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ラセン  作者: 天咲賢治
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あきら兄妹の旅・とどめ

「バシー!」

と再度、椿の葉に溜まった雨の雫を、強風が持ち上げて、車体に叩きつけた時に、あきらは現実に戻った。

竹崎は、あきらの意識の流れを読むと、

「さあ、いきましょうか。」

と言って車をゆっくりと走らせた。

竹崎は笑顔を見せただけで、何も語らなかった。


あきらはかつて住んでいた"マイホーム"が、外壁の色、庭の植物などが一層されていた事に、少しばかりの救われた気持ちがあった。


その場から立ち去る事に、なんの未練も湧き上がらなかった。


住宅地を過ぎると、すぐに工業団地に入った。

竹崎は徐行しながら、あきらの誘導無しに、団地内の碁盤の目のような、正確に引かれた道路を進んだ。


メーカーの栄華を誇る、大きなビルが立ち並ぶ区域を過ぎると、小さな会社が密集している区域に入りかけた。

先程の傲慢な栄華とは打って変わり、それらはどれも謙虚な衰退であった。

傲慢が謙虚を見下し、あらゆる養分を吸い取っている、この工業団地はまるで蜂の巣のような構図を露呈していた。


しかし、この団地の道路の、碁盤目のような正確さは、日本の工業界の技術力を表しているかのようであった。

竹崎はすぐ後ろに座っている、あきらとあけみの視線がある敷地に注がれていることを、ミラー越しに確認した。

二人は怖い"もの'"から勘付かれないように、上目遣いに、その敷地を凝視していた。

竹崎は止まる事なく、徐行しながら車を走らせた。


ある鉄工所のトタンの看板に、雨が

「バラバラ!」という音をたてて叩き付けている。

あきらは妹のあけみを心配そうに覗きこんだ。

あけみは忘れられないあの日を思い出した。

あきらも、今は社名が変わってリフォームされた建物から、屈辱の、最たる思い出したくはない"あの日"に誘導された。



スーツを着た、二十代半ばのその男は、新しいロットのサンプル用ネジを、てのひらで掴み、ゆっくりとあきらの目の前で、テーブルに置かれた紙の上に落として行った。

「バラバラ!」

とそれらは音をたてて淋しく落ちていった。

「岡崎社長、提案を呑んでくれないと僕がこまるんですよ。支店長からもよろしく説得して来るように言われているもんですから。」

男は足組をして笑っていた。

「支店長はどうした?どうして来ない!お前じゃ話にならん!支店長を呼んで出直せ!」

あきらは入社以来、気にかけてやってきた男に怒鳴り散らした。

入社したばかりの頃の初々さは無くなり、肩書きが係長となった今は、会社の歯車としてその一軸を走らされていた。。

その洗脳された歯車は、メーカーの豪華なビルのように、傲慢に脱皮を遂げていた。


最初の値下げ勧告の時には、支店長と共にやって来た。

その時は、まだ採算が取れる段階であり、経営はもたろん苦しむが、これも人生の試練と自らを納得させ、渋々飲んだ。

しかし、今回の二回目の値下げ勧告は、明らかに採算割れの勧告である。

おまけに、支店長は出張で来れないという姿勢で迫って来た。

歯車を洗脳させた傲慢の親玉は、ビルの最上階で女王蜂さながらを気取っていた。

あきらはそんなメーカー側の態度に呆れた。


あけみがお茶を出そうとすると、

「こんな奴にお茶など出さんでいい!出て行け!」

あきらは男を睨みつけた。

男はネジに埋まった紙を抜き取った。

紙には、製品の希望卸価格が書かれていた。


紙から弾き出されたネジ達は、テーブルの上でクルクルと回り、やがて音を消して止まった。

傲慢はさらに挑発するかのような笑みを浮かべ、とどめをさした。


「岡崎社長、ひょっとしてこのネジ、廃盤になる可能性もあるんですよ。」

と言って、紙をテーブルに置き直した。

あきらは目の前の青年の姿が、霞んで行くほどの絶望が走った。

廃盤は会社倒産を意味していた。


あけみは、朝から右目の回りが引きつるという顔を押さえながら、

「あなたは入社以来、社長があなたの事を気にかけてくれていた事を忘れたの?この薄情もの!」

あけみは震える身体で、搾り出す声をあげながら怒鳴った。


と、次の瞬間、

「バタン!ガチャン!」

と、あけみの手から、オボンがすり抜けて行き、床に湯呑ごと落ちて行った。

あけみは床に崩れ落ちた。

前のめりになり、身体を支えた両手に、茶わんの欠片が突き刺さった。

こぼれた茶の上に、あけみは座り込み、茶わんの欠片が突き刺さった手のひらを、顔の位置まで上げ、「あーぁ!」と叫んだ。

滴る血が茶の色を赤く染めて、あけみのクリーム色の事務用スカートは赤く染まり、白いワンピースにも、いく筋の血の線を走らせた。

あきらは妹を抱きかかえた。

あけみは「あー!あー!」としか言わなかった。

あきらは「大丈夫か!」と妹の顔色を伺った。

「…」

あきらはがく然とした。

口が変形していた。

顔の右側が頬を引っ張られるように引きつっていて、目はまばたきせず、遠くに浮いていた。

くちはへの字になっている。

妹が喋る事が出来ない理由を、あきらは理解した。

気品のある妹の顔が崩れている現実。

あきらは妹を抱きかかえながら、椅子に腰掛けた。

妹の身体が、思った以上に軽いことに驚いた。


青年は、血を見たとたんに、顔が蒼ざめた。

先程の横柄な態度はどこかへ飛んで、ただおびえた子犬のように呆然と立ちすくんでいた。


「すまん、救急車を呼んでくれ。」

あきらは力なく青年に言った。

青年は、はっとした表情で顔を背けて、救急車を呼んだ。


「人が!気が狂ったみたいです!」


と青年が受話器の向こうからの質問に、この言葉で答えた時、事務所のドアを力一杯に開けて、白い作業着を着た大きな男が青年を睨みながら入ってきた。


「貴様!」


と男は青年の胸ぐらを掴み、宙に浮かせると横に投げ飛ばした。


青年の手から離れた受話器を握ると、


「すいません!転んで手を怪我しました。

男は冷静に住所と怪我の状況を説明し、

「くれぐれもサイレンは鳴らさないで下さい!」

と最後にお願いして受話器を置いた。


「専務!大丈夫ですか?」

と駆け寄った時に、あけみの顔を確認した。

男も直ぐに顔を背けた。

背けた先に、青年が提示した価格表をまじまじと見た。


男は下を向いたままの青年に迫って行った。

青年の身体はさらに丸まっていった。


「こら!調子に乗ってんじゃねーぞ!

支店長と出直して来いやー!」

と一括した。


青年はそそくさと出て行った。


あきらは妹に

「旦那にすぐに連絡するから心配するな!」

と微笑みかけた。

するとあけみは身体を揺さぶり、手の甲であきらを叩いた。

血があきらの作業着に飛び散った。


あけみはテーブルにある価格表の紙の裏に、人差し指から滴る鮮血で、字を書いた。


それは曲がった字で、滴る血の量が多いため、太字になった。


あきらはその字を確認するや、大声を出して泣いた。


後ろで見守っていた男は見てはいられず、下を向いて立ち尽くしているしかなかった。


鮮血で書かれた字は、時と共に、無念さを体現するように黒くなっていった。


「やめて

りえんされたの」



あけみは兄のひざの上で、泣いているのか?


いつまでも身体を震わせていた。










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