の営業部長の名前である。


「はい、そうです。」


「祐一君が、田中誠という友達が失意の内にいるから、彼を助けてくれ。


決してこの事は黙っててくれ。


彼は信じられる、俺の取引先の人間だから。

と言ってきた。


だから今日、君に会ったんだ。


祐一君は、私の大学の後輩だ。


ある日、私の会社に来て、面識もないのに、私に君の事を頼み込んたんだ。


名簿で調べたらしい。


私は同窓会の幹事だからね。


祐一君は僕と一回り違う。


勇気のある男だ。」


誠はその場所に崩れ落ちた。


そして大きな声を張り上げて泣いた。


その声は公園中に響き渡った。


遊びに夢中になっていた子供達も、遊びを止めて平伏して泣く誠を見守った。


竹崎は、嗚咽している誠の肩を、しばらくしてから、優しく抱き抱えてあげた。


「あなた達の関係は、私はそれ以上は知らないが、いい友達を持ったね。


まるでお兄さんのように、心配していた。」


(後に分かる事だが、この出会いには、深いいきさつがあった事を、竹崎は誠には話さなかった。)


誠は心で祐一に詫びた。


「いうなれば奥さんを奪った形の俺なのに…

そんな俺の為に…」


そして誠は、この竹崎に、自分の人生の行く末を任せようと、その時「決心」した。


「誠君。」


竹崎はポンッと、誠の肩を叩いた。


「明日の午後一時に、私の名刺の住所に来なさい。」


「わ、わかりました。」


竹崎は、歩きだした。


そして突然、振り向くと誠に言った。


「君には浮浪者、ホームレスになってもらう。」


そう笑顔で言うと、颯爽と去って行った。


誠は度肝を抜かれた。



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