好転
雨は勢いを増し、渦巻く風に乗り、プレハブの壁に向かって、機関銃のように打ち付けていた。
雨粒が弾け、飛沫となり、プレハブ全体を霧のように覆っている。
誠が中に入ると、
兄妹である、あきらとあけみ。
夫婦である、川夫と川子。
恋人同士である、ロングとローザ。
六人はすでにカーペットの上に、円くなって座っていた。
スーツ姿の誠を見たとき、皆、一瞬後ずさりをする動きをみせた。
「誠さん、雨の中、ご苦労様でしたね。」
あけみがタオルを手にして誠に渡した。
相変わらず、髪で顔半分隠していた。
誠は濡れた髪の毛を拭きながら、
「皆さん、遅くなりました。
役所で話しが長引いてしまいまして。」
「いやいや、大丈夫だよ、皆、仕事を休みにしたからね。」
あきらが言うと、川子とローザがお茶を配りだした。
あきらは、二人が配り終えて座ったのを確認すると、重い口調で言った。
「役所では、お話にならなかったでしょう?」
六人はじっと誠の視線を伺った。
雨音が会話を遮るように、うるさかった。
誠は万遍の笑みを称えて、皆の眼を見ながら言った。
「いえ、このプレハブは対象外で、取り崩す事はしないと、市長の了解を得ました。」
言うと一同、お互いに眼を合わせ、
「おう、良かった!」
と手を合わせ、あきらはため息を吐き、川夫とロングは「やったぜ!」と手の平を叩いて、強く握った。
女達は「良かったわ!」「本当ね!」と抱き合い、歓喜に涙を拭った。
その姿を誠は、微笑みながら見ていた。
皆、誠に握手を求めた。
しばらくは、市長との会話の内容を伝え、皆で弁当を食べた。
外は時と共に、暴風雨の強さを増して、猛って行った。
暗さも増して来たが、プレハブの中には希望の光が充満していた。
「ところで誠さん。」
あきらが発すると、皆、あきらを見つめ、悲しい表情になった。
「誠さんが来る前に、皆と話していたんだが、誠さんの役目はこれで終わりかい?」
「は、はい?」
「いやね、誠さんが我々のような世捨て人じゃないって事は分かっている。」
「はい、すみませんでした。」
「やっぱりか!」
雰囲気がいっぺんに、暴風雨の外界と同調するように暗くなった。
「誠さんには、あの浮浪者のたまり場から、ここに誘導してもらった。
本当に感謝している。」
「そして今日も、役所に直談判してくれて、ここを守ってもらったし…」
川夫が続けて言った。
「本当にそう、感謝しているわ。」
川子も続いた。
「本当にそうだわ、おまけに誠さんって、ハンサムだし。」
ローザが言うと、
「えっ…」
とローザと目線を合わせてロングが言うと…
次の瞬間、ローザはロングの後頭部を平手打ちした。
変わらずに、バシー!といい音がした。
「ロングちゃん、話しの流れでしょう…」
とロングの頭を撫で回した。
ロングは涙目である。
一同、笑った。
しかし笑い声は、暴風雨の音で、掻き消された。
「皆さん、僕は皆さんの元から離れません。」
「本当か!」
「本当ですか!」
一同、矢継ぎ早に言葉を発した。
「もちろんです。
それどころか、一段上の場所に戻りましょう。」
「一段上の場所?」
一同は、理解出来るはずも無かった。
「皆さんには、今まで黙っていて、申し訳ございませんでした。」
皆、誠の眼に集中した。
「僕は、タケザキという会社で、人材スカウトの仕事をしています。
名前は田中誠と申します。」
「人材スカウト?なぜそんな方が、浮浪者の中にいるの?」
あきらが間髪入れずに言った。
「はい、皆さんが、わが社の人材の、対象だからです。」
「対象って言われても、浮浪者だよ!
俺達は!」
皆の顔に少しばかりの不信が入るのを、誠は認めた。
「我社の社長の、竹崎真一の考えるところです。」
「竹崎真一?どこかで聞いた名前だな?」
元、中小の社長である、あきらが首を傾げながら言った。
「はい、竹崎が行っている事業は、皆さんのように、逆境の中で、懸命に生き抜いているレベルの方々でないと、完全に理解出来ないというものです。」
「誠さん、逆境?
逆境とは逆さの境目だよね?
今の俺達は世捨て人だよ!すでに死んでいるも同然!
戸籍も捨てたし、名前もこの世には無い。
国も、すでに死亡者として登録したはずさ!
