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ラセン  作者: 天咲賢治
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第三章・因果応報

「それでは、これにて会議を終了いたします。」


祐一は、常務取締役に昇進し、社内の取締役会議では、新たな進行役の任を与えられていた。


その日は、月初めの営業報告の定例会であった。


慣れない進行役を無事に終えて、資料を整えて会議室を出て行こうとした時に、秋山専務が、資料に眼を向けたまま、祐一に声をかけた。


秋山は、祐一の元上司であり、歳は50である。


営業部長という現場上がりの秋山の言動は、卓上の理論しか考えられないデスク組の役員達には、煙たがれる存在ではあったが、秋山という人間は決して部下を見捨てたり、社員教育を放棄することなく、常に優しく見守ってくれる役員であった。

よって彼を尊敬の

念で見る者は多い。


「井上常務、ちょっといいかな?」


「は、はい。」


祐一も、末端ではあるが、役員となり、

秋山とは表面上は、上司と部下ではないが、祐一には唯一の尊敬出来る、会社での先輩である。


秋山から、「井上常務」と言われる事は、正直言って、こそばゆい心境であった。


祐一は、秋山の横に座った。


円卓テーブルには、二人以外は、誰もいなくなった。


秋山は資料から眼を離し、祐一以外、誰も居ないことを確認すると、祐一の横にビッタリとくっついて、小声で言った。


「実はね、ダイアリ堂の、田中誠君だが…

会社を辞めたのは、知っているかい?」


祐一は驚いた。

初耳だったからだ。


「本当ですか!」


「うん、実は、一昨日、会社に退社の挨拶に来たらしい。

一昨日は、あいにく僕も君もシンポジウムで出張だったじゃないか。

その時は課長の春山君が対応したんだが、「お世話になりました、皆さんによろしくお伝えください。」とだけ言って、足早に出て行ったらしいんだ。」


「退社の理由は何なんですか!」


「うん…それなんだ。

で、対応した春山君に、

彼は理由は何と話したか?

と聞いてみたんだが、驚いた事実が分かったんだ。」


「驚いた事実とは?」


「うん、彼は春山君には、<自己都合>と言ったらしいんだが、その言葉が出て来る時には、必ずいかんしがたい理由があるものだ。」


祐一は、誠が何者かの罠にまったと直感した。


「このような事は、我々、取締役の耳にまで届くのはいつも遅いものだが、春山君に、詳しく問いただしてみると、春山君以下の社員達に、『ダイアリ堂の田中誠は、社内不倫をしている。』と噂を立てられていたらしい。」


「えっ!そんな馬鹿な!」


「おうよ!俺も君も、彼とは何年もの付き合いだ。

彼の人となりは知っている。

でだ井上君、更に春山君に、事の内容を聞いてみたところ、ダイアリ堂の、田下部長が、我社だけではなく、他の取引先にも吹聴したらしいんだ。」


祐一は怒りが込み上げて来た。手に持っていた資料が、手の平の中でクシャクシャになった。


「ダイアリ堂も派閥が複雑だ。

田下部長は、浮作専務のブレーンだ。

その線で、田中誠君をリストラに追い込んだと思う。

何故、確信があるかというと、ダイアリ堂の荒井副社長とは、俺と大学が一緒で、旧知の仲だ。


「秋山専務、であれば荒井副社長は、なぜに田中誠君を救済できなかったのですか?」


「そこなんだ、問題は。」


秋山は、一つため息をついた。

で、言葉を続けた。


「会社の金を、女のために使い込んだという、でっちあげを田下と浮作は作って、社長に進言したらしい。

それも証拠となる改ざん書と、二人の密会写真を携えてだ。

とすれば、副社長も田中君を引き留めることは出来ない。」


祐一は秋山に懇願した。


「秋山専務、我社も彼の会社も、田中君の力があって、お互いが相乗効果を生み、業績が上がりました。

彼の細かい気配りで、一緒に同行した会社と、ほとんど取引を成功させて来ました。

我が社の第一の協力企業のダイアリ堂を、ここまで押し上げたのは、田中君の陰の力があったはずです。」


「それは俺も認めている。」


「なんとかなりませんか?」


祐一の懇願は、秋山の良心に深く染み込んで行った。


「井上君、何せ協力企業だとしても、他社の中での事だ。

俺達には介入する資格が無い。」


祐一の手の平の中にあった資料が、バリバリと音を立て、さらにクシャクシャになった。


それまで、腕組みをして、目をつむっていた秋山が、目を開き、祐一を見つめて言った。


「大体、今の社会全体が、臭いものにはフタをして、フタをしたもの勝ちになっている。

こういう事が、まかり通るってのが、シャクに障るわな!」


正義感から来る、言動と行動力で、人望のある、秋山の胆力が唸った。


「井上君、俺はある女に会おうと思っている。」


「女ですか?」


「そう、田下の元愛人で、里美という女だ。

この女が総てを知っている。

ダイアリ堂の社長も、マスコミに嗅ぎ付けられるのを恐れているのか知らんが、事なかれを貫いている。

我々は、介入は出来ないが、ダイアリ堂側に、事の真相を知らせてあげても、バチは当たらんだろう。」


秋山は自分に言い聞かせるように、大きく頷いた。


実は、昨日、ダイアリ堂の荒井副社長と会って、話しを聞いて来たんだ。


それによると、

田下は、経理主任の里美と深い仲になり、里美を使って領収書の巧妙な改ざんをしていたみたいなんだ。


共犯とされる里美は、田下のそうした行動に対して、関係を断ち切るべく、田中誠君に相談するようになった。

その相談現場を、田下は見たんじゃないかな?

