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(3)爺の諫言


「殿、いけませぬぞ」

 重蔵を見舞い、陣屋内の屋敷に戻ってきた左京亮へ、家老の安田民部が言った。

「何がだ?」

咎人(とがにん)の獄舎へ殿みずからお成りになるなど、めっそうもないことでございますぞ」

「咎人ではない。客人である」

「何をおおせられますか!」

「爺、大声を出すな。身体に障るぞ」

「百歩譲って、咎人ではないとしても、獄舎に幽閉されているあの男が客人であろうはずがありません」

「あの男などと申すな。近藤先生と呼べ」

「殿があの男……近藤殿と接触するのは藩内の風紀に影響するため、あえて諫言(かんげん)申し上げているのです」

「藩内の風紀に影響するのか?」

「若い藩士たちの間では、近藤殿を、蝦夷地踏査で名を馳せた英雄と見ている連中が多いと聞き及んでいます」

「実際、その通りではないか?」

「いいえ。あの男……近藤殿は、かつての業績はともかくとして、今現在は公儀に断罪され、旗本を改易された無位無官のご身分です。殿が肩入れするのはいかがなものかと」

「別に肩入れしているわけではない。ご病気と聞いたので、見舞ったまでだ。病人の見舞いぐらいでそう目くじらを立てるな」

「分かりました。あくまで病人の見舞いということであれば、辛うじて納得いたしましょう。ですが、今後は必要以上にお出ましにはなりませぬように、重ねて申し述べさせていただきます」

「分かった分かった」

 左京亮は、先代藩主の父、若狭守光邦(わかさのかみみつくに)が急死し、数えで二歳のときに家督を継いだ。幼少期から藩政を補佐し、自分を守り育ててくれた安田民部は祖父のような存在だが、ようやく藩主として心身ともに自覚が芽生えてきた左京亮にとっては、けむたい存在ではある。

 民部が指摘した、重蔵を英雄視する連中の一人に、自分も含まれていることを左京亮は自覚していた。重蔵は長崎や蝦夷地に足を踏み入れ、未開の島へ渡った。文においては博覧強記であり、武芸にも通じている。窮屈な藩主の身分である自分と引き比べても、重蔵の生き方にあこがれる若者が多いのは、自分も含めてごく自然なことであると思っていた。今は幽閉の身であるとは言え、重蔵を通じて若い藩士たちには啓蒙心を起こしてほしい。

 確かに重蔵には人を人とも思わない傲岸不遜な面があり、それが幕閣の要人たちから顰蹙(ひんしゅく)を買い、失脚につながったであろうことは否めない。危険人物という見方もできなくはないが、そこは藩士たちの分別を信じたい。重蔵の優れた要素だけを吸収してほしい。青年藩主として、左京亮はみずからも重蔵から学ぶべき点は学ぼうと考えていた。

(殿はまだお若い。近藤重蔵のような輩に丸め込まれでもしたら我が藩の存続も危うくなる)

 安田民部は、御家大事を最重要課題であるとみずからに言い聞かせてこれまで勤めてきた。先代藩主の若狭守が急死したときは、まだ正式に世継ぎの届け出をしていなかったため、大溝藩は一歩間違えれば御家取り潰しの危機にあった。民部は幕閣はじめ有力大名に働きかけて、若狭守の嫡男で、まだ数え二歳の武吉(のちの左京(さきょう)亮光(すけみつ)(やす))を世継ぎとして正式に認めてもらい、大溝藩存続を実現させた。

 民部には、当時まだよちよち歩きであった幼年藩主を補佐しながら、今日までよくやってきたという自負がある。幸い、左京亮光寧は聡明な主君に育ち、自分のことを爺と呼んで親しんでくれているが、まだ若いため、どういう思想にかぶれないとも限らないと危惧していた。

 公儀が将軍家の直臣である旗本の蟄居先として、わざわざ外様藩へ身柄を預けるのは、外様藩の方が親藩や譜代藩以上に幕命を忖度し、預かり人を下へも置かず丁重に扱うことが期待できることと、もし何か不都合が起これば、それを口実に外様藩へ厳しい処置を行えることの二つの狙いがある。厳しい処置の究極は御家取り潰しということになる。

 民部は、幕命によって元旗本の重蔵を預かったことは、大溝藩の公儀への忠誠度合いを試されているものと観じていた。左京亮も同様の見立てであるが、左京亮はこの際、重蔵という傑物へ積極的に交わって何事かを吸収しようとし、民部は消極的な接触に終始し、無難にやり過ごしたいとのみ考えていた。

 民部は、世の中がだんだん騒々しくなってきていることを肌で感じていた。公儀では一昨年、異国船打払令を出し、攘夷の姿勢を改めて天下に示威した。こういう威勢のいい施策は血気盛んな若い者たちの受けが良いが、ややもするとそういう輩は、その中の暴力的な要素だけを抽出して飼い太らせてしまうようなところがあり、本来の趣旨から逸脱してしまう危うさがある。民部にはそれが不満であり、主君の左京亮にもそういう危なげな側面があると見ていた。

(わしがしっかりと殿を補佐し奉り、行き過ぎがあれば諫めるのみだ)

 当然それは、左京亮の不興を買うことになるかもしれないが、家老であり、左京亮の祖父代わりの自分がその役割に徹するのが忠義であると肚を決めていた。


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