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第7話 テスト勉強

 七月に入って初めの日曜日、私は先輩の家に招かれた。

 期末テストの勉強を見てもらうためだ。


 先輩の家はやっぱりというか、すごく、大きい。足を踏み入れるのが恐れ多いと思うほどの豪邸だ。


「お邪魔、します……」

 

 広い玄関ホールにシャンデリア、目の前には螺旋階段がある。


「二階が部屋だから、そのまま上がって」


 促されるまま二階に行き、先輩の部屋に通された。

 中はベッドと机、本棚だけのシンプルな部屋だった。豪勢な家に緊張していたが、落ち着いた部屋に安心した。

 

「あの、お家の人はいないんですか?」

「うん。父親と二人暮らしなんだけど、仕事でほとんどいないから。平日はお手伝いさんが来てるけど土日は来ないからだれもいないよ」

「そう、なんですね……」


 お父さんと二人暮らしだったなんて初めて知った。病院の医院長であるお父さんはすごく忙しいのだろう。

 こんな広い家で一人だなんて寂しくないのかな。なんて考えていることがわかったのか、先輩は私に優しく微笑みかける。


「この生活に慣れてるから。父親とはあまり仲良くないし、むしろいない方が自由にできて楽なんだよね」

「ずっと、お父さんと二人暮らしなんですか?」

「小学生のころに両親が離婚してからかな。妹がいたんだけど、妹は母親と家を出て。僕も二人に付いていきたかったんだけど、跡取りだからそれは許されなかったんだよね」


 なんてことないように話しているが、きっと当時はすごくつらかっただろう。大切な人たちと離れ離れになることはいくつになっても悲しいことだ。それが小学生ならなおさら。


 お母さんと妹さんといたかったという小学生の先輩を思うと私もつらくなってくる。

 もしかしたら、今でもそんな思いを抱えているのかもしれない。


「先輩、寂しかったらちゃんと寂しいって言ってくださいね」


 驚いた顔をする先輩。私こんなことを言うと思っていなかったのだろう。でも、これは本心だ。優しい人だからこそ、自分の心の内を押し殺しているのではないかと思うときがある。


「ありがとう。今日は茜が来てくれて嬉しいよ」

「こちらこそありがとうございます。勉強、よろしくお願いします」

「うん。じゃあ、座って」


 部屋の真ん中に置かれたローテーブルの前に座り、数学の教科書とノートを広げた。

 向かいに座った先輩は私の教科書を覗き込む。


「わからないとこ、これ?」

「はい。授業でやった例題はなんとかわかるようになったんですけど、下の問題がわからなくて」


 週末の宿題でやってこいと言われている問題だが、昨日やろうとしても途中の計算で詰まってしまって最後まで解けなかった。


「こんなのあったなぁ」

「やっぱり、一年経つと忘れます?」

「数学なんて日常生活で使わないしね。わかるのはその時だけだよ」


 思い出すからちょっと待ってね、と教科書を覗き込んだままじっと考える先輩。

 距離が近くてどきりとするけれど、私も考えるふりをして一緒に教科書を覗く。

 先輩は教科書と私が途中まで解いたノートを見て、なにやらぶつぶつ呟いている。


「あーここで、代入する式が間違ってるんだ」


 ノートに書いてあるの式を指差しながら、ペンを取り出す。

 向かいに座っていたけれど、私の隣に座りなおし間違っているところを訂正しながら教えてくれる。


「ここはこっちの式を入れて、ここで展開するんだよ」

「なるほど……」


 先輩の教え方はわかりやすくて、ずっと解けなかった問題があっという間に解けた。

 忘れてるって言ってたけど、少し考えただけでさっとわかるなんてやっぱりもともと頭がいいのかな。


「ありがとうございます。次の問題やってみます」

「うん。わからなくなったらいつでも声かけて」


 先輩も自分の教科書を広げ勉強をはじめる。

 真剣な表情ですらすらとペンを走らせる様子に見惚れてしまいそうになるが、私も集中しなければと問題を解く。


 ――ん? んんー。ここはXじゃなくて、Yだったのかな? ひとつ前の式が違う? いや、ここが違うかも。ん? あれ? あー、ここはこっちか! いや違う……。


「――茜」


「えっ? はい。なんでしょう」

「すごい変な顔してるよ」

「うそ……」


 先輩はくすっと笑い、私のノートを覗く。


「どこがわからないの?」

「私、そんなに変な顔してました?」

「茜は自分が思っているより表情が豊かだよ。笑ってはくれないけど」


 全然気づいてなかった。なんか恥ずかしい。

 今まで誰にもそんな指摘されたことなかったのに。

 私は背筋を伸ばし、ぎゅっと顔を引き締める。気を抜かないようにしないと。


 先輩はそんな私を見て、手を止めた。


「茜は、どうして笑う資格がないなんて思ってるの?」

「え、それは……」


 今聞かれると思っていなかった。私の笑った顔を見たいと言っているのだから、笑わない理由を知りたいのは当然だ。


 でも、なんて言ったらいいのかわからない。夏美とのことを全部話す?

