第6話 肉巻きおにぎり
それから数日後の土曜日のお昼前、先輩からメッセージが届いた。
『ピクニック行こう』
なんでピクニック? それに今から?
ちょっと面倒だなと思ったけれど、続けて送られてきた写真に断りずらくなった。
『来てくれないと早起きして頑張って作ったお弁当が無駄になっちゃう』
かわいいバンダナで包まれた、二つのお弁当が並んだ写真。
先輩が作ったの? わざわざ作るなんてすごい。それに、作ってから誘うなんて断れないに決まっている。
つくづく先輩は私の性格をよくわかっていると思う。
わかりました、と返事をして部屋着からデニムとTシャツに着替え、カーディガンを羽織って家を出た。
待ち合わせは、学校の近くの公園。
小さな池があり、池を囲むように芝生の広場がある。先輩は池から少し離れたイチョウの木の下にレジャーシートを広げた。
「座って」
「準備いいですね。お邪魔します」
靴を脱いで、シートの上に膝を抱えて座った。隣に座った先輩はお弁当を広げ始める。
イケメンで、勉強もできて、料理もできるなんてすごい人だな。
でも、よく見ると先輩の手には絆創膏がたくさん貼られていた。
昨日は、絆創膏なんて貼っていなかったはず。
「先輩、その手どうしたんですか?」
「ああ、これ? 慣れないことするとこうなるよね」
はは、と笑いながら手をひらひらさせる。料理が得意なわけではないんだ。
わざわざ慣れない料理をして、私とピクニックするためにお弁当を作ってくれたんだ。
そして、広げられたお弁当を見てさらに驚いた。
少し焦げた玉子焼きと、たこさんウィンナー、レタスが敷き詰められた上には、俵の形をした照りのあるお肉がびっしりと並んでいる。
「これって……肉巻きおにぎり、ですか?」
「そうだよ。嫌いだった?」
「好きです。好きですよ。なんかもう怖いです」
事あるごとに『好き』という言葉を言わされているような気がする。
先輩のことを好きだと言ったわけではないのに、すごく嬉しそうな顔をしている。
それにしても、お弁当を作るとき、肉巻きおにぎりを作ることって一般的なのだろうか。私が知る限り、そんなことはないと思う。
どうして先輩は肉巻きおにぎりを作ったのか。私が好きなことを知っているから、と言われても、納得してしまうような気がする。でも、どこまで私のことをわかっているのか謎は深まるばかりだ。
「先輩……」
原田夏美って知っていますか、と聞こうとしてやめた。
知っていたとして、どうして知っているのか、どういう関係なのか。それを聞いたとして私はどうするのか。
知らなかったとき、誰なのと聞かれたらなんと答えたらいいかもわからない。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
「そっか。ねえ、食べてみてよ」
「はい。いただきます……」
お箸でつまんだそれは、想像よりもずっしりとしていて形もいびつだった。
けれど、口に入れた瞬間甘辛いタレとお肉のうま味が広がり、染みたご飯がすごく美味しい。
「どう?」
「美味しいです。びっくりしました」
「よかった」
味わって食べていると、先輩が顔を覗き込み、じっと見てくる。
「なんですか?」
「美味しいもの食べてるときって、笑顔にならないかなって」
「あ……えっと、美味しくないから笑わないわけじゃないですよ。本当に美味しいです。でも、なんかこう、笑うことに抵抗があるというか、もう笑い方がわからないというか……。だから、決して美味しくないということはないんです」
言い訳みたいだが、あまり感情を表に出すことができなくなったのは本当だ。
笑わないようにしていた。笑えなくなった。それでいいと思っていた。
でも今は、こんなに頑張ってくれた先輩に申し訳ないなとも思う。
「ありがとう。やっぱり茜は優しいね」
「優しい、ですか?」
「そうやって、精一杯美味しいよって伝えてくれるところ、優しいと思う」
優しいのは先輩の方だ。私はなにもしてあげられないのに、先輩はこんなに尽くそうとしてくれている。笑わそうとしているからなのかもしれないけど、無理やりじゃなく、自然で穏やかな時間をくれる。
私にはもったいないほどに。
「どうして、ここまでしてくれるんですか? 料理だって、苦手なんですよね?」
「茜に笑ってほしいからだよ」
そう言った先輩の笑顔は、どこか悲し気だった。申し訳ないと思いながらも、どうしても先輩の秘密を知りたい。先輩のことを知りたいと思うようになっている。
だから、余計に笑えない。なんて言ったら、賭けが終わる前に秘密を明かしたりするのだろうか。そしたら私が勝つ意味がなくなるな。
いや、負けたら正式な彼女になってしまうんだからちゃんと賭けには勝たないと。
その後、玉子焼きとたこさんウィンナーも食べた。
玉子焼きはほんのり甘くて、やっぱり私好みの味付けだった。
