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ホテルの最上階のスイートルーム……それが「彼の部屋」だった。
普通の客室ですら場違いだと感じていた私は、驚きを通り越して、もはや放心状態で異様なまでに座り心地のよいソファに腰かけていた。
壁のあちこちにはいかにも高そうな絵画がこれまた高そうないかつい額縁に入れられて飾られている。
シャンデリアもロビーの大きなものをやや小ぶりにした感じ。
とはいえ、部屋の中央でこれでもかという存在感を放って光り輝いている。
濃紺に金地のダマスク柄の壁紙に、ツタが幾重にも重なりあう浮き彫りを施された腰壁。
精緻な装飾を施されたアンティークと思しき重厚な家具の数々。
どこかの城内に紛れ込んでしまったのかと見まごうほど立派すぎる部屋には、入ってきたものとは異なるドアが他にも二つ程あって、その広さを窺わせる。
この部屋だけでも軽く二十畳以上はゆうにありそうで、私にとってはまさに異次元クラスの別世界にも程があった。
こんな部屋を借りることができるなんて一体彼はどういう人なんだろう?
只者ではないのだろうなとは、その身なりや自信に満ちた態度、洗練された所作などからそれとなく察してはいたものの、まさかここまでとは思いもよらなかった。
ものすごく……お金持ちなことだけは確かだろう。
私の貧困な想像力では、せいぜいそれくらいしか見当がつかない。
なんだかとんでもないことになつてしまったような気がして途方に暮れていると、細身の黒いスーツに身を包み、フレームなしの眼鏡をかけたザ・執事っぽい男の人が慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。
丁重な物腰ではあるけれど、「こいつ誰だ!?」という怪訝そうなまなざしが時折見え隠れするのが正直怖い。
短い金髪を中央で分けた髪型をしており、驚くほど透き通った青い目をしている。
どことなくハスキー犬を思わせる美しい男の人だ。
彼が紳士に恭しく給仕する様は非常に絵になっていて思わず見入ってしまい、眉根をきつく寄せられてしまった。
いけないいけない。
何か気になることがあるとつい我を忘れて没入してしまう癖はいい加減直さないと。
慌てて彼から目を逸らすと、彼はお茶を注ぎ終え、一礼して部屋から去っていった。
これでだだっ広い豪奢すぎるスイートルームで紳士と二人きり。
別にだからと言ってどうってことはないと自分に言い聞かせてはみるものの、どうしても意識してしまわずにはいられない。
二人並んで同じソファに腰かけているということもあって彼の姿が視界に入りづらい分、これでも少しはマシなほうなはずなのだけれど……。
紳士は、ガチガチに緊張した私へと鷹揚に微笑みかけると、ゼスチャーでお茶を勧めてくれた。
恐縮しまくりながらもカップを手にとってそっと香りを嗅ぐ。
その芳醇な香りにようやく少しだけ緊張が和らいだ。
一口飲んでみて、砂糖を入れていないにもかかわらず、その爽やかな甘みに驚く。
「おいしい……」
「気に入ってもらえてよかった。
ショコラは好きかね?」
「はい、大好きですっ」
思わず本音が勢いよく口をついて出てきてしまい死にたくなる。
空気を読まない自身の食いしん坊発言を後悔するも、彼はむしろうれしそうに微笑んで小皿を手にとり、三段重ねのトレーにずらりと並べられたさまざまなスイーツの中から宝石のように綺麗なショコラをたくさん載せて差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「遠慮せず好きなものを好きなだけゆっくり楽しみたまえ。
全て君のために用意させたのだから」
そう言うと、彼はさらに別な小皿を手にとって、色とりどりのマカロンやおいしそうな焼き色のついたガレットなどを載せては差し出してくれる。
気持ちはものすごくうれしいけれど、さすがにそんなに食べられそうにもない。
もしかしたらさっきの発言でものすごい食いしん坊だと誤解されてしまったとか。
私が苦笑していると、彼は恭しく胸の前に手を当てて私を見つめてきた。
「さて、遅ればせながら自己紹介させてもらうとしよう。
私はカイザー・ランバード・レスタール」
「滝沢和といいます」
「ナゴミか。
いい名前だ」
「そうでしょうか?
両親からはいつも『おまえは和みすぎだ』って、名づけを後悔されていますけど……」
って、また……どうしてこう余計な一言をわざわざ付け加えてしまうんだろう。
つくづく自分の性格が呪わしい。
私がゲンナリしているのにも構わず、彼は真摯な口調で私をフォローしてくれた。
「日本ならではの『和』を尊しとする文化から我々が学ぶべきことは実に多い。
むしろ和みすぎるくらいでちょうどいいのだよ」
「は、はあ……」
まさかそんなにも真剣にフォローを入れられるとは思いもよらずどんな顔をしたものか困り果てていると、カイザー氏は言葉を続けた。
「先ほどの対応も、まさに君の名に恥じぬ素晴らしいおこないだった」
「えええええええっ!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「いや、そ、そんな大げさなものでは……けっして……」
「謙遜せずともいい。
君は和を重んじたからこそ、敢えてあのマダムと戦わずに折れてみせたのだろう?
しかも、あの親子連れを庇わねばならない理由など、まったくなかったにもかかわらず」
「……」
ものは言いようだなと思わず関心してしまう。
確かに間違ってはいないけれどあの咄嗟の平謝りをそんな風にどこまでも前向きに捉えてもらえるなんて。
「いや、その……ですね。
あれはいつもの癖が出ただけでして……」
「なお素晴らしい。
飾らない状態で咄嗟にあのような対応ができるとは、つくづく私は君に感じ入ってしまった」
「お、大げさすぎです。
けっしてそんなつもりではなくて」
「奥ゆかしい女性だ」
両手を握り締められると、灰色がかったエメラルドの双眸に捕らわれてしまう。
そのどこまでも真剣でひたむきなまなざしから目を逸らすことができない。
だけど、このままだと、何かおかしな空気になってしまいそうで、私は無理やり彼から視線を逸らすと話の矛先を変えた。




