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「それができていればとっくにしていますっ!
でも、陛下はただでさえお忙しいのに余計な心配かけたくないし……こんなくだらないことで悩むなんてって呆れられて嫌われてしまうかもしれないんじゃないかって怖くて怖くて……」
彼は私の訴えに黙ったまま耳を傾けてくれる。
今なら今までずっと言いたかったことを全部言える気がして、私は激情に流されるまま思いの丈をぶちまけた。
「陛下はっ!
器用だから不器用な人の気持ちなんて分からないんです!
そんなになんでも簡単にできる前提でものを言わないでください!
特に私みたいな不器用な人間にはできないことだって多いんです!
できる前提で言われたって困りますっ!」
ああ、ついに……言いたいことを全部言ってしまった。
肩で息をしながら、ようやく我に返った私は、皇帝相手になんて生意気な口をきいてしまったんだと激しく後悔してきつく目を瞑る。
彼が立派な紳士であればあるほど、ことあるごとに自分の器の小ささをこれでもかと思い知らされて自己嫌悪に拍車がかかる。
せめて彼に見限られるまで、背伸びするだけ背伸びしてみよう。
そう思って毎日必死だったけれど、今回の一件で緊張の糸がぷつんと切れてしまったような気がする。
私は手の甲で目元を覆うと、情けない思いで唇を噛みしめる。
もうきっと終わりだ。
彼に見限られたって仕方ない。
静かに覚悟を固めて彼の言葉を待つ。
「なるほど。
確かに君の言うとおりだ」
思いもよらない返事に私は自分の耳を疑い、目元を覆った手を下ろすと、恐るおそる目を開いてみた。
すると、そこにはどこか喜色を浮かべて苦笑する彼の姿があった。
てっきり、彼が私の辞表を勝ち取ってくれたとき以上に辛辣な言葉で非難されるだろうとばかり思っていた私は意表を突かれる。
「極力、いろんなものの見方をするように心がけてはいるが、やはり昔の悪い癖が出てしまうようだな。
耳が痛い」
「昔の……悪い癖?」
「自分にできることは他人もできて当然だと思っていた。
そんな暴君にハロルドだけはよくぞついてきてくれたものだ」
いつでも完璧で非の打ち所がないとばかり思っていた彼の言葉とはとても思えない。
驚きのあまり、つい彼をまじまじと凝視してしまう。
すると、彼はぎこちなく私に微笑みかけて私の額に手を直くと言葉を続けた。
「だから、今みたいに伝えてくれるとありがたい」
「……でも……本当にいいんですか!?」
「問題ない。
むしろ新鮮だ。
これがいわゆる痴話喧嘩というものなのだろう?」
「……え、ええ?
ちょ、ちょっと違うような……」
真顔でのどこかズレた彼の発言にようやく彼との間に重く垂れこめていた空気が軽くなった気がして、全身から力という力が抜けていく。
彼の膝に頭を預けたまま脱力しきった私の目を彼の緑灰色の目が覗き込んできた。
以前と変わらないひたむきなまなざしに凍り付いていた胸に血が通っていく。
「今みたいに私に思うことがあるならば遠慮なく伝えてほしい。
そんなことで君を軽蔑したり見限ったりはしないと約束しよう。
空気なんて読まなくてもいい。
いつだって私にとっての最優先事項は君だということを忘れないでほしい。
いいかね?
「……は、はい」
反論の余地もない彼の申し出に私は驚きながらもありがたく頷いた。
あれだけ不安に頼りなく揺らいでいた思いが嘘のように凪いでいて、なんだか胸がいっぱいになる。
「陛下もどうか一人で全部抱え込もうとしないでください。
夫婦は苦楽を分かち合うものだって結婚の誓いにもありましたし」
いつか、彼が一人で抱え込んできた悲しみもつらさも分かち合うことができたなら。
そんな願いを込めて、彼に伝えた。
すると、彼はいつものように遠い目をしてから口元を綻ばせた。
「ああ、確かに君の言うとおりだ。
全部一人で抱え込みがちなところも私の悪い癖だ。
君の目はどうにもごまかせない」
「陛下のことをずっと見ていますから。
それくらい分かります」
「その言葉、そっくりそのまま君に返そう」
熱いまなざしが再び交わって、私たちは満たされた思いで笑い合う。
「不思議なものだ。
君のほうが私よりも一回りも若いのに、時々亡くなった両親と話をしているような気になる」
「そうですか?」
「ああ、きっとどこか似ているのだろうな」
「……うれしいです」
今までになく彼の言葉がスッと自分の中に入ってくるような気がして、自分でも驚きを隠せない。
今までの私だったら、「そんなめっそうもない!」なんて思って素直に彼の言葉を受け取ることができなかったはず。
きっとこんな風に少しずつ変わっていけるはず。
互いにぶつかり合いながらも。
もしかしたらそれこそが夫婦の醍醐味なのかもしれない。
もっともっとときを重ね、会話を重ね、喧嘩も仲直りも重ねていけたなら……。
彼へのいとおしさがこみあげてきて、私は彼の顔に手を伸ばすとその頰に触れた。
長年の苦悩の証である皺すらいとおしくてならない。
もう一つずっと胸の内に秘めていた想いがすんなりと口をついて出てきた。
「陛下、誰よりも愛しています……」
彼は一瞬驚いたような表情をして、それから鷹揚に微笑み返すと静かに頷く。
「ああ、私も誰よりも君を愛している」
彼が私の頭の後ろに腕を回して上半身を起こさせると、ゆっくりと唇を重ねてきた。
久しぶりに味わう穏やかな心地よさに、不安も何もかも瞬く間に溶け消えていく。
これからはありのままの私を見せて、ありのままの彼を受け入れよう。
それがきっと互いへの揺るぎない信頼へとつながっていくはず。
互いに慈しみ合うキスを交わしながら、ようやく彼と本当の意味で夫婦になれたような気がして。
頬を熱い涙が伝わり落ちていった。




