表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラセン  作者: 天咲賢治
12/48

決断

「まあ、誠君、座って。」


竹崎は、窓から見える景色を眺めながら言った。


会社の敷地には、芝生が広がり、その真ん中に、青々と繁った葉を持つ大木が、一列に、一定の間隔を保って、並んでいた。


陽光が部屋一面に入り込んでいた。


誠の視界から見える竹崎を、陽光はすっぽりと入るように照らしていた。


竹崎の全身が、陽光の輪の中に入っていた。


その輪は、得体の知れない、尊厳なものに誠は感じた。


それは、見てはいけない封印された絵画、とでもいうような尊厳なもののようであった。


長い竹崎の影が、座った誠を覆い隠していた。


竹崎はブラインドを下ろした。


陽光が遮られた瞬間、竹崎の皮膚から放たれていた光りの蒸気も遮断され、輪郭が元に戻された。


誠は、夢を見ている感覚から覚醒した。


竹崎は席に着くと、誠に尋ねた。


「誠くん、先程うちの従業員を紹介しましたが、あの人達の前職は、何だと思いますか?」


「前職ですか?」


「そうです。」


誠は意表をつかれた。

考えてもいなかった質問である。


誠は”試されているのか”と不安になった。


先程の人達の顔を思い浮かべてみた。

まず全員が優しい。

そして仕事に対して皆、一生懸命である。

ということは(愛社精神)が、他社が真似できないレベルにある。

それと竹崎は

「うちは募集広告はかけない。」


と先程言っていた。

これにより、サコーズから回って来た人達であることは分かった。


しかし、一律に(前職)と聞かれても分かるはずななかった。


誠は答えを導くヒントを探したが、その解答を引き寄せる、みち糸すら見出だせなかった。


明確な答えを捜せば捜すほど、糸の先端の点すら逃げて行った。


「誠君、意地悪な質問だったね。

すまん。」

というと、体を前のめりにして、誠に近づいた。


「誠君、私はあの人達を尊敬しています。

もちろん愛しています。」


「は、はい。」

誠は答える義務が無くなったことに、安堵した。


「あの人達の、前の姿になる経緯は人それぞれです。」


竹崎は誠の目を凝視して言った。

その目が、凝縮された哀れみに変わった。


「倒産した中小企業の経営者、無念にも借金を背負った人、最愛の方を亡くして精神的に参った方など。

人生の経緯の中で、そうなった過程は様々です。


また、今の世の中、誰でもそうなる可能性を秘めている。」


突然、窓の外の大木の枝の繁みから、鳥たちが

バタバタっと飛び立ってこちらに向かってきた。


そして鳥達の影達は、竹崎の背中に吸い込まれてから、まるで彗星のように一団となって、昇天して行った。



「誠君、あの人達は…」


「はい。」


「全員、無職。」


「…はい?」


「全員、浮浪者だったんだ。」


「…浮浪者!」


「ホームレスだよ。」


…なんという事か。


誠はもう一度、先程の人達の顔を記憶の中に呼び出した。


(俺は甘ちゃんだ。まだ住む家があるうちから、心が砕けている。

調理場の長老の曲がった腰には、どれだけの壮絶な人生があったろうか!

揚げ場の小肥りのおばさんの赤ら顔に、想像もつかない秘密があるのだろうに!)