田下は、自分の不正を田中誠君のせいにした。」


「罠を掛けるに至る原因は、嫉妬ですか?」


「多分な?

まあ、人間が罪を犯すときは単純な動機ってのが多いからね!

で、田下は半ば里美を脅すように、手切れ金を渡して、直ぐに里美に退職をさせた。」


「しかし里美という女は、逆に田下を訴えなかったんですか?」


ははは!

と秋山は笑って、


「そこでご上司様の、浮佐専務の登場だ。

浮佐は、田中君の力を知っていたんだよ。

おまけに副社長が、田中君を買っている。

ようは、近い将来、自分の地位が危ないと思ったんだろう。

浮佐の自分の地位の為の保身と、田下の嫉妬の怨みと不正を免れる為の思惑が一致した企みだな。」


祐一は、何故か、低俗な推理小説を読まされている感覚に落ちていた。


こうも人間とは、小狡いものか、また現実にこのような事が起こったことに、怒りが起こった。


会議室はビルの最上階にあり、春の心地好い風と、陽光に包まれていた。


『人を蹴落とす人間に対しても、また善良な人間に対しても、何故、平等に風は優しく包み、陽光は降り注ぐのか?』


祐一はそんな事を、新たな発見のように思った。


「浮佐と田下は、改ざんされた領収書一式のコピーと、田中誠と、里美の密会の写真を、副社長を飛び越えて、社長に渡して、さも温情ある判断を、という言葉で、詰め寄った。

その時には、すでに真相を知る里美は、退社していていない。


社長は、田中君に真相を問うたが、田中君が、やりましたと言うわけがない。


『社長から、真相を問われるとは思ってもおりませんでした。』

と田中君は、辞表を出したらしい。

しかし、もうその時には、浮佐と田下が、社内外にて、吹聴していたから、もう田中君は居づらかったと思うが。」


「秋山専務、その里美という女には、僕に会わせて下さい。」

と祐一は秋山に言った。


「君がか?」


「はい、実は僕の一人娘のリサにとって、田中誠君は、義理の父親であります。」


「…はあ?」


「実は、田中君の再婚した相手は、僕の前の妻の真由美です。」


「…えっ?

ちょっと待ってね…

…そうだったのか!


秋山は、驚いた風であったが、祐一の肩をポンッと叩いて、


「君達も、ごちゃごちゃしているね!」


秋山は笑った。


祐一も頭に手をやり、笑った。


秋山は、

「しかし、最悪な事を考えると、真相次第では、田下と浮佐は会社をクビになるかも知れない。

その時に恐いのが、報復だ。

君を巻き添えにはしたくない。」


秋山は、豪放に見えて、実は緻密な思考をする男である。

最悪なる事も、回路にすでにインプットされていた。


「秋山専務、もう聞いてしまった以上は戻れません。

しかし、ここで秋山専務と、僕のどちらに、天秤をかけて、事にあたらなければならないかと言いますと、僕の方でしょう。

田中君を守るという事は、愛娘のリサを守るという事ですから。」


秋山は真剣な眼差しから、一つ笑みを浮かべた後に、


「報復が遂行されたとして心配なのは君の、今の奥さんの事だよ。」


「彼女は身篭っています。実家に帰します。実家にはご両親が付いていますから。」


「…うむ!」


秋山は腕組みをしていた。



「秋山専務、考え過ぎですよ。

そのような姑息な男に、そのような勇気はありませんから。」


「まあ、杞憂であればいいのだが…」


「ところで、里美と会う手配ですが?」


「うん、里美という女とて、バカではあるまい。

問題を元に戻すようなアポイントには、耳にも貸さないだろう。

そこで、これは俺の勘なんだが…」


「…はい?」


「俺はその里美という女は、田中誠君に好意を抱いたんじゃないかと思うんだ。」


「相談したということは、そうでしょうね。」


「であれば、案外、田中君の事で…

と言えば、会ってくれそうに思うんだ。」


時間軸を考えると、里美が退職した後に、田中誠君は辞表を提出した。

里美が辞めて、二週間後である。

退社後の色々な手続きには、約一ヶ月くらいの時間が必要で、その間に田中誠の退職は耳に入って来ているはずである。


「里美という女が、どんなに阿婆擦れ(アバズレ)であっても、一度は好意を示した男の事は気になっていると思う。

少しでも、女としての情があるなら、近況ぐらいは知りたい、と思うはずだ。」


祐一は大きく頷いた。


「事の進行は慎重にしよう。


秋山は手帳を開き、メモ書きを祐一に渡した。


そこには、今、里美が住んでいる住所と、電話番号が記されていた。


「これは個人情報だから、慎重に!」


秋山と祐一は会議室を、わざと別々に出た。


祐一は会議室の窓を閉めようと、窓辺へ歩きかけると、カーテンをなびかせるほどの、晩春の風が少し汗ばむ肌に、心地好い清涼を与えた。


「この風は、悪人にも吹くんだよな。」


言い尽くせない不平等に、怒りが沸いて来た。


しかし、その矛先がどこに向けて良いのか分からないもどかしさが、なおさら怒りに歯車をかけた。


祐一は数回、深く深呼吸をして、心を平常にして、遅れて会議室を出た。



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