絆8
「私は、この子は幸せだと思うんです。」
女は、赤ちゃんにミルクを飲ませながら、真由美を直視して言った。優しい眼差しと共に、静かな口調で言葉を重ねて行った。
「人の人生の長さはまちまちです。その長さは人間が決められない。」
女は赤ちゃんに優しく微笑むと、すぐに真由美に視線を向けた。
また!あの眼力だわ!
真由美は再度、恐怖心に駆られた。
「あなたに罪は無い、と早く夫に言ってあげたいんです。
この子の寿命が例えば五年としても…」
女は口ごもった。
真由美はこの答えに対して、女の考えがまだ熟していないと思った。
しかし、次に発せられた女の言葉に、真由美の積み重さなった想念が崩れ落ちた。
「病いを持って生まれましたが、先程のように笑って生涯を終える事ができる。これって幸せですよね?」
他人に同調を得る投げかけではなく、すでに自分の中で答えが決まっている吐露である。
女はさらに続けた。
「夫は健康体であるのに、笑っていないんです。この子の病気の保菌者だなんて、あの人が決めた訳じゃない、あの人には罪はないんです。
残されたわずかな時間…
三人で寄り添って、笑って暮らしたいんです。」
女は言い終わると、満面の笑みを真由美にたたえた。
真由美はハッとなった。
そしてこの眼力を何処でいつ受けたのか分かった。
「あの時のお父さんの目だわ。そしてこの満面の笑みもお父さんのもの!」
真由美は自分の未熟さに恥じた。
そして深い嫌悪の力で、封印してしまった父親とのあの日の事を記憶に辿った。
(告発の目)じゃなかったのね!
(忘れよう!)は(真由美には罪は無い!)と言いたかったのね!
お父さんは、妹に寄り添っていてくれたのね!
お母さんもそれを分かっていた。だからお父さんの愚痴を一言も言わなかった。
真由美は声を上げて泣いた。涙が止まらなかった。
真由美は心で母に言った。
「お母さん、お父さんは自殺じゃないわよ。きっとあの日、霊山に行ったのを最後に、家族に寄り添って生きようとした!私はそう信じる!」
次に、真由美は心で詫びた。
「お父さん!お母さん!ごめんなさい!」
この時、窓辺のクレマチスの花弁が数枚、ひらひらと落ちて行った。完全に真由美の邪気を吸い取ったが為に。
「私ってバカな女!」
真由美は笑みを見せて、女に言った。
「はい?」
女は首をかしげた。
「さあ!旦那さんの所に行きましょう!」
真由美にも覚悟が出来た。
女も「はい!」と言うと、覚悟を決めたように立ち上がった。
「夫に謝らなければ!」
真由美の覚悟であった。