井上祐一(セバスチャン)
その夜、空は多くの星座で輝いていた。
初冬の、そこ冷えする冷気の中で、星座の配列は崩れる事なく、永遠に型にはまった版画のように鮮明であり、かつ尊厳にゆれ動く事なくそこに鎮座していた。
冷気は、星座の光りが放つオーラと結合し、威厳ある目に見えない固体のように、地にある全てのものを支配していた。
井上佑一は帰宅した車から降りると夜空をしばらく仰いでいた。
それらの星々の輝きは、悠久の光を佑一に注いでいた。
「何千年前の光を浴びているのだろうか。」
仕事の煩雑さが、佑一に自然の中に溶け込む余裕を奪っていたが、その日は一年係りのプロジェクトがほぼ成功したため、余裕が導くように夜空に眼を行かせた。
佑一は知っている星座の形を追った。
それらの形は懐かしい郷愁の思いを抱かせながら、心の中に溶け込んでいった。
あたかも誰かに抱き締められているかのように、心が落ち着いた。
しかし次の瞬間に突然、佑一の心に言い知れぬ「恐怖心」が襲って来た。
オリオンの中芯から、刃が落ちて来る光景が脳裏に浮んだ。
「疲れているんだな。」
佑一は恐怖心を振り払い、誰もいない、温まっていない、我が家へと入った。
佑一はソファーで音楽を聴きながら、ワインを楽しんでいた。
そこへ携帯が鳴った。
「私だけど・・」
別れた妻の真由美である。
「リサの運動会、来週の日曜日なんだけど・・
あなた出てくれないかしら・・」
「ああ、願ってもない事だけど・・
君達は・・」
「私達、ちょっと新居の事で出かけるの・・
彼もその日しか時間がなくて・・」
早口にまくし立てる。
もうそうすべきなの、と言いたげな口調である。
「いいでしょ!
貴方の一人娘に会わせてやるんだから!」
祐一のグラスを持つ手が震えた。
「分かった、学校直接でいのかな・・」
別れた妻の今の夫は、佑一の取引先の男で田中誠という。
別れた妻と誠との出会いは、スポーツサークルであった。
誠は身長が高く、細身で、情に篤く、女性より気が付く男である。
繊細であるが為、気は弱かった。
真由美は、佑一と誠が面識がある事は知らずに接していた。
誠は七年前に奥さんを亡くしている。
子供は居なかった。
誠は真由美を一緒の境遇と思っていたらしい。
「私も夫をなくしたの。」
の言葉に誠はだまされた。
「なくした」と言う言葉を誤解させ、真由美はたくみに誠に接近した。
真由美は、独り身になった誠の寂しい心の隙間に入り込んで行った。
誠は三十半ばで、一流商社の取締役営業部長であった。
真由美には魅力のある肩書である。
誠は真由美を愛した。
真由美も初めは、誠を愛した。
祐一達の結婚は十二年で終わったが、真由美は三年前にデザイナーの会社を立ち上げ、社長であり、自立出来るほどの収入になった。
その頃から、真由美は佑一をさげすんでみるようになっていった。
夫が自分より弱い立場になったからである。
佑一は妻の変化に耐えていた。
妻に新しい男が出来た事は、薄々感じてはいたが、まさか取引先の、懇意にしている誠であるとは思ってもいなかった。
妻と離婚したあと、
誠から籍を入れた事を申し訳なく告白された時は、佑一は全く冷静でいられた。
「申し訳ございません。」
「いや、気にしないでいいよ。
これが彼女の望みであれば、それでいい。」
祐一は誠に対して好感を持っていた。
佑一に怒りや憎しみは沸いて来なかった。
いや、かえって真由美のさげすみのまなざしから、開放される喜びの方が大きかった。
ただ、一人娘のリサと別れる事だけが、悲しとして残った。
しばらくして、今度は電話が鳴った。
会社の経理主任の、山口亜利紗からである。
「夜分遅く申し訳ございません。
山口です。
部長、今回のプロジェクトの成功、おめでとうございます。」
「ああ、山口君か、ありがとう。
お陰様で何とかなりそうだよ。」
「本当におめでとうございます。
部長は人一倍、ご苦労なされましたので・・
ぜひ一言言いたくて・・申し訳ございませんでした。」
亜利紗は話しているうちに込み上げてくるものがあったのだろう。
すすり泣く声が聞こえた。
経理主任といっても、山口亜利紗はまだ三十歳手前である。
スレンダーでスタイルがよく、ロングの髪をなびかせて歩く姿は、モデルと言ってもおかしくない程である。
社内で、亜利紗に興味が無い男は、ほとんどいなかったが、あまりの容姿と心の美しさに、皆、高値の華と諦めていた。
独身で、礼儀正しく、おまけに優しい性格なので、浮いた話もありそうなはずだが、佑一にそのような話が伝わって来た事がなかった。
「ご家族団欒の中、誠に申し訳ございません。」
「いや・・
今日は一人なんだ・・」
「お一人・・
奥様やお子様は・・」
「いや・・
ちょっとね・・」
「そうでしたか・・
失礼いたしました。
では・・
部長、おやすみなさい。」
離婚したことはまだ数人しか知らない。
まあ、知れわたるのは時間の問題だろうと、佑一は離婚した後ろめたさはない。
それよりも妻のさげすみのまなざしの辛さにくらべれば、噂話しの主人公になる事など、取るに足らない事と思えた。