元には戻れないんだ。
今の俺達の境遇は、屍の境目だ!」
あきらは言い終えると、ため息をついてうなだれた。
「それはどのような仕事なの?」
川子が尋ねた。
「はい、人の思いやりを、お伝えする仕事です。」
「思いやり?誠さん、よく分からないけど、それってタコ部屋だったりして?」
ロングは言った後に、しまった!とばかりに頭を防御するようにして、恐る恐るローザを見た。
ローザは頷いていた。
「いえいえ、まず、すぐに働けるようにアパートを用意しております。
雇用形態は正社員、給与は月給制です。
賞与は年二回、もちろん雇用保険もあります。
ご事情は千差万別ですので、リセットする法的な手段は、会社が完全にバックアップ致します。」
皆の眼が輝いて行くのが分かった。
「よろしければ、これから実際に会社を見て頂いて、ご判断願えればと存じます。
今日は社長の竹崎が在社していますので、詳細を聞いて頂いて、もし”自分には向いていない”と判断なされたなら、その時にはきっぱりとお断り下さい。」
言い終わると、俯いていたあきらが、熟考したように口を開いた。
「誠さん、執こいようだけど、俺達は世捨て人だよ。
いくら社長の竹崎さんがお人よしだとしても、俺達を採用してくれる訳はないよ。」
雨は小降りになり、風も弱まっていた。
「そうね、しかし久しぶりに夢を見させてもらったわ。」
あけみが立ち上がって、少しだけ、窓を開けた。
プレハブに充満していた空気を、少しひんやりとした風が一新して行った。
「そうね、しかし誠さんの話しは夢があるわ、頑張って下さいね。」
ローザも付け足した。
誠は、皆の顔を微笑みながら、見つめた。
そして一度、深呼吸をして言った。
「採用の権限は僕にあります。」
皆、顔を上げた。
そして、少し語尾を上げて誠は続けた。
「皆さんを採用致します。
面接は合格です。」
皆、口を開けた。
皆、誠の迫力に圧された。
続けて誠は、魂から湧いて来る言葉を発した。
「現実を、より良い高みに上げるのは、皆さんの決断次第です!」
皆、沈黙した。
その時、スーツに忍ばせていた携帯が鳴った。
竹崎からであった。
誠が持参している携帯は、竹崎との連絡用だけの物であり、決して竹崎からは掛けないという決め事になっていた。
慌てて、皆に失礼を詫び、携帯に出た。
「はい、はい?はい!」
それだけ言うと誠は通話を断った。
「ところで…
皆さん…」
誠は、また皆の眼を見て言った。
「ご決断は…
いかがですか?」
皆、お互いを見回した。
そして、あきらが…
「皆、聞くだけ聞くか?」
と言うと、一同深く頷いた。
「ありがとうございます。」
誠は、ここへ来て初めて、安堵の気持ちを噛み締めた。
これで六人の魂が、救われた。
込み上げて来るものを、誠は懸命に堪えた。
「今、社長から言付けがありまして、皆さんを案内するために、これからマイクロバスでここに来るそうです。」
「えっ!社長自らですか!」
あけみが言うと、皆も恐縮したようである。
「ところで誠さん、竹崎っていう社長さんなんだけど、恐い人?」
ロングが言った。
誠は笑って
「心配しなくて大丈夫ですよ。
夏の暑さよりも、心が篤い方ですから。」
ロングは誠に親指を突き出して、
「オッケー!」と合図した。
誠も同じ仕草をした。
「あと、皆さんはサコーズって会社ご存知ですか?」
誠は尋ねた。
「サコーズ?」
ローザが言った。
「あのサコーズ?」
川子が続いた。
「一流企業の、あのサコーズ?かい?」
川夫も続いた。
「誠さん、浮浪者だって知ってますよ、サコーズ!」
あけみも続けた。
「誠さん、サコーズは誰でも知っているけど、それがどうしたの?」
あきらが質問してきた。
「いえいえ、それじゃ手っ取り早いです。
竹崎真一は、サコーズの会長でもありますから。」
六人は腰を抜かすように、その場で硬直した。
「ま、まことさん!あのカリスマ社長だった竹崎社長かね!」
あきらが驚いていうと、
「やはりご存知でしたか。
はいその竹崎です。」
「おい!ロング!その人は、超が着くほどの恐い人だ!」
「え?えっ!」
ロングはローザに抱き着いた。
ローザもロングにしがみついている。
「しかし、本物の人物だ、俺が唯一尊敬している人でもある。」
あきらが、しみじみと言葉を確認するように言った。
