〜待ってる〜
「じゃあ川岸さん、さっきの休み時間に何があったか、教えてくれる?」
チャイムが響き終わってから口を開く。
「‥‥私の幼馴染の朝田凪が、最近学校に来てない理由を横畠君に聞こうとした後に、瀬里くんたちが、な‥朝田くんをいじめていたかのような発言をしたんです。それで私‥‥」
「いじめ?それは本当なの?」
日下先生が、瀬里くんと他の男子たちの方に視線をやる。
彼らはそれぞれ別の方向を向いて、目を合わせようとしない。
こんな大事になると思ってなかったのか、どこか焦っている。
「いややってないっすよ?俺ら別に朝田とは仲がいいわけでもないし、あいつが学校に来なくなったのだって俺ら関係ないっすよ」
うそ。じゃあなんで、私にはあんなことを言ったのーー?
証拠がない今、瀬里くんたちの証言でしか凪関連の情報が出てこない。
どうしようーー。
スカートをギュッと握りしめた時。
「ちなみにさ、瀬里くん。学校に監視カメラ設置されてるのって知ってる?」
緑川先生が、笑みを浮かべながら彼にずいっと顔を近づける。
「え、‥‥ああ、はい。玄関と職員室のとこっすよね?」
「うん、そこもなんだけど。僕たち教師は、生徒がちゃんと平和に日々を過ごせているか、監視カメラで確認してるんだよね。もちろん教師しかその場所は知らない」
は、と他の男子が声を漏らす。
「そ、そんなの盗撮じゃないっすか!それそっちが悪いでしょ!?」
「あのね、全国で監視カメラが設置されてる学校はおよそ六割。もちろん教師が児童を盗撮してたとかいうこともニュースになってるけど、本来防災のためや不審者がきた時、生徒が急な体調不良にあった時のために設置するものなんだ。まあだから、いろんな場所に実はあるんだよね。例えば男子トイレ、教室、各部室の部屋、体育館倉庫とかにもーー」
えっ、そんなとこにも?
驚いているのは私だけではなかったみたいで、でも彼らは、私とは少し違った反応を示した。
先生が何を言いたいのかがわかった上で、続く言葉を恐れているようだった。
「たまたま僕はそれを管理する係なんだけど。そこで見ちゃったんだよね。君たちが朝田くんに何をしてたか」
うそ、ほんとに‥‥!?
あれ、でも先生は、本当に凪がそんな目にあってたのか、瀬里くんたち側からも話を聞かないとねって言ってた。
どういうこと‥‥?
「実はこの監視カメラの映像って、校長に提出しなきゃいけない決まりなんだよね。それから県の委員会に提出することで、学校側に所持させないようになってるんだ。でも困ったなあ。君たちのあんな動画を送ったら、ニュースになっちゃうかもね」
彼らは何も言わない。何も言い返さない。
それって、つまりーー。
「今の時代、こんな動画が流されたら、どうなるだろうね?君たちは凄まじいバッシングを受けて、家にも住めなくなって、いい会社にも入れない。ネットってそういうもんだからさ。忘れたと思っても、一生、君たちを世間の目が逃がしてくれない。大人がそれを許さない。可哀想だね」
「‥せ、せんせ‥」
「でも君たちは未成年だから、このことは学校内で留めておいて、保護者と学校の間だけで終わらせよう」
「えっ?」
「なんて、いうとでも思った?」
ずっと笑顔だった緑川先生の顔から、スッと笑みが消える。
瀬里くんを見つめる先生の瞳に、光はない。なんだか、怖い。
「教師が生徒の味方だと思ったら大間違いだよ。僕らは教師である以前に人間だ。万人の味方なんているはずがない」
「‥‥っ、いや、ほんとに俺らそんなつもりじゃっ」
「じゃあどういうつもりでやってたのか言ってよ」
今までやってきたことがもうすでにバレている。
そう思ったからか、一人の男子が口を開いた。
「さ、最初は、なんか腹たったから、教科書に落書きとか、窓から捨てたりとか確かにやりましたけど、でもあいつ何もいってこねえから、俺らもなんかムキになってきて」
「川岸さんがあいつの幼馴染って聞いたから名前を出したら、初めて反応してたから、俺らもなんか面白くなったというか‥」
「でもまさか学校に来なくなるとか思ってなかったし‥別にそんな‥」
そんなつもりじゃなかったって言いたいの?
