3話 泥の中の狂詩曲
本番当日
東京ドームを埋め尽くす赤のサイリウムの光はまるで禍々しい血の海のようだった
天井まで届く大歓声がドームを揺らし地鳴りのような振動が床を伝って足元から押し寄せてくる
僕は舞台袖の奥深くPA(音響)デスクの死角に潜り込んでいた
スターダストリンクの見習いマネージャーという今の僕の立場では本来このメイン卓に近づくことすら許されない
だが今の僕にはこの会場の最新音響システムにアクセスする「バックドア」を知っているという絶対的なアドバンテージがあった
前世の如月アサヒ時代に僕はこのホールの設計段階から音響アドバイザーとして深く関わっていたからだ
システムの中枢に張り巡らされたセキュリティの抜け道もネットワークの脆弱性もすべて僕の頭の中に完璧に叩き込まれている
ポケットから取り出した小型端末をPA卓の保守用ポートに静かに接続する
画面に流れる緑色のログを横目で見ながら僕はステージ中央へと視線を向けた
ライブは表面上あまりにも順調に進んでいるように見えた
大型LEDスクリーンには涙を流しながら情熱的に熱唱するルナの美貌が巨大に映し出されている
ファンはその神々しいまでの完璧な演技に酔いしれ彼女を唯一無二の女神と崇めて声を張り上げていた
「ルナー! 愛してるぞー!」
「ルナ様! アサヒの分まで歌ってくれてありがとう!」
客席から飛ぶ熱狂的な声援の数々
それを聞くたびに僕の胸の奥で冷たく黒い怒りが渦を巻く
アサヒの分まで歌う?
笑わせないでほしい
僕の命を奪い僕の音楽を盗んだ女がどの口で遺族やファンの前で追悼の言葉を口にしているのか
けれどライブが後半戦に差し掛かるとルナの喉に明らかな疲労が蓄積し始めていた
彼女はマイクに施された最新鋭のピッチ補正システムを死ぬほど信じきっている
自分がどれだけ音程を外そうが息を乱そうが機械が自動で瞬時に校正し完璧な歌姫の声に加工してくれると思い込んでいるのだ
自分の歌唱力がとうの昔に退化し腐り果てていることすら気づかずに
そしてついにその時がやってきた
本編ラストナンバー
如月アサヒの遺作にして最大のヒット曲『永劫のアイ』
ドラマチックなピアノのイントロがドーム全体に響き渡り会場のボルテージは最高潮に達した
ルナがゆっくりとマイクを口元に寄せスポットライトを全身に浴びる
イントロが終わり彼女が最初の一小節を歌い出そうと息を吸い込んだその瞬間
僕は端末の画面を叩き彼女の声にかかっていた「魔法(リアルタイム補正エフェクト)」をすべて物理的に切断した
「――っ!?」
次の瞬間ドーム全体を切り裂くようにスピーカーから飛び出してきたのは加工された美しい歌声などではなかった
掠れ 裏返り 音程が乱高下する一人の女の「見苦しい叫び」だった
あまりの酷さに三万人の観客が一瞬で静まり返る
静寂の中ルナ自身の生々しく歪んだ声だけがドームの広大な空間に虚しく響き渡った
ルナの顔が恐怖と混乱で激しく引き攣る
彼女はパニックに陥りながらも必死で歌い続けようと喉から声を絞り出す
だが一度狂った呼吸とピッチは二度と元には戻らない
剥き出しになった彼女の「圧倒的な無才」と「喉の衰え」が巨大なスピーカーを通じて容赦なくドーム中に暴露されていく
「え……何これ……?」
「ルナ様の声……どうしちゃったの……?」
客席から漏れ聞こえる戸惑いと不信の声
だが僕の復讐劇はこれだけでは終わらない
僕は端末を操作しステージ背後に鎮座する超巨大LEDスクリーンをジャックした
画面に映し出されたのはライブの映像ではなく暗い地下鉄のホームを模した3D波形と一つの音声ファイル
それは三年前彼女が僕をホームに突き飛ばした直後
防犯カメラの死角で彼女が勝利を確信して笑いながら僕の楽譜を破り捨てていた時のリアルな音声データだ
僕のスマホが粉々に打ち砕かれる直前にクラウドへと自動同期していた「抹消されなかった真実」
ドーム内のすべてのスピーカーからルナの毒々しく冷酷な声が爆音で降り注いだ
『あーあ やっと死んでくれた これでこの曲の著作権も印税も全部私の好きにできる 如月アサヒなんて死んで神格化されてナンボよね あいつ死ぬまで私のこと信じててバカみたい』
高音質なスピーカーから流れる彼女の本音
サイリウムの光が一本また一本と絶望の中で消えていく
数秒前の熱狂的な歓声は悲鳴に変わりやがて地鳴りのような怒号と罵声へと塗り替えられていった
「人殺し!」
「返せよ! アサヒを返せ!」
「偽物! 消えろ!」
観客席から投げつけられる罵詈雑言の嵐
「違う……嘘よ! こんなの誰かが仕組んだ罠よ! 私は……私は世界に選ばれた唯一の歌姫なのよ!」
ステージ中央で頭を抱え狂ったように叫ぶルナ
その姿はもう神聖な女神でも何でもない
自分の欲望のために天才を殺し血の海の上に立っていた哀れな殺人者そのものだった
過呼吸を起こし膝から崩れ落ちそうになりながら彼女がゆっくりと舞台袖の暗闇へと視線を向けた
暗がりの中で彼女の瞳と僕の瞳が交差する
僕は調整デスクの影からゆっくりと立ち上がった
そして彼女に向けてかつて如月アサヒとして彼女に送っていたあの「世界で一番優しい微笑み」を完璧に浮かべてみせた
ルナの瞳が恐怖で極限まで見開かれる
言葉にならぬ悲鳴をあげて彼女は後ずさった
(さあ最高のカーテンコールですよルナさん あなたが殺した僕の音楽がようやくあなたに引導を渡しに来たんです)
これが僕の復讐の序章
神代朔としての本当の人生の始まりだ
芸能界という嘘と虚飾を愛するこの地獄で
僕は今度こそ君を『完璧な敗北者』にしてあげるから
逃げられると思うなよ
君の地獄はまだ一曲目が終わったばかりなんだから
星やブクマなどつけてくれると嬉しいです!