「ロングさん、竹崎は政治家とマスコミには噛み付きますが、弱い立場の人には、神様のように優しい人ですよ。」
言うとカップルは、お互い背中をさすりながら、安堵の表情で見つめ合った。
「マスコミが、新社長の就任会見の凄んでいる写真を、使いまくりましたからね。」
あきらは大きく頷いた。
そして誠に対して、
「誠さん、決めました。
俺はタケザキにお世話になる。
いつから働けるかな?」
「分かりました。
今日からアパートに住めるように、直ぐに手配します。」
「誠さん、二つお願いします。」
間を置かずに、川夫が告げた。
「了解しました。」
と誠は携帯を取り出して、経理の亜利沙に連絡を取った。
通信音が流れている間に、ロングが
「誠さん。」
亜利沙に告げる部屋数が決まった。
抱き合っていたロングとローザが、まるで記念写真でも撮るように、Vサインでなく、指を三本突き出していた。
誠は、親指を立てて、二人に合図した。
二人も同じポーズをした。
「亜利沙さん、三部屋お願いします。」
亜利沙は、機転が利く女である。
アパートの手配だけでなく、電気、ガス、水道の手配はもちろん、寝具用具のとりあえずのレンタル、かつ生活準備品を買うために、竹崎に、途中で買い物に寄るようにお願いした。
また雑貨一覧のコピーまでも、竹崎に渡したという。
皆にその事を告げ、先程、駅ビルで下ろしたお金を、封筒に入れて三組の男女に渡した。
「これは会社からの、入社祝いです。
これで必要な物を買って下さい。」
とそれぞれの女性陣に渡した。
予期せぬ事に、皆、恐縮して中身を確認して皆、驚愕した。
「ご!五十万!」
「はい、竹崎の好意です。
ちょうど、これから竹崎に会えますから、礼が遅れなくて良かったですね。」
三組の男女は、お互い顔を見合わせた。
そして皆、手を繋ぎあった。
しばらくの時間、下を向いていた。
カーペットに、12個の瞳から流れ落ちる涙も、しばらく続いた。
久しぶりに味わう、人からの好意が嬉しかったのだ。
誠は、皆に背を向け、時が経つのを待った。
先程、僕は、
「面接は合格です。」
と皆に言った。
「あの日、竹崎から言われた事を、そのまま言ってたな。」
誠は笑ってしまった。
「師匠に似てきたか!
思えば、あれから俺の人生は変わった。
次はこの人達の番だ。」
と独白していた所に、ポンと肩を叩かれた。
「誠さん、社長は何時頃、到着するのかな?」
あきらが、今まで見たことはない、晴れやかな表情で言った。
「そうですね?一時間はかかるでしょうか?
それまで、皆さんは荷物の整理ですね。」
皆、一同に晴れやかな表情である。
「これから私達は、社長さんや、誠さん、先程の優しい経理の方達がいるタケザキの為に、身を粉にして働くわよ!
このご恩に応えなくっちゃ!」
あけみは、いつものように顔面神経痛の顔半分を髪で隠し、
両手を前に出して、掌を合わせた。
いつも笑顔は出さない人ではあるが、この日、初めて笑顔を誠は見た気がした。
と、
その時、
開けられた窓から、清々しい一陣の風が、
あけみの、
いつも顔を隠している髪を、
持ち上げた。
風は、
透明な指の形となって、
最初にあけみの頬を撫でて、
髪を外側からなぞった。
そして、
内側へと
スーッと抜けて行き、
波打った髪は
ゆっくりと、
顔に
優しく収まった。
それは一瞬であったため、誠のいる位置からしか見届けられなかった。
誠は、息が詰まるほどの感動を受けた。
「奇跡だ!顔面神経痛が治っている!」
誠は窓辺から、外を眺めた。
しばらく、あけみが投げかけた笑顔の美しさに感動していた。
誠は、心を落ち着かせ、この奇跡を、早く兄であるあきらに知らせようと振り向いた時、そこは、狂騒が始まっていた。
「さあ、皆、社長に嫌われないように!まずは体を拭こう!」
あきらは皆にいう。
「下着は洗ったのが、それぞれのカゴに入っているわ!」
あけみが続く。
「あー!口紅、赤色買っとけはよかった!」
川子が焦りながら言う。
「誠さん!ヒゲは剃ったほうがいいかな?」
川夫が言うと、
「川夫さん、ロングも一緒に外でヒゲを剃ろう!」
あきらは男性陣を促した。
「そうして下さい!私たち女性陣は中で、体を拭くから!」
川子が言うと、
「ロング!覗くんじゃないわよ!」
