28
社長との「交渉」を終え、ハロルドさんに私のデスクの片付けを命じた彼は、その後、ミシュランの星つきの高級グランメゾンのレストランを貸し切りにして、 二人きりの祝勝会を開いてくれた。
いや、私は何もしていないし、彼の完全勝利会と言ったほうがよほどど正しいような気がするけれど……。
「これで面倒ごとは全て片付いたかね?」
「は、はい……一気に片付きすぎというか……その……ありがとうございます」
シャンパンで乾杯をすると、彼は満足そうに頷いてみせる。
その表情はよくよく見ればどこか得意そうにも見えてちょっと笑いを誘われる。
完全無欠の紳士でありながら、こんな風に彼が時折私だけに垣間見せるいたずら好きな少年のような素顔がたまらない。
「でも、さすがにちょっとやりすぎのような気がしなくもないです。
ものすごくありがたいとは思っていますけれど」
「そうかね?
私としてはむしろあの程度で済ませたのだから、むしろ感謝してほしいと思っているくらいだが」
「えええええええ?」
紳士的な外見とは裏腹に物騒な彼の物言いに、私は驚きの声をあげてしまう。
あの程度って……表向きはあくまでも紳士的だったけれど、その言葉は辛辣かつ的確に痛いところを責めに責めまくっていて社長始め重役の面々全員青ざめきっていたし。
ドSにも程がある。
「買収して無能な上役を全員解雇。
徹底的に立て直しを図ることも検討していた」
「……」
私の知らないところでそんな恐ろしいことを企てていたなんて。
恐ろしい人。
しかも、淡々とした口調で言うのがなお怖い。
彼だけは敵に回さないほうがいい。
味方で本当によかった。
「人の上に立つ人間にもっとも必要とされるものは何か分かるかね?」
「……さあ、その……立ったことがないので……」
「人を見抜く眼力だ。
君の素養を見抜けず、適材不適所で傷つけた罪は万死に値する。
彼らはこぞって人を見る目がない」
「……」
贔屓にしてもらえるのはとてもありがたいことだと思うけれど……恋は盲目という言葉もあるし……ちょっと私に関する彼の査定は甘すぎるように思えてならない。
いや、それはそれでさらにありがたいことだけれど。
でも、確かに彼の言うとおり、合う合わないという場所というものはあるのかもしれない。
ずっと会社と自宅の往復だと、つい視野が狭まってその世界が全てで、合わない=自分が駄目なんだって思いがちだけど。
「君の友人ももっと健全な会社に推薦しておこうと思うのだが、問題はないかね?」
「それはもうぜひ!
友美が望むのならよろしくお願いします」
「分かった。
ハロルドに手配させよう」
「本当に何から何までありがとうございます……なんとお礼を言ったらいいか……」
なんだか、こう一方的にしてもらってばかりでは申し訳なく思う。
だが、彼は意味深な流し目をくれるとさらりとこう答えた。
「気にせずとも礼なら後で存分にいただくつもりだ」
彼の言葉に暗に秘められた意味くらい、鈍い私でもさすがに分かる。
(ただより怖いものはないっていうけれど……本当にそうかも……)
一抹の不安と期待が膨れ上がってきて、私はひと思いにシャンパンを飲みほした。
彼の言う「後で」というのは、ホテルの部屋に戻ってからだとばかり思っていたのに、予想は悪い意味で外れてしまった。
もっともそれは自業自得と言っても過言ではないのだけれど……。
「大丈夫かね?」
「……す、すみません」
レストランの床にしゃがみこんで口元を押さえた私は彼に背中をさすられていた。
せっかくの素敵なコースが台無し寸前。
なんとかすんでのところで耐えることはできたけれど、まだ胸のあたりが気持ち悪い。
シャンパンって飲みやすいのもあってつい飲みすぎてしまった。
ずっと悩んできた職場からの解放感と、友美にきちんと事情を話して分かってもらえたという安堵感も手伝って、いつも以上に飲むペースが速かったに違いない。
気が付いてみれば目の前が暗くなって、胸が気持ち悪くなって……そこでようやく私は自分が飲みすぎてしまったことに気づいた。
社会人にもなってアルコールの調整すらできないなんて、失敗してしまった。
しかも、せっかくの祝勝会で。
彼に申し訳ないやら自分が情けないやらでへこむ。
しかし、彼はどこまでも優しく献身的に駄目な酔っ払いを介抱してくれる。
っていうか、皇帝に介抱させるとか……本当にありえない。
またハロルドさんの説教コース行き間違いない。
「もう本当に大丈夫ですから……だいぶ酔いも理めてきましたし……」
「そうかね?
まだ気分が悪そうだが」
「いえ、しゃがむと胸が気持ち悪いのが紛れて楽になるだけなんです。
ほら、しゃがむとHPが回復するゲームみたいな感じで」
「……ほう?」
私は酔いが回るといつも以上に余計なことまでしゃべってしまうタイプで。
口は禍の元とはよく言うけれど何度友美に咎められたことか。
そういえば、上司の風当たりが強くなったのも、飲み会で酔っ払った私が、普段からの彼に対する鬱憤を晴らすべく、がっつりハゲネタをかましたからとかっていう噂もあったようななかったような。
とまあ、そんなこんなで飲んでも飲まれるなと、お酒はずっと控えめにしていたのに、久しぶりに羽目を外してしまった。
彼はポケットチーフに氷を包んで私の首の後ろを冷やしつつ水を飲ませてくれる。
これで随分と楽になった。
「お店にもご迷惑をかけてしまって……大丈夫でしょうか?」
「気にせずともいい。
君の具合がよくなるまで二人きりにしてほしいと店のオーナーにハロルドを通して許可をとりつけてある。
そもそも貸し切りなのだしな」
「ううう、それでもやっぱり悪いです」
「まだまだ周囲を気にしすぎる悪い癖は直らないようだな。
まあ、日本人にはわりと多いタイプではあるが」
「え? そ、そうですか?」
「ああ、一説によれば日本人は他の国の人々よりも不安遺伝子というものを多く持つらしい。
確かに留学中、そう感じることも多々あった。
もっとも、それは和を尊ぶ文化ゆえなのだろうが」
「……人に迷惑をかけていないか、どう見られているかっていうのはやっぱり気になります。
自分のことだけでなく周囲のことも考えるようにって習ってきましたし」
「それはいいことでもあるが、一歩間違えれば自分を苦しめる原因にもなる。
自分でもうすうす気づいているのではないかね?」
「うーん、そう言われればそういう気がしなくも」
首を傾げる私を見て、彼はふっと真顔になった。
「これからは耐性をつけていったほうがいい。
周囲に配慮することはいいことだが、気にしすぎてはならない」
「難しそうですね」
「いや、訓練次第だ。
私も昔はいちいち他人の目を気にしすぎていた節があったが、今では鋼の心臓を得た」
「え、ええ?
とてもそんな風だったようには見えません」
「訓練の賜物だ」
どういう訓練をすれば、あんなに大胆な行動ができるのだろう?
そう不思議に思いながら、今日一日驚かされっぱなしだった彼の言動を振り返る。
確かに鋼の心臓の持ち主でなければあんなことできるはずがない。




