手紙、二
手紙、二
どうしてもお礼が言いたくて、お手紙します。
僕は住み込みで、料理の修業をしているものです。
僕は中学の時にぐれていて、親に迷惑をかけていました。
就職も、父が頼み込んで、やっと許可してもらった日本料理店でした。
料理の修業はつらく、僕はいつも店の寮を逃げ出す事しか考えていませんでした。
入店して二ヶ月後の僕の十六才の誕生日の日、突然両親が店にやって来ました。
近くまで来たついで、とだけ言ってすぐに帰ってしまいました。
その時は、はっきり言って、うざかったです。
わざわざ、何にも出来ない俺を見に来やがったんだ!
なんて怒りに近いものがありました。
その時に、
「この店にずっと根付くように。」
と、サボテンの鉢を置いて行きました。
その日、親方が僕を呼んで話してくれました。
「○○、親が子供を心配するのは当たり前の事だ。
ご両親は本当はお前を抱きしめたかったろうな。
なぜ、早く帰ったか分かるか?
お前の心が折れるのを心配だったんだ。
優しい言葉をかければ、お前は親に甘えて家に帰るだろう、と心配したんだ。
今は辛抱するか、逃げるかの境目だ。
ご両親、最後に、
「よろしくお願いします。
と言って泣いていたぞ!
来年、二人を招待する気持ちでやってみろ!」
僕は部屋に戻って、両親の気持ちを思って泣きました。
それから僕は、一生懸命頑張って修業しました。
そんなある日、突然母が死にました。
交通事故でした。
言えないほど、悲しかったです。
絶対に俺の料理を食べさせてあげるという夢が、半分失くなりました。
一年が経ち、僕の十七歳の誕生日が来ました。
親方のご好意で、父を店に招待出来ました。
僕の夢が叶う日。
僕は前日から、心を込めて父のために仕込みを始めました。
その時、親方から、
「バカヤロー!
お二人様分だろうが!
と怒鳴られました。」
その時は(無駄なのにな?)としか思いませんでした。
当日、父は僕に、
「去年送ったサボテンの鉢を俺の横に置いてくれ。」
と言いました。
腕を振るった会席料理が始まりました。
水菓子を、そしておしぼりと日本茶を出し終え、僕の夢が果たされました。
と、その時、
父の横にあるサボテンの鉢から、
「○○君、お誕生日おめでとう。」
と父と母が一緒に言ってくれているのです。
それも繰り返し、繰り返し。
父は俯いて、大粒の涙を流していました。
僕は何が起きたか分かりませんでした。
すると父が、
「封筒が二つ入っているから、後で見なさい。」
と言いました。
父は親方に、まるで頭を床に付けるかのようにしてお礼を言い、喜んで帰っていきました。
その夜、僕は封筒を開ける前までは、喜びよりも、失敗せずにやり遂げた達成感の方が強かったです。
それから、ゆっくりと封筒を手にしました。
そこには父からと、母からのそれぞれのボールペンで書かれた手紙でした。
去年の誕生日前に書いてくれていたものでした。
今は亡き母の手紙には、こう書かれていました。
「○○ちゃん、今日のお料理、とっても美味しかったわよ、世界一。」
父も、
「美味しかったよ。」
と書いてくれてました。
父も母も、去年から今日の事を見越して書いてくれていたんです。
涙が溢れました。
そして思いました。
「なんて俺は馬鹿なんだろう!
親の気持ちも分からずにグレやがって!」
そしてすぐに気付きました。
親方の
「二人分」
の意味が!
そして、鉢植えのボタンを押すと、母の声がいつでも聞けます。
くじけそうになると、いつも母の声を聞いています。
タケザキ様
この度は、父と母に最高の親孝行が出来ました。
このご恩は一生忘れません。
本当にありがとうございました。
−福岡市−
その後、誠は残り全部の手紙を読んだ。
それにはどれにも感謝の言葉と、それに至ったそれぞれの人生が書かれてあった。
誠は「タケザキ」
で働く従業員達の、愛社精神、勤勉、熱意などを新ためて理解した。
「もう一人では泣くまい。」
誠は心に誓った。
「全員で感動の涙を流すまでは。」
夜の闇は、最高の暗闇を過ぎ、徐々に朝の明るさを増しつつあった。