誠は恥ずかしくなった。

しかし、それはすぐに消えた。

その変わりに、身体の芯から熱いものが湧きだし、体内に何かが充満したのを覚えた。


それは使命感であった。



「驚いたかな?」


「…はい、正直、驚きました。」


「嫌になったかね?」


竹崎は悲しい表情を作った。


「いえ、逆です。」


誠の返事には数秒の間も無かった。


その応えの後、竹崎の目が潤んでいく時間は、秒単位に深くなって行った。


「だから僕は”一般”なんですね」


「ははは、そうなんだ、誠君と亜利沙さんが”一般”だ。」


「で僕がホームレスの人をスカウトするんですね。」


「やってくれるか?」


「もちろんです。」


「これは仕事というより、人間の使命感に近いものがあるから、苦しいよ。」


「腹は決まりました。」


「まだ誰も歩んだ事の無い道だよ、マニュアルなんて物は無いんだよ。」


「大丈夫です。」


「彼等の中に入るから、ホームレスになってもらうよ。」


「会長、すでに僕の心はホームレスですから。」


「おぅ、そうか!」


二人は笑った。

徐々にそれは大きくなった。


社長室の外からも、クスクスと押し殺したような笑い声が聞こえた。


二人は立ち上がり、握手を交わした。

竹崎は強く握り絞めた。

誠もそれに応えた。


竹崎は誠の両肩に手をやり、言った。


「愛を持って助けよう。」

「はい。」

誠は力強く応えた。


陽光が二人を祝福するように、影を一つのものとしていた。



二人はすぐに打ち合わせに入った。


「誠君、マニュアルは無い。

だから君が作って行く訳だ。

じゃ、私の意向をこれから話す。」


竹崎の表情は険しくなり、気のいい工員から経営者の顔へと変貌した。


妥協という脆弱な温室の果実ではなく、自然の風雪の産物である流氷のように、厳しい表情であった。


竹崎は誠の前に、すでに竹崎本人が作っていた計画書を出して説明した。


「まず、世間が見捨てた人々に再起の機会を与える。


動機は政治屋が動かなければ、我々民間が動く。


ちなみに私は政治家とは、あいつらの事を言わないから承知してくれたまえ。


コンセプトは、”愛を持って人を救う”だ。


次に第一スカウト期間を12月までとする。

要は冬までに生きる意思がある人達を全員救う事、家の無い人々がどうやって厳しい冬を生き延びられるかね?


竹崎は時々、計画書の紙面には無い、本人の感情も話しながら、進めて行った。


次にスカウト条件は基本、誠君に一任するが、私の意向は”生きる意思のあるもの”。


誠君は銀座のサコーズの本社に出社して、調理部が作った弁当をホームレスの人達に届け、本社に専用室を設けるから、毎日私に連絡すること。


すでに向こうの役員には連絡済みだ。


当座の資金として、明日、二千万円振り込む。


半分、給料とし、残りはスカウトの資金として使ってくれ。


第二期は、また別に振り込む。

以上。」


「まあ、こんなものかな?」


表情が元に戻り、誠を見つめて微笑んだ。


「会長、報酬は一千万ですか!」


「ダメか?

第一期がそれだから、二期分も含めると二千万だが…

少ないかね?」


誠は恐縮した。

「いや、あまりに多いので驚きました。」


竹崎は大声を上げて笑った。


「ろくな仕事もしない政治屋たちが、いくらもらっていると思うんだい!それに比べたら安いもんだ!もちろん昇給はして行くよ。

君は馬鹿正直だな!」


と言うと、先程以上の厳しい顔で、


「これは仕事を超越した”使命”なんだ。


君は、もうすぐ人々から”こじき”扱いされる。


また夏は酷暑の中、冬は吹雪の中、彼等の生活の中に入らねばならない。


どこに愛する社員を、そのような地獄の中に放り出す馬鹿社長がいるかね?」


竹崎は誠の肩を優しく叩くと、自らの肩を震わせ、号泣した。


徐々に陽光は赤く染まりかけていて、二人を優しく染めていた。


誠はこの人のためという、二つ目の使命感を心に強く刻んだ。


誠ももちろん号泣した。


その後、ミーティングは夕方の日の暮れる寸前まで続いた。



晩春の、晴天の地平線はその姿を赤く染めて、対岸に位置する空面は薄青く、徐々に星座を煌めかせつつあった。


二人のいる室には、落日の熟成された陽光が、華麗に充満しており、熟考の会話の余韻に相まって、二人の頬を赤くメーキングしていた。


「じゃ、明日からスタートしよう。」


「承知致しました。」


再度、二人は握手した。


メーキングされた頬に、安堵の微笑みが加わった。


「ところで誠君、明日から当分、家を空けることになるが、奥さんはいいとして、子供さんは大丈夫か?」


「大丈夫です。

妻は社長で、十分に余裕はあります。」


「そうか、今日はたっぷりと娘さん孝行をしなきゃね。」


「ありがとうございます。」


竹崎はデスクに置かれた封筒の束を持って来て言った。


「誠君、この封筒は今日届いた、お客様からのものだ。


だいたい一日に三十から多い時には百通も来るときもある。


中にはクレームもあるが、ほとんどがお礼の手紙だ。


コピーするから読んどいてくれたまえ。読めば総てが分かるよ。」


「わかりました。」


誠が竹崎と固い握手をして、会社を出たときには、日が暮れかかり、夜の闇はまだ未熟であった。


竹崎の計らいで、タクシーで帰った。


その頃には、空には、きらめく夏の星座が鮮やかに輝き、闇は成熟へと向かっていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