山狩り
誠は、サコーズ本社ビルの裏にある、警備室から手続きをして中へ入って行った。
人目がつかないように、また怪しまれないように、サコーズと胸に書かれた作業着を着て、入るようにしていた。
誠の執務室がある三階は、フロア自体が資料室などがある無人の階であった。
なるべく人目に晒されにくい配慮がされていた。
十畳ほどある執務室に入ると、誠はブラインドを上げ、早速受話器を取った。
朝日が、ビルの谷間を抜けて、部屋のあらゆる場所に拡散して、白いデスク上で、光りが反射し、誠の焼けたヒゲ面を輝かせていた。
電話で竹崎に毎日、報告をするのだが、いつも誠に対する、健康と、娘のことで話は終わってしまう。
今、竹崎の下で働いている元ホームレスたちは竹崎本人とボランティアの人達が直接、回って救済した人達であった。
誠のように、実際にその中に入って救済したものではない。
「誠君しか現場はしらないんだから、任すよ。」
というのが竹崎の口ぐせであった。
コードレスを持つ手は汗ばんでいて、先程点けたクーラーの涼風が、徐々に、真夏の灼熱の塊を飲み込んでいった。
誠は、毎日の義務である、竹崎専用の携帯に電話した。
すでに竹崎には、六人の事を伝えていた。
「まだ、皆には伝えていませんが、先日お話しした三組の男女を、救済しようと思います。」
「分かりました。
まあ、人生のちょっとしたズレの修正をお手伝い出来るといいね。」
竹崎はいつもの優しい口調で言ってくれた。
「誠君の初めてのスカウトする人達だ、誠意を持って迎えよう。」
「ありがとうございます。」
「それとその人達に伝えて欲しいのは、復帰することで、復帰する前の付けを清算しなければならない、という事だ。
これが案外と勇気がいる。
例えば、もしホームレスになった理由が、借金であったならば、名前と住所の登録をする事で、借金の債権者が現れるだろう。
そこで改めて自己破産をしてもらい、その費用を会社の経費として損金扱いにする。
復帰する事への、不安を無くする言葉を伝えて欲しい。
その人達には、我々には理解出来ない、葛藤があるはずだからね。」
誠は久しぶりに、仕事でやり遂げるという充足感に浸った。
また、やっと竹崎の期待に応えられそうな事に、心から沸き上がる喜びを味わった。
誠は今日にでも、(正規の仕事と社宅、市民権の復権、それを会社がバックアップすること等など)を皆に伝えてあげようと思った。
誠は危うく、有頂天になりかけた。
傲慢の毒薬が入りかけたその時、竹崎は、察するように言葉を続けた。
「それでだ、誠君。」
「…はい?」
竹崎の声が急に低くなった。
「君の言う、段ボールハウス組みの人達は、まだ良いとして…
新聞紙組みの、ハウスを作る気力も失せた人達だが…」
竹崎は間を置いていった。
「どうする?」
その口調は、優しかったが、重たかった。
誠の心に、鮮やかな気付きが与えられた。
(目先だけに囚われていたな!まだまだ俺は甘ちゃんだ。
俺自信が、新聞紙組みの人達を、見捨てていたじゃないか!)
竹崎の言葉は、全く威圧が無かった。
しかし鋭かった。
数秒の時間が空いた。
竹崎は応えを待っていた。
試しの時間は、数十分にも感じた。
誠は言葉が出なかった。
「まあ、慌てなくてもいい、じっくり考えてくれたまえ。
いや、無理であるならばそれでいい…
現場を知っているのは、誠君しかいないのだからね…」
「は、はい、最善を尽くします。」
「身体には注意して。」
と言うと、電話は切れた。
なんて俺はいい気になっていたのだろう。
ホームレスで、また浮き上がりたい人達はいる。
その人達を見出だすことは、心ある人であれば出来るはずだ。
ボランティアの人達で事足りる。
俺でなくてもいいのだ。
しかし、竹崎は俺に任務を任せてくれた。
「上下、左右、
全体を観なさい!」
と、いうことか!
誠はその時に、竹崎の”使命”という任務を理解した。
真の慈愛とは、こういう事か!
