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ラセン  作者: 天咲賢治
19/48

山狩り

誠は、サコーズ本社ビルの裏にある、警備室から手続きをして中へ入って行った。


人目がつかないように、また怪しまれないように、サコーズと胸に書かれた作業着を着て、入るようにしていた。


誠の執務室がある三階は、フロア自体が資料室などがある無人の階であった。


なるべく人目に晒されにくい配慮がされていた。


十畳ほどある執務室に入ると、誠はブラインドを上げ、早速受話器を取った。


朝日が、ビルの谷間を抜けて、部屋のあらゆる場所に拡散して、白いデスク上で、光りが反射し、誠の焼けたヒゲ面を輝かせていた。


電話で竹崎に毎日、報告をするのだが、いつも誠に対する、健康と、娘のことで話は終わってしまう。


今、竹崎の下で働いている元ホームレスたちは竹崎本人とボランティアの人達が直接、回って救済した人達であった。


誠のように、実際にその中に入って救済したものではない。


「誠君しか現場はしらないんだから、任すよ。」


というのが竹崎の口ぐせであった。


コードレスを持つ手は汗ばんでいて、先程点けたクーラーの涼風が、徐々に、真夏の灼熱の塊を飲み込んでいった。



誠は、毎日の義務である、竹崎専用の携帯に電話した。


すでに竹崎には、六人の事を伝えていた。


「まだ、皆には伝えていませんが、先日お話しした三組の男女を、救済しようと思います。」


「分かりました。

まあ、人生のちょっとしたズレの修正をお手伝い出来るといいね。」


竹崎はいつもの優しい口調で言ってくれた。


「誠君の初めてのスカウトする人達だ、誠意を持って迎えよう。」


「ありがとうございます。」


「それとその人達に伝えて欲しいのは、復帰することで、復帰する前の付けを清算しなければならない、という事だ。


これが案外と勇気がいる。


例えば、もしホームレスになった理由が、借金であったならば、名前と住所の登録をする事で、借金の債権者が現れるだろう。


そこで改めて自己破産をしてもらい、その費用を会社の経費として損金扱いにする。


復帰する事への、不安を無くする言葉を伝えて欲しい。


その人達には、我々には理解出来ない、葛藤があるはずだからね。」


誠は久しぶりに、仕事でやり遂げるという充足感に浸った。


また、やっと竹崎の期待に応えられそうな事に、心から沸き上がる喜びを味わった。


誠は今日にでも、(正規の仕事と社宅、市民権の復権、それを会社がバックアップすること等など)を皆に伝えてあげようと思った。


誠は危うく、有頂天になりかけた。


傲慢の毒薬が入りかけたその時、竹崎は、察するように言葉を続けた。



「それでだ、誠君。」


「…はい?」


竹崎の声が急に低くなった。


「君の言う、段ボールハウス組みの人達は、まだ良いとして…


新聞紙組みの、ハウスを作る気力も失せた人達だが…」


竹崎は間を置いていった。


「どうする?」


その口調は、優しかったが、重たかった。


誠の心に、鮮やかな気付きが与えられた。


(目先だけに囚われていたな!まだまだ俺は甘ちゃんだ。

俺自信が、新聞紙組みの人達を、見捨てていたじゃないか!)


竹崎の言葉は、全く威圧が無かった。

しかし鋭かった。


数秒の時間が空いた。


竹崎は応えを待っていた。


試しの時間は、数十分にも感じた。


誠は言葉が出なかった。


「まあ、慌てなくてもいい、じっくり考えてくれたまえ。


いや、無理であるならばそれでいい…


現場を知っているのは、誠君しかいないのだからね…」


「は、はい、最善を尽くします。」


「身体には注意して。」


と言うと、電話は切れた。


なんて俺はいい気になっていたのだろう。

ホームレスで、また浮き上がりたい人達はいる。


その人達を見出だすことは、心ある人であれば出来るはずだ。


ボランティアの人達で事足りる。

俺でなくてもいいのだ。


しかし、竹崎は俺に任務を任せてくれた。


「上下、左右、

全体を観なさい!」

と、いうことか!


誠はその時に、竹崎の”使命”という任務を理解した。


真の慈愛とは、こういう事か!