 それは私の罪をさらけ出すというとこ。そしたら先輩は私のことをどう思うだろうか。ひどい人間だと言って嫌うだろうか。


 もう、私の前からいなくなってしまうのかな。先輩のことを拒んでいるのは私の方なのに、離れてしまうのが嫌だと思うなんて、なんて自分勝手なんだろう。


 そこでふと気づく。私は先輩に嫌われるのが怖くなるくらいには、先輩のことを慕っているのかもしれない。


「僕はね、茜の良いところも悪いところも、抱えているものも全部知りたいと思ってるんだよ。それを知ったからといって今の気持ちが変わったりしない」

「先輩……。私は……私のせいで――」


 優しい声に絆されたのか、ポツリポツリと話していた。

 大切な親友がいたこと、その親友が私をかばっていじめにあったこと、私はなにもできなかったこと。


 親友を見捨てて逃げたこと。そして、彼女は橋から飛び降りて亡くなったこと。

 

 先輩は黙って私の話を聞いてくれた。

 途中、握ってくれた手に思わず涙が滲んでしまった。先輩は親指でそっと涙を拭ってくれた。


「大事な話を聞かせてくれてありがとう」

「いえ……」


 先輩は本当にエスパーで、この話も知っていたのではないかと思ってしまう。だって、先輩の表情は変わらず穏やかで、こんなひどい話を聞いてもすっと受け入れているような、そんな感じがする。


 でも、それ以上はなにも言わずにまたノートへと視線を戻した。


 あれ? 聞いておいてなにもないの? 結局私が笑わないことには納得したの?


 薄い反応に、私の方がなんだか納得がいかなくなった。


「私のせいで親友は亡くなったんです。私のことなんとも思いませんか?」

「茜のせいじゃないでしょ」

「そんなことありません。私がちゃんと向き合っていれば、ずっと彼女のそばにいれば、こんなことにはなってなかったです」

「茜はさ、その親友が茜がそばにいなかったから自ら命を絶ったと思ってるの?」

「それだけではないですけど、私が逃げずにちゃんとそばにいればこんなことにはならなかったと……」

「茜が人に死を選択させるほどの影響力があるとは思えないな」


 優しい顔をしたままとんでもないことを言う。

 私の存在なんて、夏美にとってはちっぽけなものだと言われているような気がした。


「なんか……急に辛辣ですね」

「とにかく、僕は茜のせいじゃないと思う」

「でも……」

「それに、その親友は本当に自分で命を断つほど弱い人間だった? 茜をかばって自分がいじめにあうような子が茜を置いて死んだりする? そんなに茜を大切にしてた親友が、自分のせいで笑わなくなったって知ったらどう思うのかな?」


 先輩の表情は相変わらず優しくて、決して責められているわけではなのに、今までの自分が間違っていたような気になってくる。


 私はずっと自分のことばかりで、本当の夏美の姿を考えていただろうか。

 彼女の性格、彼女の思い、彼女との出来事。

 思い返せば、先輩の言ったことのほうが夏美らしい気がする。


 いじめにあっても笑いとばして、私に顔を上げて笑えと言う。なにがあっても私のせいにしたりしないし、逃げたって責めたりしない。


 『自分で命を断つほど弱い人間だった?』


 私の知る彼女は、決してそんなことない。


 でも、もう夏美に聞いて確認することなんてできない。


 どうして橋から飛び降りたの?

 私が学校に行かなくなったこと、どう思った?

 いじめ、本当はつらかったよね?

 私のこと、嫌いになった?


 彼女はなんと答えるだろう。


 本当はいじめすごくつらかった。

 茜のことなんて嫌いになった。


 そんな言葉を頭の中で巡らせるけれど、彼女が言っている姿を想像することはできない。

 でも、だからといって本当の気持ちなんて知るすべはない。勝手な想像で自分を許すなんてできない。

 

 たぶん、夏美が私を許したとしても、私の罪悪感が消えることはない。


「私は、彼女の笑顔をもう見ることができないんです。だから、私はきっと上手く笑えません」

「そっか。それでも僕は、茜に笑って欲しいと思ってるから」


 先輩はそれだけ言うとまたノートに目を落とす。私も勉強を再開した。

 


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