絆1
真由美が女を探しだすのに、苦労はいらなかった。
そこは人々が敬遠する場所であり、ましてうら若い女が何時間もたたずんでいられる場所でなかった。
女が居れば、完全に目立つ。
そこの壁は外の暴風雨の余波で、結露がいく筋も流れていた。
漂う異臭が結露にも移され、嗅覚から視覚まで、あらゆる感覚を萎縮させていた。
真由美は駅に通じる階段を降り、ホームレス達がたむろする場所に向かった。
すると向こうから子供を抱いて、辺りをキョロキョロと見回している女が近づいて来た。
女は真由美には目もくれず、通り過ぎようとした。
探しているターゲットが男であったからだ。
「あなた。」
真由美は女に声をかけた。
女は最初、真由美と気づかなかった。
しかしすぐに、以前子供の異変に気づき、病院まで連れて行ってくれた人だと分かった。
「あっ!この間はありがとうございました!」
女は深々と頭を下げた。
長袖のカーデガンとスカートはあの日と変わらなかったが、今日はサングラスはしていなかった。
「あなた、人をお探しね?」
真由美の質問に女は目線を下に向け、しばらくしてから「はい」と応えた。
「あなたのお探しの人は、ここには居ないわ。」
「…」
女は不安の表情で真由美を見た。
「お話しをうかがいたいの、お時間お有りかしら?」
「はい。」
背中におぶさった幼児が、「アブ、アブ」と周りを見ながら笑い声をあげていた。
「可愛らしい女の子ね。その後、具合はどう?」
喫茶店に入ると、椅子に寝かされて元気良く手足を動かしている幼児を見て、真由美が言った。
女は懸命な笑顔を作り、再度お礼を述べた。
歳は二十歳を少し超えた位であろう、華奢で腕が細く、黒髪には艶があり、頭を下げる仕草や言葉使いなど洗練された気品さがある。
この女が捜し求めている男が、ホームレスであるという事実と、この漂う良家出身のような気品さの接点が、真由美には想像すら出来なかった。
この前、この女はホームレスに対して涙を流していた。
もし真由美が逆の立場であったなら、何の関係があるか分からないが、うらぶれたホームレスに対して、決して涙は見せない。
それが夫であったなら何の躊躇もなく見捨てる。また自分の父親であっても、見捨てる事が出来る。
そう真由美には断言出来た。
夫である誠に対して、ホームレスのスカウトという、聞いた事もないバカげた事をしている。
しかし誠としばらくぶりで会った時、夫に対して、まるで別人のようにたくましさを感じた。
(いったい何が始まったの?)
真由美は真実が知りたかった。
「あの時、ホームレスを介護していた人は私の夫なの。」
真由美の言葉に驚いたように女はまた恐縮し、重ねてお礼を述べた。
「夫が雨露をしのげる場所に保護したわ、安心して。」
女は「何とお礼を言っていいか分からないくらい感謝致します。ありがとうございます!」
女は言うとハンカチを顔に当て、小さな泣き声をあげた。
しばらくの間を取って、真由美が言った。
「事情を聞かせて。」
女はこみ上げてきたものが治まってくると、ゆっくりと話し出した。
「あの時、ご主人が介護していたホームレスは、私の夫です。」
雨は変わらず強く地を打ち続けていた。
薄暗い喫茶店は、雨音を完全に遮断して、別世界にいる感覚を与える。
幼児が誰かと話しているかのように、「ばぁ!ふぅ!」と手足をばたつかせ、笑っている。