表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ファラリスの雄牛

作者: こいしかる
掲載日:2026/04/14

 死体が手術室に転がっていた。浅黒く醜い女だ。この女は三カ月程前に末期の花吐き病と診断された。何故か。それは瞳が黄金色に輝いていたからだ。

 瞳孔の染色症状は、体の中で増殖した花が体液を汚し、器官を色付かせる花吐き病特有のものだ。しかし、この女。診断されてから今日まで、一向に体内の花を吐いたことがない。ましてや治療すらも受けようとしない。——成程。この寂れたポスピスに放逐されるもの納得の女であった。

 花吐き病は体内が花に侵される病だ。主にその侵略は心臓から始まる。心臓で作られた種子は体液を飲み、空いた空間に自身の根を植え付ける。張った根は患者の心臓を貫き、やがて一輪の花を咲かせる。これが花吐き病の病根であり、この開花をもって原因療法が不可能となってしまう未開の難病であった。

 病の依り代となる心臓は、不運にも血液循環を支える臓器だ。よってこの感染源は発信源と成り、病原体を全身に行き渡らせる。血液の運搬に便乗した病原体は、心臓で行った成長を各臓器でも行い、全身の体液が一滴残らず花の蜜に置き換わるまで増殖を繰り返す。そうして、それは次第に患者の体を干乾びさせるのだ。

 そのため、過去には急な喉の渇きを訴えた患者が花吐き病の初期症状と診断された例もある。しかしその程度の症状で医者に掛かる人間など滅多にいない。故に花が胃まで到達し、吐き戻すようになる段階で診断される患者の割合が最も多く、この病は通称「花吐き病」と名を冠するようになった。

 この美しき奇病は発見されて久しい。が、極端に症例が少ない。巷では都市伝説や創作の病と揶揄されるものの、我我医療関係者は誰しもが耳にしたことのある病であった。加えて、その吐き出された花は宝珠と見紛うほどに麗しく、花に満たされた死体は芸術品と謳われる。そのため、業界内外でもこの蠱惑的な病を愛好する悪趣味な者は多い。

 私自身、幼少からこの未知なる病を熱心に探究する者の一人だ。しかしそれを患った者は都会で治療されるのが常であり、今までこの片田舎にまで患者が回ってくることは無かった。都会でさえつい此の前まで解剖すらも滅多にお目にかかれない程に秘匿された代物だった。

 しかし、今日。女が死んだ。私のいる病院で。——嗚呼、なんと素晴らしいことか。私は漸く珍しき患者の解剖にありつけるのである。


 眉唾であるが、この病魔に冒される原因は道ならぬ恋という。人知れず患った恋は燻り、その思いが胸に一つの種子を形成する。その種は体液を栄養とし、胸の高鳴りと高まる体温によって成長が促される。通常の植物なら種から実までの成長過程があるが、この奇妙な花にはそれがないとされている。どうも種から花へ一足飛びに成長するという見解が現在の主流のようだ。

 何故ならどの段階の患者の腹を開いてみても種か花しか出てこないからだ。またこの病の完治には恋の成就という奇妙な方法しか確認されていない。よって現代医学では体内における花の占有率を下げるべく、患者に定期的な嘔吐をさせ、病原体の排出を促す対症療法しか行えない厄介な病であった。

 しかしながらこの不条理さすら収集家には標本の価値を引き上げる一因と喜ばれている。要するに、花吐き病は依然として治療法が未確立であり、不可思議な点も多い。従って近年では検体の積極的な解剖が認可されていた。

 そのような情勢であっても、患者には解剖の拒否権が与えられている。これは人権の観点から仕方のないことだ。勿論、当院でも女の意思を確認した。けれどもここに送られてきた時点で終末期であった女は今や唸るような吐息しか出せず、最早呼吸もままならない。これは血液すらも花の蜜にされた末期患者の典型な症状である。女は、誰の目から見ても意思疎通が困難であると明白であった。

 私は絶望した。このままでは解剖に立ち会えないではないか。冷めた視線は私の背中からも注がれていた。死が約束された稀少個体。それはこの辺境の、飢えた好奇心が待ち侘びた絶好の供物。最早この部屋の誰もが女を人ではなく実験動物と捉え始めていた。

