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(6)蝦夷地の回想


 静かな夜である。どこからかふくろうの鳴き声がする。

 夕食後、寝るまでの時間、重蔵は坐禅を組むのが日課であった。

 近藤家の菩提寺である江戸駒込の西善寺は浄土真宗であるため、重蔵にはもともと坐禅をする習慣はなかった。大溝陣屋に来て、藩主の菩提寺である円光寺が臨済宗であるため、重蔵は座敷牢で臨済禅を組むようになった。

 坐禅中、はじめのうちは、さまざまな邪念が頭の中を渦巻き、かつ自分が陥った境遇に対する理不尽さや怒りの感情があふれ出てしまい、覚えず奇声を発したりして詰所の定番士を驚かせることがあったが、この頃はようやく(すう)(そく)(かん)で心を静めることができるようになった。

 それでも、公儀の自分に対するこれまでの仕打ちのこと、それに蝦夷地の取り扱いに関して首尾一貫した方針を維持できずに、幕閣の首座が替わるたびに変更を余儀なくされたことについては忸怩(じくじ)たる思いがあり、断続的にそういう出来事を思い出してはその苦味に耐えていた。

(わしは結局、幕閣の権力争いに振り回されたのだ)

 重蔵が行った五回の蝦夷地踏査のうち、第一次から第四次まではわずか五年の間に行われた。重蔵は蝦夷地を踏査し、帰府すると、またすぐに蝦夷地へ旅立つという生活を続けた。

 この頃の幕閣の老中首座は松平侍従信明(じじゅうのぶあきら)であった。信明は一貫して蝦夷地の防衛上の重要性を主張し、その開発と公儀直轄を訴えた。重蔵はその方針実現のための実務者として登用され、みずから思うところとも合致していたため、大いに奮起して職にあたった。重蔵は踏査の都度、綿密な報告書を作成し、公儀へ提出した。

 だが、十一代将軍家斉が、信明の権力が強大になることを快く思わず、信明が辞任に追いやられると、蝦夷地開発の方針が一転した。信明に代わって老中首座に就いた戸田采女(とだうねめの)(かみ)(うじ)(のり)は、当初は信明と同様、蝦夷地開発派であったが、開発抑制派が幕閣の主流になると、その流れにしたがって開発抑制に方針を転換した。その結果、重蔵は起用されなくなり、しばらく蝦夷地踏査から遠ざけられた。

 ところが、()西亜(しあ)船の蝦夷地来航等、魯西亜の不穏な動きが活発になると、再び蝦夷地防衛の重要性が認識されるようになり、それに伴って異例ながら松平信明が老中首座として返り咲いた。

 こうして再び幕閣が蝦夷地開発、公儀直轄へと方針転換すると、重蔵は五年ぶりに起用され、五回目の蝦夷地踏査へ向かった。重蔵三十七歳のときである。

 重蔵が出立する直前に、蝦夷地全域が松前藩から公儀直轄へ上知(あげち)された。松前藩には替地として陸奥(むつの)(くに)伊達郡(だてぐん)梁川(やながわ)九千石があて行われた。

(ようやくわしがもくろんだ通りになった)

 蝦夷地を公儀直轄領にすることは、かねてからの重蔵の悲願であった。それが実現したとき、重蔵の喜びはひとしおだった。

(わしの働きが上知実現に大きく寄与した)

 蝦夷地上知決定から約十年間は、公儀による積極的な経営が行われたが、松平信明が老中現職のまま病没し、代わって水野出羽(みずのでわの)(かみ)忠成(ただあきら)が老中首座に就任すると、蝦夷地に関する公儀の方針がまたしても転換した。忠成は蝦夷地開発に消極的であり、徐々に公儀による管理を弱めていき、ついには蝦夷地全域を松前藩へ還付する決定を下した。重蔵五十二歳のときであり、蝦夷地の公儀直轄期間はわずか十五年間でしかなかった。

 しかも、それに先立ち、御書物奉行の重蔵を大坂御弓奉行へ左遷させたのも忠成の仕業であった。忠成は、重蔵が目障りであった。

「無官の小旗本の分際でありながら、公儀の外交政策に口出しするなど、身の程もわきまえぬ無礼の極み。首を刎ねられずに済んだことをせめてもの幸いと思うべし」

 と忠成は後年、人にも語った。

 重蔵が危険を冒して五度の蝦夷地踏査を行った労苦が水泡に帰したことを知ったとき、重蔵のはらわたは煮えくり返った。

(何て馬鹿なことを。おのれ、忠成め)

 重蔵は、忠成の肉を喰らいたいほどに憎悪したが、当時すでに非役となっていた重蔵にはなすすべがなかった。

 重蔵の坐禅は、このことが頭をよぎるといとも簡単に乱れた。怒りの感情がふつふつと湧き起こるのを避けられなかった。

 坐禅中のこの夜も蝦夷地のことを思い出すと、半眼にしていた目を大きく見開いた。だが、大声で叫び出したい感情の高ぶりを何とか押し殺して、畳の上に前のめりになってうつ伏した。

 しばらくそうしていると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

(もう過ぎたことだ。いつまでも過去のことにとらわれて感情を揺さぶられるなど、禅者としてまだまだ未熟な証拠だ)

 生来、完璧主義者の重蔵は、大溝藩お預けの身分になってから始めた坐禅も悟りの境地への到達を目指していたが、それには程遠い自分に苛立っていた。


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