誠は改めて、竹崎の真意と心意気に感じいった。


夕方になり、誠は、三組の男女が集う時間に間に合うように、サコーズを後にした。


いつものように、朝と夕方に、サコーズの食堂に運ばれている、タケザキからの弁当を持って。



プレハブに向かう橋の歩道では、その日たぎり尽くした太陽が、徐々にその姿を落としつつあった。


天は、脇役を変えて、その灼熱に耐えた褒美として、清々しい清風と、地平を機転にして、紅い夕焼けを用意していた。


体感には優しい風を送り、視覚には自然が描いた、荘厳なスケッチを人々に与えていた。


橋の上での、車や人々の往来は、変わらず激しかった。


しかし、人々は朝よりも、多少の笑顔があった。


誠は新たな課題を竹崎からもらったが、とりあえずは皆にどのように話すか、考えていた。


心が躍っていた。


しかし、プレバブに近づくにつれ、人だかりが出来ていた。


誠は慌てた。


不安がよぎった。


何があったのだろうか?


小走りになった。


両手に持つ弁当を入れた袋に、汗がしたたり落ちた。


近づくと車が三台、わずかな土手のスペースに停まっていた。


パトカーが二台、白い車が一台。


その白い車のボディには○○役所と書かれていた。


橋の歩道から、やじ馬達が徐々に人数を増やし、下の様子を見ていた。


誠は身構えた。


ひょっとして”山狩り”がこのプレハブに焦点を合わせたのだろうか?


誠はやじ馬達を掻き分けて、プレハブに下りる土手へと出た。


案の定であった。


市の職員らしき、ワイシャツにネクタイ姿の男と、あきらが口論となっていた。


その横で警官が三人、腕組みをして立っていた。


あきらは興奮し、身体が小刻みに震えていた。


その身体にしがみつくように、妹のあけみが制止していた。


あけみの必死さに、顔面神経痛で吊り上がった顔の半分がさらけ出されていた。


やじ馬たちの中には、その顔を見て、立ち去って行く者がいた。


役人と警官は、どうせ手出しはするまい!

という態度で笑みを浮かべ俯瞰ふかんしていた。


誠は、手に持っていた袋の中から、一番上の弁当を取り出した。


そして弁当の輪ゴムに、自分の名刺を挟んだ。


下では、寝ていた残りの二組のカップルも起きてきて、威嚇する態勢を取ろうとしていた。


誠は慌てて皆を制止し、役人と警察に近づいて言った。


「このプレハブは私の物です。

近くの建築業の方からもらった物ですが、何か?」


「いや、市の条例で、この場所に建物を建てる事は、禁止なんですよ。

で、一週間待ちますので、その後、このプレハブは撤去します。

それを伝えに来たんです。」


三十歳くらいの背の低い、少し小太りの髪を七三に分けた役人は、笑って応えた。


その眼には、有無を言わせない、という威厳と傲慢が感じ取れた。


青いネクタイが風に揺られていた。


「おい!こらぁ!

俺達が何悪いことしたって言うんだ!

悪臭も騒ぎも出しちゃいねえやぁ!

あん!