 我々の内なる落胆に気付いたのか、つうと女が顎を上げた。その顔にはバケモノの様な瞳が照り輝き、涸れ果てた唇には弧が描かれていた。疾うに死に支配された体であっても、その目にはまだ燃え尽きぬ意思が顕れていた。私は思わず息を飲む。

 周りもその瞳に魅入られ、流れゆく束の間の沈黙——。

 女は汚らしい咆哮を上げ、交わる視線に添わせる様に震える手を掲げた。有ろう事かその指先は私を指し示している。彼女の唇から溢れた吐息は声に成らず、ただただ冬の冷えた空気を白く染め上げた。しかし、音無き声は何故だが私を呼んだ気がした。

 一番偉い医者はこの女の行動を解剖に了承したと解釈し、同意書に乱雑な文字を書き込んだ。——そうして、女は検体となった。


「メス」

 鈍く光る刃物が私の指に包まれる。下ろした刃先が肉を裂く。けれども、裂いた穴から血が滲むことはない。

——しめた。花吐き病だ。

 私はマスクの下で笑みを浮かべた。

 この女の病名に対し、我々の間では見解が分かれていた。特有の異色の目を持つものの、女は決して花を吐かない。加えて女の体にはこれまでの患者にはない特徴も表れていた。だからか、この女を診た誰しもが次第にその病名を疑い始めた。

 花吐き病は花を吐くことで延命できる。増殖する花を放置すると全ての体液が花蜜にすげ変わり、肺に酸素が運べなくなるからだ。また花の増殖は浸食率が進むほどに加速し、根が臓器を突き破る度に伴う痛みも激しくなる。患者曰く、その痛みは焼けるように熱く、火炙りにでも処せられている様だと言う。そのため身体は生存本能として花を吐く。例え花が吐けない患者がいたとしても、医者が強く嘔吐を勧める。しかしこの女は最期まで花を吐かなかった。

 花を吐けない者は徐々に体内が花で埋め尽くされ、美しくも涸れ果てた死に至る。——それが花吐き病患者の末路なのだ。故に、治療には嘔吐による花の剪除が不可欠だ。けれども女は治療を受けない。死への恐怖からに自発的に花を吐くこともない。この自傷とも言える行為に、我々は頭を抱え、終ぞその理由を知ることはなかった。結局、女が死んだ今も依然としてその体内に花の存在を確認できていない。

 加えて、女の虹彩には他の症例にはない特徴があった。通常花吐き病患者の瞳には、胸に巣食う花の色が表れる。この女が花を吐かないにも関わらず、花吐き病とされたのもこれが理由だった。女は瞳に、陽の光をそのまま閉じ込めたかのような黄金色を宿していた。けれども、それは不安定で、時より虹彩が青みがかることがあった。これまでの症例において、花吐き病患者の胸に宿る花は、いずれも一種だった。それは、常に瞳——瞳孔と虹彩の色が一定であることを意味した。従ってこの女の様に瞳孔が黄金のまま、虹彩の色が変わる、もしくは瞳に複数の色を持つという症例は前代未聞であった。

 そのため何時しか、医局の間では女が花吐き病というのは誤診であり、まだ見ぬ病なのではないかという見解もあった。けれども、己の手を動かす度に室内に漂い始めた馥郁たる芳香に、今や誰もが花吐き病という診断が正であると確信していた。

 ——嗚呼、この女と交流を深めていて良かった。私の額には安堵の汗が流れた。あの日の震える指先を今でも鮮明に思い出す。あの動作一つで私が解剖の執刀に指名されたと誤認される程、周囲から私と女が深い関係にあると思われていた。恐らく女も私の献身的な気遣いに感謝していたに違いない。——例え、それがこの瞬間に立ち会うための虚像の行いだったとしても。

 今や死人となったこの女に私の心持ちなど分かりはしない。——そのはずだ。だが、どうにもおかしい。屍から漂う憎らしくも懐かしき花香。この馨しい香りがグロテスクで利己的な私の行為を麗しく覆い尽くしているにも拘らず、——何故私の心はこれほどの哀愁に刺激されているのだろうか。


 開腹を終え、病が私に花開く。いち早く目に付くのは彼女の瞳と同じ照り輝くような黄金。しかし、それだけではない。私は自ずとメスを置き、その一房を手折った。

 人間の身体に寄生していたとは思えないほどに瑞瑞しい花弁。これが夢にまで見た病毒か。私が切望していた解剖か。私は堪らず握りつぶす。大輪の花はそれでもなお妖艶に私の指を飲み込んでいく。しかし周囲は私の様子など目もくれず、その罪深き花々に心を奪われている。