私が発言した瀬里くんを睨みつけると、あっちが目を逸らした。
その態度に、思わずまたカッと頭に血が上る。
バンッ!
「このっ!」
「川岸さん」
ごめんね、今は抑えて。
テーブルに手をついたまま後ろを振り返ると、緑川先生がそう言いたげな、申し訳なさそうな顔でこちらを見つめていた。
「っ‥‥」
普段の私は、こんなにも荒い態度をすることはない。
それを知っている男子たちは、奇異的な目や、ドン引きした様子で私を凝視している。
ゆっくりと上体を起こして、ストンと椅子に座り直る。
「ありがとう」
なぜだかその言葉で泣きそうになってしまった。
「ちなみにこれまでの監視カメラ云々は嘘です」
「「「「「はっ!?」」」」」
「そして君たちがいったことは、パソコンで録音してます。あ、顔は映ってないよ」
そういって先生が、すぐ横に置いていたパソコンの向きを逆にして、ホラと差し出す。
そこには動画を撮っている最中だと示すマークが表示されていて、今は緑川先生の顔が映っている。
「今までの嘘だったってことっ!?」
「マジでありえねーんだけど!」
そういって瀬里くんと何人かの男子が椅子を蹴って部屋を出て行こうとすると。
「まだ話は終わってないだろ?」
大柄な体躯の、学年主任の先生が扉の前に立ち塞がっていた。
「なんで大塚先生が‥」
「日下から話し合いが始まる前に話を聞いていたからな。俺は少し出遅れたが、途中から聞いていたぞ」
全然気づかなかった‥‥。
「てなわけで、今度は俺と一緒に校長室へ行こうか?」
にっこり笑顔の学年主任に肩を叩かれた彼らは、今まで見たことがないほど屈辱に歪んだ顔をしていた。
「もうお昼の時間だけど、教室に帰っていいよ」
「あ、あの、日下先生。緑川先生がしてた監視カメラの話、嘘だったんですよね?なんで何も言わなかったんですか?」
教室へ向かう廊下で、先生たちに歩きながら問いかけてみた。
真昼間の太陽が、窓から私たちを照りつけてくる。
確か日下先生だけが、驚いた表情をしなかった。本当はそういうことってこと?
「俺も内心何いってんだって思ったけど、緑川の顔見て黙っといた方がいいなと思ったんだ。こいつは俺の元教え子だからな」
「えっ、そうだったんですか!?」
「いやー、さすがですね日下先生。その節はお世話になりました」
教師の間では、元教え子と同じ学校で働くっていうのはよくあることなのかもしれない。
「でも、朝田くん含めあいつらは俺のクラスの生徒だ。担任としてあいつらがしてたことを気づけなかったのは、不甲斐ないよ」
そういって日下先生がため息をつく。
「‥‥小さい頃から毎日話してた私でさえ気づくことができませんでした。多分それだけ凪は、知られたくなかったのかもしれません」
「それか、あの子達が隠れていじめていたかですね」
緑川先生が、校長室を振り返ってぽそりとつぶやく。
「朝田くんのお母様からも電話で聞いたけど、今は精神的に不安定だそうだな。今度朝田くんのお宅にお邪魔して溜まってるプリントとかを渡しに行こうと思ってる」
「あの、私毎日凪の家に行ってるんですけど、そのひはお邪魔しない方がいいですか?」
「いや、大丈夫。もちろんできれば凪くんともお話しするけど、お母様ともお話をするから、君はその間彼のそばにいてあげてくれ」
どっちかというと強面の日下先生が、ニコッと笑った。
「あ、日下先生、そのひ僕もお邪魔していいですか?川岸さんが良ければですが」
「あ、はい、私は全然‥‥」
そんなこんなで話していると、教室に着いてしまった。
扉を開けると、男性教師二人と一緒に帰ってきた、騒動の中心人物である私に一斉に視線が集まる。