とローザがロングに凄むと、誠を含む男性陣は苦笑いとともに、こそこそとプレハブを出た。
球のような大きな雲は、変わらずに天上で動めいていたが、今、雨は小降りであった。
ゆっくりと身支度をする機会を与えているように感じられた。
風も休止していた。
皆、一様に、持っているもので、最高の正装をした。
片付けが終わり、各々、荷物を袋やカバンに納めた。
プレハブの中は何も無くなった。
各々、プレハブの中を、別れを惜しむように、隅々まで記憶の中に刻むように見渡した。
ローザが突然、体を回転させて歌いだした。
クラシックバレェを過去に習っていた事が、あきらであるような、品の作りと艶やかさであった。
歌は、驚くほど、上手かった。
これも誰かに着いて、習得したであろう、プロ級の澄み渡る声であった。
ローザも、どうしても抜け出せない環境から一転して、ここから飛び越えられるかもしれない希望の前で、自ずと歌が出てきたと思う。
それは魂から湧き出た歌であった。
ロングが歌に合わせて、手でギターを弾く真似をして、擬音で伴奏した。
バラードであった。
♪夢を持って行きましょう。
♪悲しい時こそ、微笑み忘れずに、
♪胸に希望の明かりを灯し〜♪あきらめないで、今を生きましょう〜♪
〜♪たとえ嘆きの谷を歩んでも〜♪道は峠を必ず超えますから〜♪
皆に、その美声と歌詞が心に沁みて行った。
皆、泣いていた。
歌い終えたローザは、最後にバシッとロングの後頭部を叩いた。
笑いと共に、拍手で二人を称えた。
「ローザちゃん!ありがとう!」
川子が目頭を押さえながら言うと、
「ブラボー!」
とあけみが両手を上げて、歓声をあげた時に、垂れた髪も一緒に持ち上がった。
あけみの顔があらわになった。
「あけみさん!顔が治っているわ!」
川子が、あけみに抱き着いた。
あけみは慌てて顔を覆った。
「うそでしょ!」
「あけみねえさん!本当よ!これを観て!」
ローザが鏡を、あけみに渡した。
あけみは、下を向いた。
恐る恐る、手を顔から離し、ローザから渡された鏡を、手にした。
鏡は震えながら、あけみの顔を写した。
鏡に涙がいっぺんに滴っていった。
あけみは、ゆっくりと顔を上げ、あきらを探した。
あきらは泣いていた。
あきらは、あけみを抱きしめた。
「妹よ!今まで、苦労を掛けたね、ごめんな!」
皆、二人に拍手を送った。
浮浪者という、”決して浮かび上がることがない”、という強迫観念から逃れた今、病も引いて行った。
皆、プレハブに一例して、外に出た時に、土手から、草をザワザワと音を起てて、下りて来る人がいた。
竹崎である。
「やあ!皆さん!」
小走りに駆け降りて来て、
「皆さん!遅くなりました!
私が竹崎です!」
竹崎は作業服のままで、額には汗を流して皆と握手した。
六人はそのスピードというか、せっかちというか、竹崎のバイタリティの前で、面食らった表情である。
「今回は、私どものために、手を貸して頂けるという事で、本当に感謝致します。
まあ、自己紹介は車の中でするという事で…
荷物はこれですか?」
と、次には竹崎は、皆の袋とカバンを奪うように手にした。
「さあ!行きますか!
途中で買い物もありますからね!
」
「はっ!はい!」
皆は、圧倒されながらマイクロバスへ促された。
誠はニコニコと事を眺めていた。
「誠君、後はよろしく!
あと、井上祐一君が会社に訪ねて来てて、一緒に来たんだよ。
まあ、積もる話もあるだろうから、後はよろしく!」
と土手の上を見ると、祐一が微笑み、片手を上げて立っていた。
誠は予期せぬ、祐一の来訪に心臓が破裂しそうであった。
キュルキュル!と音を出して、マイクロバスは発進して行った。
竹崎が現れて、車が出発するまで、五分と掛かっていない。
絶滅から、期待へ、そして好転へ向かって行く過程で、幸運の女神は、感傷すら与えない程のスピードで召し抱えて行った。
誠は、素早く、祐一をプレハブに招き入れると、お茶の用意のため、残して置いた紙コップを手にした。
「誠君、再開を祝ってこれにしよう。」
と祐一は手にしていたコンビニ袋から、缶ビールを取り出した。
「祐一さん、ご無沙汰いたしておりました。
祐一さん、色々とありがとうございます。」
と誠は、竹崎を紹介して頂いた事と、それに尽力してくれた祐一の慈愛に、心からお礼を言った。
「堅苦しい事はいいって!