「これは何とも珍しい」

「二つも咲いているぞ」

「貴重な事例なのでは」

「これも保管すべきだ」

「コレクションにしろ」

室内の口がざわざわと動く。

「ホルマリン用意しろ」

「エタノールでも良い」

「早くを準備しないか」

「花も今すぐに調べろ」

「少々お待ちください」

年若い医者が勢い良く解剖室を飛び出す。放たれた扉は風を呼び、二種の花弁を吹き上げる。無機質な空間に舞い散る黄金と青。

「菊と、杜若」

 胸に巣食う二つの花々に、私の記憶は強く揺さぶられた。

「私、先生のお母さんの代わりになる」

 嘗て、一人の少女がそう言った。幼い少女は村の誰もが荒唐と揶揄した奇病と、それを患った母の話に懸命に耳を傾け、曇りなき眼で私を見つめていた。

「世界で一番綺麗なお花になるからね」

 その胸には目の前の光景と同じように、大輪の菊とそこらで摘んだ杜若が抱えられていた。嘗て母であったモノは、卑俗を風雅と取り違えた好事家どもの見世物となり、その墓には骨の一片すらない。しかし少女は、それでも墓前にこの花々を供えるのだと言う。——齢を考えると今頃は横たわる女ほどに成っていてもおかしくはない。

「だから、その時は先生が私を切って」

 繋いだ手を離した少女が私を指差し笑う。その瞳は黒く、声は可愛らしかったはずなのに、私の脳を占める彼女は黄金に輝く目で、死に際の牛のように唸り、苦しみ逝く姿でしか思い出せない。

 私は漸く気付いた。何故彼女は死を目前にしても、頑なに花を吐かなかったのか。何故あの日、数ある医者の中から私を指名したのか。密度の高く溢れるような黄金に、まだらに浮かび上がる青と緑。二種の花弁が咲き荒ぶ、類のない症例。——この照りつく宝石のような美しい死体は、私への贈り物だったのだ。

 私は力なく少女の名を呼んだ。けれどもその声は沸き立つ外野の騒音に埋もれてしまう。行き場を失った感情は、涙として醜怪な花を伝った。ぽたりと落ちた露は花を揺らし、花弁を白く染め上げていった。


 今や誰もが知っている奇病、花吐き病。その周知には一つの死体が深く関わっている。かの死体はこれまでのどの標本よりも異相だった。吐き戻された一房の花ですら高値で売り払われる界隈で、このように高い密度を保ち、二種類の花を宿す美しき死体は世界的にも初めて確認された事例であった。

 検体後、その希少価値の高さから彼女は他の花吐き病患者の遺体と同じくひっそりと競売に掛けられ、一人の下劣な金持ちに競り落とされた。本来、彼女の存在はこのまま闇に葬られるはずだった。何故ならこれまでのコレクター達にとって奇病の遺体は個人で鑑賞することが暗黙の了解だったからだ。しかし、この金持ちはそうはしなかった。

 皮肉なことに彼女の死体は美し過ぎたのだ。——その器が人であると失念されてしまう程に。よって、この死体が市場に出回った時期から花吐き病患者の遺体の売買が盛んに行われていくようになる。

 だがこの急速な需要の拡大は、この許されざる取引が人びとに露呈する契機となった。最終的にこの売買はいくつかの人権団体から非人道的行為と批判され、遺体の多くが遺族のもとに返される形で幕を閉じた。俗に言う、標本開放騒動である。

 しかしこの騒動の発端となった件の死体には身寄りがなく、引き取り手としてある大学病院が名乗りを上げた。この大学は嘗て同病の人体標本を有していた実績があり、当時花吐き病における研究の第一線であった。大学側はこの死体は医学的に価値があり、埋葬せず保存すべきだと強く主張した。しかし其の実は今回の騒動で遺族——私に返還した遺体の代わりを求めたのではないかと囁かれている。

 そういう経緯を辿り、彼女は現在この大学の博物館で厳重に保管されている。彼女の胸に咲き茂る花は国内では古くから現生する花で、いずれも白い。また一連の逸話、——彼女の様子と開腹時の色相から、その銘板にはとある拷問器具の名が記されている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