誠は改めて、竹崎の真意と心意気に感じいった。
夕方になり、誠は、三組の男女が集う時間に間に合うように、サコーズを後にした。
いつものように、朝と夕方に、サコーズの食堂に運ばれている、タケザキからの弁当を持って。
プレハブに向かう橋の歩道では、その日たぎり尽くした太陽が、徐々にその姿を落としつつあった。
天は、脇役を変えて、その灼熱に耐えた褒美として、清々しい清風と、地平を機転にして、紅い夕焼けを用意していた。
体感には優しい風を送り、視覚には自然が描いた、荘厳なスケッチを人々に与えていた。
橋の上での、車や人々の往来は、変わらず激しかった。
しかし、人々は朝よりも、多少の笑顔があった。
誠は新たな課題を竹崎からもらったが、とりあえずは皆にどのように話すか、考えていた。
心が躍っていた。
しかし、プレバブに近づくにつれ、人だかりが出来ていた。
誠は慌てた。
不安がよぎった。
何があったのだろうか?
小走りになった。
両手に持つ弁当を入れた袋に、汗がしたたり落ちた。
近づくと車が三台、わずかな土手のスペースに停まっていた。
パトカーが二台、白い車が一台。
その白い車のボディには○○役所と書かれていた。
橋の歩道から、やじ馬達が徐々に人数を増やし、下の様子を見ていた。
誠は身構えた。
ひょっとして”山狩り”がこのプレハブに焦点を合わせたのだろうか?
誠はやじ馬達を掻き分けて、プレハブに下りる土手へと出た。
案の定であった。
市の職員らしき、ワイシャツにネクタイ姿の男と、あきらが口論となっていた。
その横で警官が三人、腕組みをして立っていた。
あきらは興奮し、身体が小刻みに震えていた。
その身体にしがみつくように、妹のあけみが制止していた。
あけみの必死さに、顔面神経痛で吊り上がった顔の半分がさらけ出されていた。
やじ馬たちの中には、その顔を見て、立ち去って行く者がいた。
役人と警官は、どうせ手出しはするまい!
という態度で笑みを浮かべ俯瞰していた。
誠は、手に持っていた袋の中から、一番上の弁当を取り出した。
そして弁当の輪ゴムに、自分の名刺を挟んだ。
下では、寝ていた残りの二組のカップルも起きてきて、威嚇する態勢を取ろうとしていた。
誠は慌てて皆を制止し、役人と警察に近づいて言った。
「このプレハブは私の物です。
近くの建築業の方からもらった物ですが、何か?」
「いや、市の条例で、この場所に建物を建てる事は、禁止なんですよ。
で、一週間待ちますので、その後、このプレハブは撤去します。
それを伝えに来たんです。」
三十歳くらいの背の低い、少し小太りの髪を七三に分けた役人は、笑って応えた。
その眼には、有無を言わせない、という威厳と傲慢が感じ取れた。
青いネクタイが風に揺られていた。
「おい!こらぁ!
俺達が何悪いことしたって言うんだ!
悪臭も騒ぎも出しちゃいねえやぁ!
あん!
お前らはそれでも人間か!」
「あんた!お止めよ!」
仲間で一番若いロングが言うと、恋人のローザが止めた。
「私達は日雇いですが、ちゃんと仕事しています。
人様に迷惑はかけていません!」
川子が、あきらの横に並んで懇願する。
夫の川夫が、妻の横で相槌をうつ。
誠は、皆と役人の間に割って入り、
「おっしゃる事は分かりました。
この弁当は、橋向こうのコンビニのご主人達から、その日の賞味期限が切れたものを頂いているものです。
一つ僕の分をあげましょう。
決して私達が回りの人達から嫌われていない証拠です。」
誠は、役人の手を取り、裏に忍ばせた名刺を渡した。
体格のいい警官達が、身構えたが、誠は目配せをして凜とした態度で、無抵抗を示した。
役人は面倒くさそうに、名刺に眼を通した。
が、次の瞬間には、突き出していた顎は引かれ、腕は下に置かれた。
「明日、役所に伺いましょう。
私達が、誰にも迷惑かけていないと言うことを、知って頂きたい。」
誠は役人の手に、弁当を載せた。
笑みを浮かべて、役人を見つめ続けた。
役人は、すぐに目線を下に移した。
「明日、役所に十時に伺いましょう。
今日の所は、これで勘弁して下さい。」
「分かりました。では明日、お待ちしています。」
役人達は、先程までの慇懃な態度とは打って変わって、丁寧に頭を下げて、足早に去って行った。
あきらは、役人達が見えなくなると、その場にひざまづいて、大きく肩で息をした。
「あきらさん、大丈夫ですか?」
誠が振り向いて駆け寄ると、皆も駆け寄って来て、あきらを気遣った。
「とりあえず中にはいりましょう。」
とローザが皆を促した。
ホームレスに落ちた人達は、面が割れるのを嫌う。
皆、すぐさまプレハブに入った。
役人達が帰ると同時に、やじ馬達も姿を消した。
あけみは兄に、お茶の入ったコップを差し出し、あきらは一気に飲みほした。
「ふぅ!落ち着いたよ。」
あきらの眼に安堵が戻った。
「あいつら急に来やがって!名前と住所を聞きやがったんだ。」
「名前と住所?」
川夫が、呆れたように表情を強張らせた。
「馬鹿じゃないの?ホームレスに名前と住所を聞くなんて!」
ローザが言うと、
「ほう!ローザちゃんだったら何て言うの?」
「決まっているでしょ…!」
質問して来た、彼氏であるロングに何か言おうとしたが、
「その時はね…?」
ロングの次の一言が、ローザの怒りを買ってしまった。
「何ですか?」
ローザはその瞬間、バシッと!