それよりも、早く乾杯しよう。」
二人は一気に、ビールを飲み干した。
一仕事を終えた誠の喉を、冷たいビールが爽やかに流れて行く。
湿気があるといっても夏である。
冷たいビールは、やり遂げた充足感の心に、至極の憂いを与えた。
祐一も「ふっ!美味い!」
と言って、昔の接待の時に、誠とグラスを傾けあった頃を思い出していた。
とその時、外は灰色の雲の固まりが、耐え切れなくなった膨張を止めることなく、大粒の固まりを地に向けて、叩き付けた。
風も辛抱していたように、吹き荒れた。
プレハブの壁に、浮力で回転させながら、また機関銃の如く、打ち込まれて行った。
六人の再出発の儀式の時だけは、情けをかけて、止んであげていた、という切り替わりであった。
祐一は久しぶりに見る、誠に対して、
(礼儀正さからくる、優しさは変わらずだな、前よりも痩せたが、逞しくなったな!)と祐一は思った。
動作の機敏さは、竹崎に似てきたな、とも感じた。
祐一にとって、誠は更に好感度を増して行った。
「竹崎さんに掛かったら、プレハブ生活との別れのセンチな気持ちも、あったもんじゃないね。」
祐一は誠のコップにビールを注ぎながら言った。
誠は恐縮しながら、祐一に返杯をして、
「社長はひたすらに、次しかありませんから。」
笑いながら二人は、先ほどの竹崎のせわしなさと、その迫力に驚いた六人の表情を思いだし、大声を出して笑った。
「しかし、誠君、大変な仕事に就いたね。
順調かい?という一般的な挨拶も慮るけど。」
祐一は、誠に微笑んで、少し申し訳なさそうに言った。
「いえいえ、祐一さんには感謝しています。
社長いわく、これは仕事ではなく使命だ、という貴重な役目を頂きました。
何だか分かりませんが、ここに知らない間に導かれた、と感じるんです。
感謝しています。」
誠は祐一に、再度、頭を下げた。
二人は、二本目の缶ビールをお互い注ぎ合った。
暗いプレハブを一瞬、輝かせる稲光が走った。
祐一は、今、誠が言った「導き」という言葉に敏感になった。
それまで祐一の心で確信していた観念を、誠が代弁したように思った。
(導きか!まさしくその通りだ!今、俺は亜利沙という最愛の伴侶を得た。
それは俺にとっては導きであった。
しかし、その過程で誠君!君に真由美という貧乏くじを引かせてしまった。
誠君!すまん!)
祐一は心で、誠に頭を下げた。
「誠君、何日くらい、家に帰ってないんだい?」
「そうですね?」
誠は祐一に今日の日付を聞いた。
「二ヶ月ですね。」
「そうか。
仕事が忙しいのは分かるが、たまにはリサ孝行もしてあげてよ。」
誠は、はいと言うと、照れ笑いを浮かべた。
(奥さんの手料理で栄養付けて。)
と祐一は言おうとしたが、止めた。
「今日は、リサの誕生日だよ。」
誠は「あー!」と唸った。
祐一は誠の肩をポンッと軽く叩き、大声で笑った。
二人は三本目の缶ビールを開けた。
そして祐一は、
「ところで誠君の、前の会社なんだが。」
と、誠には、触れてほしくない領域に話を移した。
そして祐一は、驚く言葉をもって切り出した。
「誠君、最近、変な男に後を付け回されたりしていないか?」
「祐一さん、いえ、そういった事はありません。
浮浪者を追い回す人間は、いないでしょう?」
「そうか、それならいいんだ。」
「何かあったんですか?」
稲光が、回数を徐々に増し、強烈な音を外界に轟かせ始めた。
光りは二人の顔を、フラッシュバックさせ、青白い光りの中に時折、鮮明に浮かび上がらせた。
「君を風評被害に遭わせた、同期の田下部長だが…」
祐一の顔が、一瞬光り、今までの優しい表情が、次のフラッシュバックの時に、鬼の血相になった。
光りは青白く、誠の眼の奥にある、心眼に焼き付いて行った。
「田下部長は、失脚したよ。」
この言葉が終わったと思った瞬間、地に落ちたであろう、稲妻の爆音がした。
「…田下が…失脚…ですか…?」
「うん!懲戒解雇だ。
その上司の浮佐専務は平部長に降格だ。」
この言葉が終わった後の祐一は、いつも通りの、温和な顔をフラッシュバックの光りに映していた。
そのいきさつを、祐一は誠に語り出した。
その頃、流れる川の上流では、大雨警報が発令された。
橋の下にあるプレハブではあるが、川そのものからは、かなりの距離を有していて、上流から大きい鉄砲水が来ても、浸水しないという、国が試算した場所であった。