お前らはそれでも人間か!」


「あんた!お止めよ!」


仲間で一番若いロングが言うと、恋人のローザが止めた。


「私達は日雇いですが、ちゃんと仕事しています。

人様に迷惑はかけていません!」


川子が、あきらの横に並んで懇願する。


夫の川夫が、妻の横で相槌をうつ。


誠は、皆と役人の間に割って入り、


「おっしゃる事は分かりました。

この弁当は、橋向こうのコンビニのご主人達から、その日の賞味期限が切れたものを頂いているものです。

一つ僕の分をあげましょう。

決して私達が回りの人達から嫌われていない証拠です。」


誠は、役人の手を取り、裏に忍ばせた名刺を渡した。


体格のいい警官達が、身構えたが、誠は目配せをして凜とした態度で、無抵抗を示した。


役人は面倒くさそうに、名刺に眼を通した。


が、次の瞬間には、突き出していた顎は引かれ、腕は下に置かれた。


「明日、役所に伺いましょう。


私達が、誰にも迷惑かけていないと言うことを、知って頂きたい。」


誠は役人の手に、弁当を載せた。


笑みを浮かべて、役人を見つめ続けた。


役人は、すぐに目線を下に移した。


「明日、役所に十時に伺いましょう。

今日の所は、これで勘弁して下さい。」


「分かりました。では明日、お待ちしています。」


役人達は、先程までの慇懃な態度とは打って変わって、丁寧に頭を下げて、足早に去って行った。



あきらは、役人達が見えなくなると、その場にひざまづいて、大きく肩で息をした。


「あきらさん、大丈夫ですか?」


誠が振り向いて駆け寄ると、皆も駆け寄って来て、あきらを気遣った。


「とりあえず中にはいりましょう。」

とローザが皆を促した。


ホームレスに落ちた人達は、面が割れるのを嫌う。

皆、すぐさまプレハブに入った。


役人達が帰ると同時に、やじ馬達も姿を消した。


あけみは兄に、お茶の入ったコップを差し出し、あきらは一気に飲みほした。


「ふぅ!落ち着いたよ。」


あきらの眼に安堵が戻った。


「あいつら急に来やがって!名前と住所を聞きやがったんだ。」


「名前と住所?」


川夫が、呆れたように表情を強張らせた。


「馬鹿じゃないの?ホームレスに名前と住所を聞くなんて!」

ローザが言うと、


「ほう!ローザちゃんだったら何て言うの?」


「決まっているでしょ…!」


質問して来た、彼氏であるロングに何か言おうとしたが、


「その時はね…?」


ロングの次の一言が、ローザの怒りを買ってしまった。


「何ですか?」


ローザはその瞬間、バシッと!

いつものよりも強く、ロングの後頭部を平手打ちにした。


「この真面目な時に、馬鹿な事!言ってんじゃないわよ!」


皆、その平手打ちの大きさに一瞬、引いてしまった。


ロングが頭を抱えて、怯えた子犬のようにローザを見ている。


ローザは鬼のように腕組みしながらロングを睨みつけている。


しばらくの沈黙があり、皆が笑いをこらえるのに必死であった。


しかし、たまらない。


まずあきらが大声を出して笑った。


皆、我慢していたが、あきらの笑いが合図となって、関を切ったように爆笑になった。


ロングも、照れ笑いで続いた。


ローザだけは、睨みを和らげなかった。



誠は、皆の笑いが落ち着くのを待って言った。


「皆さん、明日役所に話しに行ってきます。

どうなるか分かりませんが、努力しますので待ってて下さい。」


誠は笑みを含んで言った。


「誠さん、ありがとう。」


あきらが頭を下げて笑みを返すと、


「誠さん、いったいあなたは何者なんだい?」


「はい?」


あきらは笑みを絶やさずに言った。


「いや、誤解しないでほしいんだが。」


あきらは、仲間を見回して、続けた。


「誠さんが、俺達の見方だという事は分かっている。

しかし俺達は匂いで分かるんだよ。

誠さんには、俺達のような世捨て人には無い、匂いがある…

それは希望なんだよ。」


皆、誠を見つめながら、あいづちを打った。


「誠さん、話してくれないか?」


あきらに、責める気持ちは無かった。


ただ真実が、知りたかった。


それは、皆も一緒であった。


これまで皆が、誠の正体を聞けなかったのは、聞いた時点で誠が居なくなるのでは?と思っていた。


あきらは役人の回し者じゃないか?


また、ただの無責任なボランティアかぶれじゃないか?と疑心が支配したこともあった。


それでも皆には、誠から湧き出ているオーラが、

(もしかしたら、わずかな希望をもたらしてくれるのでは?)

と微かな希望を抱いた。


少しばかりの疑念と、わずかな希望。


その狭間の中で、常に皆の信頼を得ていた。


先程の役人達との誠の態度で、皆の中に信頼という確信が、確固なものとなった。


誠はホームレスで無くても、皆の仲間であると全員が確信したのだ。


誠は、やっと話せる機会が来たことに感謝した。


「皆さん、実は…。

…話すと長くなります。


明日、僕は役所に行ってきます。


夕方、皆さんが集うこの時間に、結果と一緒にお話しします。」


皆、お互い顔を合わせ、笑みと共に大きく頷いた。


誠も笑みを返した。


膨れ上がった入道雲の紅が、紺碧に変わり、天上には一番星が輝いた。


そよ風が、岸辺に生わった草花を優しく揺らす。


川向の庁舎から、時刻を告げる鐘の音が響き渡り、天上から、また地上からも、何かを賛美するかのようであった。


六人の男女は、常に試練の中で苦しんでいた。


しかし、投げることはなく、生きた。


ホームレスになっても生きることを選んだ。


ついに人生は、六人に、つまづきへの魂の叫びの先にある、ご褒美を用意仕出した。



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