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目覚めるとすでにそこは日本だった。
王室専用のプライベートジェットだけあって、空港ではなんか偉そうな人たちにずらりと出迎えられて当然のように煩雑な入国手続きもなし。
日本から発つときは、だだっ広い航空で迷子になるわ、なぜか金属探知器にひっかかっちゃうわ……で、えらく手こずったのが嘘のよう。
お金持ちが、お金で時間を買うという意味がようやく分かったような気がする。
とにかく何から何まで私の知らない世界ばかりで、勝手知ったる日本のはずなのに、知らない国に来たような気にすらなってしまう。
いや、実際、立場が変われば世界は変わる。
黒塗りのリムジンの中で、私はぐったりと革張りの背もたれに全身を預けきって、魂が抜けてしまったかのように放心しきっていた。
最初こそ、彼に心配をかけないようにと極力頑張って疲れた素振りは見せないようにしてきたものの、もはや限界だった。
申し訳ないとは思うけれど、日本に戻ってきてから初日だというのにあまりにもいろんなことがありすぎて心身の処理がまるで追い付いていかない。
「少し疲れているように見えるが、大丈夫かね?」
「……は、はい」
隣に座った彼が私を気遣ってくれた。
やっぱり気づかれてしまっていた。
悪いなと思いつつも、少しというか、正直かなり、いや今まで生きてきた中でこんなにも疲れたことはないっていうくらいヘトヘトだ。
「そうか、長旅のせいだろう。
あと少しの辛抱だ。
君のご両親への挨拶が終わり次第、ホテルに戻ってゆっくり休みたまえ」
「そうじゃなくて主にカルチャーショックからくる気疲れのせいですからっ!」
相変わらずちょっとズレた彼の返事に、つい突っ込まずにはいられない。
プライベートジェットでの移動は長距離とはいえ快適そのものだった。
むしろ、宮殿の人たちの目がない分、久々にのびのびできたくらい。
もちろんハロルドさんの目はあるけれど、それすら警戒すべきものが限られる空の上では、普段とは比較にならないほど緩いものだった。
話を元に戻すけど、私がこんなに疲れ果てている原因は、旅の過程そのものにではなく、それ以降のあれやこれやにあったと、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、どうやら彼には分からないようだ。
ダンディで隙のない紳士に見えて生まれた国が違うせいか、はたまた育った環境が違うせいか彼には意外と突っ込みどころが実に多い。
なんでも完璧な人は少しは隙があるくらいのほうが、余計身近に感じられるものなのかもしれない。
「気疲れかね?」
「だって……お友達とのランチだって仰っていたのに……まさかあんな昼食会とか……想像もつきませんから!」
他にも原因はいろいろあったけれど、その最たるものについて訴える。
そうちょっと前までの昼食会がとんでもない伏兵だったのだ。
それまでは、まだなんとかびっくりしながらもついていけていたとは思うけれど……あの昼食会だけは想定外にも程がありすぎた。
「ああ、春乃宮とは大学時代懇意にしていたものでね。
久々に会えて心置きなく楽しい時間を過ごせた。
大切な君を彼にも紹介できてよかった」
うれしそうな彼を見ていると、つい「それなら仕方ないですね〜」と納得してしまいそうになるけれど、断じてそういうわけにはいかない!
そう、問題は……そのいかにも高貴そうな名前から想像もつくかとは思うけれど、彼の旧友がまさかの……。
友達との食事会と聞いていたから、さすがに居酒屋とかはないだろうけれど、高級レストランかホテルのスイートでの会食だとばかり予想していたのに。
まさか赤坂にある迎賓館に招待されるなんて思いもよらなかった。
いきなり別世界の人たちとものすごく場違いな場所で食事会とかあまりにもアウェイすぎて、せっかくのごちそうの味すらまともに覚えていない。
もっとも春乃宮さまご夫婦はとても素敵で……どこの馬の骨とも分からない私にもとても親切に接してくださったのだけど。
でも、一人称は「わたくし」、言葉遣いも話す内容も所作も何もかもが優美極まりなくて、ただただ私は失礼がないようにとハロルドさんのスパルタマナー講座を必死に思い出しながら、なんとかその場を乗り切ることができたはず……だけど、正直自信がない。
最低限のマナーくらいしかまだ覚えていないし、王室や皇室などにおいての特有のマナーはプロトコールというらしいけど、それを学ぶのはまだ先の予定のはずだったのに。
まさかの不意打ちに身も心もぐったり。
そんな私を見て、彼は意外そうに目を瞠る。
「緊張していたのかね?
すぐに打ち解けているように見えたが?」
「そりゃもう!
ものすごくっ!
「春之宮たちは君のことをとても気に入っていた。
だから安心したまえ。
また時間をつくって会いたいと言っていたよ」
「えええええええええ?
ほ、本当ですか!?
単なるお世辞とか社交辞令じゃ……」
「対等なやりとりに己を偽る必要などどこにもない。
そもそも私の友人に一生懸命な人間を笑うような愚かな人間などいない」
「……っ」
不意に彼が真顔になったので、こちらもつられて真顔になる。
彼の飾らない言葉をしみじみとうれしく思う。
一生懸命にやっていてもうまくできずに何度も周囲に笑われてきた。
そのたびに自分のふがいなさに傷ついてきた。
でも、見てくれている人だっているし分かってくれる人だっている。
それが彼であり、彼の大切な友達というのがまたうれしい。
「ずるいです……いつだってそうして私が一番欲しい言葉をくれるのって……」
私が涙ぐんで声を湿らせると、彼は口端をあげて私の頭を撫でてくれた。
よく頑張ったと褒めてくれるかのように。
そして、こう言った。
「次は私の番だ」
その声がいつになく硬いような気がして、今度は私が驚く番だった。
「陛下もまさか緊張とかなさるんですか?」
私の問いかけに肩を竦めてみせると、彼は私の手をとって自分の胸へと当てた。
彼の厚い胸板の奥、スーツ越しにせわしない鼓動を感じてハッとする。
「そんな風にはとても見えないのに……」
「立場上、ハッタリは得意なものでね。
だが、一生に一度の商談に挑むのだから、致し方あるまい」
「……商談って」
彼の言葉に頭の中にドナドナの歌が流れてきて苦笑する。
でも、完璧に見える彼でも私と同じように緊張することもあるのだと分かって、なんだかニヤけてしまう。
「どうしたのかね?」
「なんだか、うれしくて……」
「何がかね?」
「秘密、です」
私がそう言って彼の肩に頭を預けると、彼は渋面を浮かべて首を傾げる。
ああ、なんだかとても心地よい。
最初は彼の傍では緊張しかしていなかったのに、いつの間にこんなにくつろげるようになっていたのだろう?
そんなささやかな発見がうれしくて、うれしくて。
私は静かに目を閉じると、大きく深呼吸をした。
彼の香りを感じながら、きっと大丈夫だと自分の胸に言い聞かせて。