「じゃあ、教室まで来ただけだから。昼ごはんゆっくり食べてね」
「えっ」
そういうと、二人はまた元来た道を引き返していった。
‥‥もしかして、荒れていた私を心配してくれたのかな。
自分の席へ向かって、お弁当箱を取り出す。
「ね、美琴ちゃん。花鈴ちゃん帰ってきたよ」
「今は話しかけないほうがいいって。なんか隣のクラスの男子たちが校長室連れてかれてたの見たって聞いたよ」
「え、やばー‥」
後ろから聞こえるひそひそ声を気にしないふりして、いつもは美琴と過ごす昼休みを一人で過ごした。
結局、そのひは美琴と話すことなく、学校を出た。
いつもは帰り際に声をかけるんだけど、今日はとてもじゃないけどそんなことができる雰囲気じゃない。
って、私が先に美琴を拒絶した側なのに。
なんとなく気持ちが沈んだまま凪の家のインターホンを押す。
「おかえり、花鈴ちゃん。学校お疲れ様」
「こんにちは、おばさん」
慣れつつあるおばさんとの会話が、なんだかこそばゆい。
「お邪魔します。凪は部屋ですか?」
「あー‥凪は‥」
「また出て行ったんですか?」
この前の夜のことを思い出して、つい口調が強くなる。
「違うの。今日はーー」
リビングへ行くと、ダイニングテーブルと少し離れた丸テーブルの横に、敷布団の塊が。
「‥‥え、ここで寝てるんですか?」
「そうなの。ご飯を食べなくなって、ずっと寝てるんだけど、朝から食べてないから、目が覚めたら何かあげようと思って、とりあえずリビングに連れてきたの」
「な、なるほど‥‥」
本で読んだ記憶を必死で遡る。
「陰性症状‥休息期に入ったってことですか?」
「多分ね」
徘徊をしたり幻聴が聞こえたりといった陽性症状は、急性期に属する。その次は、意欲の低下や感情の鈍化が目立つ休息期に入るんだそう。この時期は、急性期の時の症状が落ち着くけど、倦怠感や不安があらわれるって書いてあった。
この休息期の次は回復期なんだけど、ここでまた過度なストレスを受けると、病気が再発してしまうらしい。
「凪‥‥ただいまー」
固くとざされた目。ぴくりとも動かない体。
呼吸、ちゃんとしてるのかな。
文字通り死んだように眠っている凪から視線をあげ、おばさんを見つめる。
おばさんも、頭を横に振った。
「今日はずっとこんな感じ。薬が効いてきたってことなんでしょうけどね。でも無理やり起こすのもあれだから、それまでにご飯作ってるわね」
「わかりました」
いつも通り、一時間半くらいはいようと思って、課題をテーブルに広げる。
リビングにいい匂いが漂う頃には、私の課題もひと段落ついていた。
「‥‥おばさん」
「ん?」
彼女に背を向けたまま、淡々と話す。
「今日、凪をいじめてた人たちがわかって‥‥私、自分を抑えることができなかったんです。それで私の担任の緑川先生と、凪の担任の日下先生っていう人と話し合いをして‥‥」
「‥‥そんなことがあったのね」
台所にいたおばさんが、そっと私のそばに座った。
「なんとか直前で耐えたけど、それを親友に責められて‥‥。なんにも知らないくせにって思ったけど、言ってないのは私だし‥だからといって言えないし‥‥」
シャーペンを持つ手が震える。
「‥‥花鈴ちゃん、泣かないで」
鼻がツンとする。
「‥‥泣いてないです」
泣きそうではあるけど。
「違うの。心が泣いてるの」
おばさんの腕の中に、そっと包まれる。
「私も、もっと早く凪の心の声に気づいてあげられたらなあ‥‥」
耳元で響いた声は、親としての悲痛な叫びだった。
‥‥ああ、わかるなあ。私も何千回も思った。
握ったままのシャーペンを、力無く見つめる。
