団欒
家に着くと、妻である真由美とリサが、食事を取っていた。
前もって、面接で遅くなるということを、誠は真由美に伝えていた。
(今日は家にいてくれという、了解であった。)
真由美は名目は社長であるが、今では決定前までの仕事は全部、部下が遂行していた。
真由美は企画の提案と、それらを決定する印鑑を押すだけであった。
よって真由美は気ままに、一人旅をしたりして家を空ける事もしばしばであった。
誠がいなくなった後、リサの面倒をみる時間は、いつでも作れるのだ。
テレビの音しかしないダイニングを開けると、リサは誠の顔を見るなり、駆け寄って来て、抱き着いて来た。
「お帰り、おじさん!」
「ただいま、リサちゃん。
今日はおじさん、お迎え出来なくてごめんね。」
誠は、頭を撫でながら言った。
「うんん、大丈夫だったよ、今日はママが、お家にいてくれたの!」
真由美は振り向きもせずに、箸を口に運んでいた。
「そこにあなたの分がありますから、よそって食べてください。
それと今月分のお小遣い、靴箱の上に置いときますから。」
真由美は食べかけの茶碗を流しに持って行き、リビングを後にしようとした。
この間、誠を見ることは無かった。
「仕事が決まったよ。
今から出張に行ってくる、帰りは何ヶ月後になるか分からない、リサを頼む。」
誠は背中越しに真由美に言うと、リサを席に戻し、
「おじさんはしばらく帰れないけど、お利口さんにしているんだよ。」
とリサに言うと、口をへの字にして、
「早く帰って来てね。」
としたを向いて悲しい表情をした。
真由美はドアに掛かった手を離し、腕組みをしながら振り向き、誠を見て言った。
「会社の名前は?肩書きは?」
矢継ぎ早に質問した。
もし俺が、一流企業の会長室のマネージャーとでも言ったら、この女はどのようなリアクションを興すのだろうか?
「タケザキという小さな会社の人事担当だ、役職はない。」
真由美は呆れたように下を向いて、そして深いため息を一つついた。
数秒たって、顔を上げて言った。
「お給料の事は聞かないわ…
まあ、頑張って下さい。」
と言うと、ドアを大きな音を立てて、出て行った。
誠は考えた。
真由美は誰が見ても美人である。
そのふくよかな体には、女としての妖艶なフェロモンが常に排出されているように、いつ会っても油断を許さない”備えられた美”がある。
顔が小さく、等身に換算すれば八以上はあり、その彫りの深い目鼻立ちから、エキゾチックな雰囲気を漂わせる。
しかし、今日会った、調理場の小肥りの女性の”赤ら顔”とどちらが魅力的な人間か、と尋ねられたとしたら、今は迷わずに後者であると、自信を持って答えられた。
誠は、今日の経験だけで、物事を心眼で見る事を会得していた。
誠は、リサと一緒に食事をし、風呂に入った。
そして一緒に話し、ゲームで遊んだ。
一緒に考え、そしてたくさん笑った。
時間はあっという間に過ぎ、リサをベッドに寝かせた。
誠はリサの寝顔を眺め、将来に祈った。
「心ある女性になるんだよ。」
誠はバックに詰められるだけの下着と、竹崎からもらった資料だけ詰め込んで、ジーパンと長袖のワイシャツ、それと白いテニス帽子を被って家を出た。
闇は成熟しており、日中の陽光の熱は、人々が快適にある分だけ残し、天上へと帰っていた。
天は、夏の星座が支配していた。
それは駅まで向かう誠の足元を、街灯と共に照らしていた。
道すがら、窓辺の向こうから、親子、夫婦の会話や笑い声が聞こえて来る。
それは、窓から洩れる明かりの数だけ聞こえて来た。
誠は駅の前で、深く深呼吸をした。
晩春の凛とした空気が体中に、また心全体に染み渡った。
誠は自らに語りかけるように、心の中で呟いた。
「私に与えられた使命だ。」