いつものよりも強く、ロングの後頭部を平手打ちにした。
「この真面目な時に、馬鹿な事!言ってんじゃないわよ!」
皆、その平手打ちの大きさに一瞬、引いてしまった。
ロングが頭を抱えて、怯えた子犬のようにローザを見ている。
ローザは鬼のように腕組みしながらロングを睨みつけている。
しばらくの沈黙があり、皆が笑いをこらえるのに必死であった。
しかし、たまらない。
まずあきらが大声を出して笑った。
皆、我慢していたが、あきらの笑いが合図となって、関を切ったように爆笑になった。
ロングも、照れ笑いで続いた。
ローザだけは、睨みを和らげなかった。
誠は、皆の笑いが落ち着くのを待って言った。
「皆さん、明日役所に話しに行ってきます。
どうなるか分かりませんが、努力しますので待ってて下さい。」
誠は笑みを含んで言った。
「誠さん、ありがとう。」
あきらが頭を下げて笑みを返すと、
「誠さん、いったいあなたは何者なんだい?」
「はい?」
あきらは笑みを絶やさずに言った。
「いや、誤解しないでほしいんだが。」
あきらは、仲間を見回して、続けた。
「誠さんが、俺達の見方だという事は分かっている。
しかし俺達は匂いで分かるんだよ。
誠さんには、俺達のような世捨て人には無い、匂いがある…
それは希望なんだよ。」
皆、誠を見つめながら、あいづちを打った。
「誠さん、話してくれないか?」
あきらに、責める気持ちは無かった。
ただ真実が、知りたかった。
それは、皆も一緒であった。
これまで皆が、誠の正体を聞けなかったのは、聞いた時点で誠が居なくなるのでは?と思っていた。
あきらは役人の回し者じゃないか?
また、ただの無責任なボランティアかぶれじゃないか?と疑心が支配したこともあった。
それでも皆には、誠から湧き出ているオーラが、
(もしかしたら、わずかな希望をもたらしてくれるのでは?)
と微かな希望を抱いた。
少しばかりの疑念と、わずかな希望。
その狭間の中で、常に皆の信頼を得ていた。
先程の役人達との誠の態度で、皆の中に信頼という確信が、確固なものとなった。
誠はホームレスで無くても、皆の仲間であると全員が確信したのだ。
誠は、やっと話せる機会が来たことに感謝した。
「皆さん、実は…。
…話すと長くなります。
明日、僕は役所に行ってきます。
夕方、皆さんが集うこの時間に、結果と一緒にお話しします。」
皆、お互い顔を合わせ、笑みと共に大きく頷いた。
誠も笑みを返した。
膨れ上がった入道雲の紅が、紺碧に変わり、天上には一番星が輝いた。
そよ風が、岸辺に生わった草花を優しく揺らす。
川向の庁舎から、時刻を告げる鐘の音が響き渡り、天上から、また地上からも、何かを賛美するかのようであった。
六人の男女は、常に試練の中で苦しんでいた。
しかし、投げることはなく、生きた。
ホームレスになっても生きることを選んだ。
ついに人生は、六人に、つまづきへの魂の叫びの先にある、ご褒美を用意仕出した。