‥‥本当に、あの時彼を傷つけないで良かった。
その時、ガチャンと扉が開いて、おじさんが顔を出した。
その態勢のままおじさんにおかえりというおばさんを見て、小さな笑みが溢れる。
おじさんは、何があったのかと心配そうな顔をした後に、恐る恐るおばさんごと私を抱きしめてくれた。
「なんであなたも混ざってくるのよ!」
おばさんが笑った。おじさんも笑った。
私もーー声を出して、久しぶりに笑った。
幸せな気持ちいっぱいで笑いたかったのに、なぜか目尻には涙が溜まっていた。
結局そのあと、凪は目を覚ましたけど、目の前に置かれたご飯には口をつけなかった。
食欲がないって言って、また同じように眠りについたんだ。
かといって、このままずっと食べないと、本当に死んでしまう。
「凪‥‥」
なにか食べやすいものってないのかなと考えているうちに、次の朝がきてしまった。
いつも通り授業を受けて、お弁当を食べて、また授業をして帰る。
いつもと違うのは、今日も昨日と同じで、一人でご飯を食べたこと。
クラスメイトからの冷たい視線を受けつつ教室を後にしようとした時。
「花鈴ちゃん」
聞き慣れた親友の声に、後ろを振り向く。
「話したいことがあるから、ちょっとついてきてくれない?」
美琴がチラリと後ろのクラスメイトたちを見て、いつもとおなじ感じで話しかけてきた。
「‥‥うん。いいよ」
肩にかけていたリュックを持ち直して、美琴の後ろをゆく。
廊下で話している人たちの心配そうな目線の中を進んでいくと、美琴が屋上の扉の前で立ち止まった。
「‥‥他の人に聞かれたら嫌かなと思って」
そのまま扉を開けて、美琴は奥へ進んでゆく。
差し込んできた夕日に、思わず目を細める。
‥‥なんか、自然を感じるの、久しぶりかもしれない。
「昨日はごめん」
美琴が、夕陽を背に私を振り返る。
長い髪が金色に輝いて、すごく綺麗。
「私、花鈴ちゃんがああなるまで悩んでたこと、知らなかった。今まで見たことないような感じだったから、私って全然花鈴ちゃんのこと知らないんだなって、痛感したっていうか‥‥」
リュックを下ろして、美琴に向き直る。
「何も知らないのにって言ってたのは、確かに本当。でも私、花鈴ちゃんとずっと一緒にいたのに相談されなかったのって、私が信頼されてないからかなとか言っても無駄だって思われてたのかなって考えたら、悲しくて‥‥」
美琴が、泣きそうな顔で、苦しげに言葉を漏らす。
『私が、信頼されてないからーー?』
かつて私が凪の病状を知った時に、部屋で感じた絶望と孤独感。
そうだ。私は知ってる。
大切なひとに頼られなかったことの悔しさを。ただ相手が壊れてゆく様を見ていることしかできない、自分へのやるせなさを。
美琴も今、同じ気持ちなんだ。
そっと足を踏み出して、美琴を抱きしめる。
「こっちこそ、昨日はつらく当たってごめん。相談しようと思っても、できなかったんだ。したくなかったわけじゃないんだよ」
美琴から体を離して、しっかりと顔を見つめる。
「今はちょっと話すのが辛いんだ。だから美琴が良ければ、もうちょっと先まで待ってて欲しい。ほんとにわがままだけど、その時になったらーー私の話、聞いてくれる?」
風に吹かれて、美琴の髪が視界を塞いでいる。
笑ってその束をよけると、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
それを見られたのが恥ずかしかったのか、少し俯いた後に、優しげな彼女の笑顔とはまた違った、どこか子供っぽい笑顔が目にとびこんでくる。
「うん、待ってる!」
笑い合う私たちを、傾きつつある夕陽があたたかに、見守っていたのだった。