「お腹いっぱいだー。肉巻きおにぎりってけっこうお腹にくるね」
「ごはんとおかずを兼ね備えてますしね」
「天気もいいし、眠くなるね」
先輩は伸びをしながら、ゆっくり寝ころぶ。そしてそのまま目を閉じる。
「寝るんですか?」
「せっかく茜といるから寝たくない。でも、早起きして眠い」
「そんなに早くからお弁当作ってたんですか?」
「上手く作れるかわからなかったから。失敗したら誘うのはやめとくつもりだったし」
だから、前もって言わずにあんな急に連絡してきたんだ。
失敗したって、お弁当がなくたって、別にいいのに。
「先輩って、案外臆病なところもあるんですね」
「臆病にもなるよ。茜のこと、まだなにも知らないから」
なにも知らないなんてどの口が言っているんだ。先輩ほど、私のことをわかっている人なんていないと思う。
私こそ、先輩のことをまだなにも知らない。
先輩の好きなもの、得意なこと。
苦手なものとかあるのかな。
何も言わなくても先輩は私のことをなぜかよく知っている。でもそれはすごく稀で特別なことだ。
知ろうとしなければなにもわからないまま。
先輩のこと、聞いてみてもいいかな。
「先輩は、いつも休みの日はなにしてるんですか?」
「なに? 僕のこと、知りたくなってきた?」
「まあ、そうですね……」
「えぇ、なんか嬉しいな。でも、たいしたことはしてないかな。家で勉強とか」
普段から勉強してるんだ。私はテスト前しか家で勉強なんてしないな。ずっと学年一位をキープしているらしいけど、それは常に努力してるからなのかも。
将来はお医者さんだし、やっぱり大変なのかな。
お弁当も失敗したら言わないつもりだったみたいだし、陰で努力するタイプなのかのしれない。
でも、もうすぐ期末テストだ。私も勉強しないといけないのか。
「なんか嫌なこと思い出しました」
「嫌なこと?」
「期末テストです」
「ああ。でも茜、成績悪くないよね?」
悪くもないけど、良くもない。要領が悪いことは自分で自覚している。
それでも成績を落とさないように頑張ってはいる。
夢があるとか、いい大学に入りたいとか、そういうわけではないけれど、できないからと勉強から逃げて楽をしてはいけないと思っているから。
「期間中必死に勉強して、やっと平均よりちょっと上くらいですよ」
「教えてあげようか」
「え……?」
「一緒に勉強しようよ。一応できる方だし、教えてあげられると思う」
一応なんて謙遜しなくても、先輩が勉強できることを知っている。そんな人に教えてもらえるなんてありがたい話だ。
「でも、いいんですか? 学年が違うから先輩の勉強にはならないでしょうし……」
「それくらい大丈夫だよ。気にしないで――」
先輩はそう言いながら意識を手放してしまった。
よほど眠かったのだろう。早起きしたって、いったい何時に起きたのかな。どうして私にそこまでしてくれるんだろう。
お弁当、私のことを思って作ってくれたのかな。先輩が苦戦しながら料理をしているところを想像すると、なんだか可愛らしく思える。
肉巻きおにぎり、美味しかった。
でも、夏美が作るものとは少し味付けは違っていたな。同じであるはずがないのに、どうしても思い出して比べてしまう。
遠足に運動会。彼女の作るお弁当はいつもレタスを敷いた上に肉巻きおにぎりを敷き詰めただけの豪快なものだった。
『ひとつ玉子焼きと交換してくれない?』
『玉子焼きでいいの?』
『茜の玉子焼き好きなんだよね』
『私も夏美の肉巻きおにぎり好きだよ』
『これだけでごはんにもおかずにもなるから簡単でいいよね』
お母さんにはできるだけ負担をかけたくないからと自分でお弁当をつくる夏美を見習って、私も自分で作ってみることにした。普段は給食なので、たまにあるお弁当の日がすごく楽しみでもあったし、私が料理をするきっかけでもあった。
夏美のことを想うと悲しいし、自分の不甲斐なさに苦しくなる。でも、楽しいことがたくさんあった。たくさん笑い合っていた。
夏美と過ごす時間が、大好きだった。
そんな気持ちを思い出して、少し心が温かくなる。
お母さん直伝だという肉巻きおにぎりは、時短のためにレンジで加熱して作るんだと言っていた。
先輩のは焼き目がついていたからきっとフライパンで焼いて作ったのだろう。
先輩の手に目をやる。左手の人差し指と中指に絆創膏が貼られている。包丁で切ったのだろうか。たこさんウィンナーの足ってけっこう切りにくかったりするんだよね。手の甲の絆創膏は火傷でもしたのだろうか。
痛かっただろうな。痕が残らなければいいけど。
先輩は、どんな思いでこのお弁当を作ったんだろう。なんで、このお弁当を作ったんだろう。
私はまだ笑えないけど、先輩のおかげで久しぶりに大切な記憶を思い出すことができた。
「先輩、ありがとうございます」
穏やかに寝息をたてる先輩の左手を撫でた。




