53
テロに関するもろもろのごたごたが片付いてから、ようやく二週間遅れで私と彼はハネムーンに発つことができた。
寄港地で外交的な公務も兼ねながらではあるけれど、半年以上もかけてプライベートクルージングで世界一周なんて……規格外にも程がある。
よく街角で「世界一周の船旅」のポスターを見かけるたびに、なんとなくロマンに胸躍らせていた小学生時代を思い出しながら、果たしてこの旅にかかる費用は、あの船旅の何倍なんだろう!?
世界一周どころか何周もできてしまうのでは!?
と、小市民な私は気が気ではない。
寄港地で盛大なもてなしと結婚の祝福を受けては観光地を二人で回り、次の寄港地への移動までは、誰の目を憚ることもなく二人きりで甘いひとときを堪能してきた。
しかし、まさかその最後の寄港地が、日本だとは思いもよらなかった。
しかも、奈良とか京都とかではなく伊勢。
なんでも、彼曰く、伊勢神宮へのお参りが目的らしい。
ちなみに、友美が調べてくれたところによれば、私たちが滞在するのはリゾートホテルの草分け的存在とも言える老舗グループのラグジュアリーホテル。
数年前にできたばかりの真新しいホテルで、なんと伊勢志摩国立公園の中、美しい海岸線沿いに建てられている。
日本の伝統的な温泉旅館と近代的なデザインを融合させた建築からは、その土地の文化を最大限にリスペクトするホテルの姿勢が窺える。
以上、全部友美の受け売りだけれど。
そんなリゾートホテルのラウンジの隣にある広大なインフィニティプールを私と彼の二人きりで独占していた。
なんでも、友美曰く、私のためにと彼が貸し切ってくれたらしい。
いや、別にお部屋に作り付けの露店風呂でも十分すぎるのに相変わらず私に対する彼の過保護っぷりは健在で、いまだにことあるごとに友美に弄られる。
「あの……あまり私を甘やかさないでくださいね?
友美に叱られてしまいますし」
温泉プールの海岸側につくられら東屋のソファでくつろぎながらも、私は忘れないうちにと彼に釘を刺しておいた。
だが、彼は水平線に溶け消えていく真っ赤な夕日を眺めながら悪びれない。
「そのつもりはないのだが。
ただ、この美しい眺めを誰にも邪魔されることなく君と二人きりで分かち合いたかっただけだ」
確かに、英虞湾と水平線を一望できるこの絶景は息を呑むほどの美しさ。
のみならず、静謐な空気に包まれていて、どこか厳かな心地になる。
私も彼もしばし無言のまま、夕日が完全に沈みきる様子に見入っていた。
やがて、夕日が沈み終わり、暮れなずむ水平線を眺めながら私はずっと気になっていた質問を彼に振ってみた。
「……陛下はどうして伊勢を最終目的地に選んだんですか?」
私が尋ねると、彼は遠い目をして穏やかな声で答えた。
「実は学生時代に詣でたことがあってね」
「そうだったんですか」
「ああ、そのときは『運命の女性』に会えるようにと願ったのだよ。
お参りの本来の意味も知らずに」
「お参りの本来の意味?」
「お参りというものは本来願い事を叶えてもらうためにするものではない。
してもらったことを感謝するためにするものなのだよ」
「……そうだったんですか……恥ずかしながらまったく知りませんでした」
これではどちらが日本人か分かったものではない。
ただ漫然と今まで日本人として生きてきただけの自分が恥ずかしい。
もっと自分が生まれた国のことを学ばなくてはという思いが新たになる。
今までも折に触れて、パーティーなどで日本について尋ねられることはあったし、ディラン皇帝の元に嫁いだ身とはいえ、私が日本人であるということは今までもこれからも一生つきまとうのだし。
「今度こそきちんと感謝の念をもってお参りをしなければと思ってね」
そう言うと、彼は私に一度優しいまなざしを向けてから再び水平線を眺めた。
空の端はまだ夕日の名残が残っていて、高度をあげていくにしたがってラベンダーから藍色へと転じていく。
見事なグラデーションを描く広大な空には、宵の明星が強い光を放っていて、その幻想的な光景は、特別な場所柄のせいもあるだろうけれど、どこか神がかって見える。
運命の人か。
彼に出会うまでは信じていなかったけれど、彼と出会ってからというもの、信じずにはいられないことばかりおきている。
私は神々しい景色に見せれながら、彼と出会ってから今までのことを振り返る。
いくつもの偶然が重なり合って、今ここに彼と一緒にいられることが不思議でならない。
その偶然のうち一つでも欠けていれば、きっとここにはいられなかっただろう。
運命というのは、綱渡りのような縁を辿っていった先でようやく手に入れることができるご褒美みたいなものなのかもしれない。
なんてことをガラにもなく思ったり。
「ナゴミ、君は私の運命の人だ。
君と出会えて本当によかったと思う」
「私こそ、陛下が運命の人で本当によかったです」
互いに目くばせをして微笑み合うと、改めて感謝の念がしみじみと胸にこみあげてくる。
神様だけではなく、友美やハロルドさんお父さんにお母さん。
そのまたついでに愚弟たち。
そのさらについでにあれだけ悩まされてきたブラック企業の面々にまで感謝の念がこみあげてくる。
全てが彼との「今」に通じる架け橋だったのだと、ようやく思えるようになってきたのかもしれない。
「なんだか……今が本当に幸せすぎて……怖いくらいです」
彼にそっと身を寄せると、ため息交じりに呟いてもたれかかる。
すると、彼は私の肩をそっと抱き寄せて耳元に囁いてきた。
「志は高く持ちたまえ。
まだまだ君には幸せになる権利がある。
そして、私には君を幸せにする義務がある」
いかにも彼らしい言葉をうれしく思いながら、私はそっと目を閉じる。
「でも、これ以上の幸せなんて思いつきそうにもないです」
「ならば、私の幸せに付き合ってもらうことにしよう」
意味深な言葉に首を傾げながら目を開くと、目を眇めた彼が不敵な微笑みを浮かべて私をじっと見つめてきた。
「え、ええ……それはもちろんですけど……」
陛下の幸せって何だろう?
と、疑問に思いながらも頷いてみせると、彼は私に口づけ、ガウンを肩から滑り落としていった。
ガウンの下は何も身に着けていないため、私は焦る。
「へ、陛下!?
だ、駄目です……こんなところでだなんて。
せめて部屋に戻ってからで」
「こうして豊かな自然に身を委ね、八百万神を感じながら結ばれればきっとご利益もあるだろう。
私の幸せのためだ。
我慢したまえ」
そう言うと、彼もガウンを脱ぎ、鍛え抜かれた逞しい身体が露わになる。
「陛下の……幸せって……一体……」
「君と幸せな家庭を築くことだ」
「っ!?」
不意に彼の声が真剣みを帯びて私の胸を突いた。
彼にとっては二十年前に失われた幸せ。
それを取り戻すことこそが彼の願いに違いない。
そう思い至るや否や、私は生まれたままの姿で彼を力いっぱい抱きしめていた。
「……その願い、私が絶対に叶えてみせますから」
涙ぐんだ私を上向かせると、彼は私に低く色香ある声色でこう囁いた。
「このホテルは、『安寧なる』というサンスクリット語と、『歓び』を意味する日本語が組み合わさってできている。
『安寧なる歓び』を共に分かち合うとしよう」
今にも天頂から降り注いできそうな満天の星の下、私と彼は『安寧なる歓び』を分かち合いながら、さらなる幸せを求めて一つへと溶け合っていった。




