第5話 アメとチョコレート
雨上がりの屋上。
まだ少し湿っているけれど、気にせず足を踏み入れる。
フェンスの前には、先輩が立っていた。
その視線の先には虹がある。
後ろから見ている私には、先輩の頭上に虹がかかっているように見える。
なんて、虹が似合う人なんだろう。
私とは正反対だな。
そんなことを思いながらゆっくりと進み、そっと隣に並んだ。
さっきまで先輩の頭上にあった虹は距離を変えることなく、私の視線の先にある。
「虹が出てるね」
「綺麗ですね……」
ぼそりと呟くと、先輩は私の顔を覗き込み、にこにこと笑う。
「え、なんですか」
「茜も、虹を見て、ちゃんと綺麗だって思うんだなって」
「それ、私の人格否定してません?」
別にそんなことを先思っていないことはわかっているが、少し意地悪を言いたくなってしまった。
私ばかり、何度も嵌められるのは納得いかない。
ほんの冗談を言ったつもりだったが、先輩はすごく慌てた様子になる。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、綺麗なものを共有できることが嬉しくて、茜も綺麗だと思ってくれて良かったなって思って、だから……」
必死に取り繕う様子に、この人はすごく純粋なんだなと思った。
いつも掴みどころがなくて、澄ました感じだったので、焦っている姿は新鮮だ。
でも、シュンとする先輩になんだか悪いことをしたように思えてきた。
「わかってますよ。そんなふうに思ってないことは」
「本当にごめんね」
先輩は俯くと、おもむろにズボンのポケットに手を入れた。両手とも。
そして、握りしめたこぶしをポケットから出すと、はい、と突き出してくる。
「お詫びにこれ。どっちがいい?」
「お詫び?!」
急にこぶしを突き出されて何だと思ったけれど、これは、何かが手のひらの中に入っているやつだ。
何かはわからないけれど、適当に右手を指さした。
ゆっくりと右手が開かれる。そこには、いちごみるくのアメがあった。
昔からあるメジャーなアメではあるけれど、それを見て動けなくなる。
大好きで、思い出のあるアメだったから。
「このアメ、嫌い?」
「いえ、好きです」
先輩は私の返答に満足そうに頷くと、手のひらに乗ったアメを差し出す。
このアメ、少し舐めたあと薄くなった表面を噛むと、サクホロッとした食感になって美味しいんだよね。
「ありがとうございます」
受け取ると、指でつまんだままいちごみるくのアメを眺める。
今食べようかどうしようか迷ったけれど、食べないことにした。
スカートのポケットに入れ、もう消えてしまいそうな虹を見つめる。
「食べないの?」
「はい。後でゆっくりいただきます」
「そっかぁ、じゃあこっちもあげるよ」
そう言って先輩は左手を開き、差し出してきた。
手のひらには、小さな台形のチョコレートが乗っている。
「え……?」
「チョコレートならすぐになくなるから、食べやすいでしょ?」
そういうことじゃないんだけどな、と思いながらチョコレートも受け取った。
先輩は左のポケットに手を入れるともうひとつチョコレートを取り出し、包装をクルクルと外すと口に入れる。
食べたら? と言われたので私も包装を外し口に入れた。
台形の、上面にアルファベットが刻印された、ごく一般的なチョコレート。
シンプルだけれど、止まらなくなるような、癖になる味。
『茜ー、チョコあげる』
『ありがとう。夏美いつもこのチョコ持ってるね』
『ちょっと口に入れたいときにいいんだよね。まあ、いつもちょっとじゃなくて止まらなくなっちゃうけど』
『それわかるかも。はい、私もアメあげる』
『あ、いちごみるくだ。アメって舐めるものだけど、これだけは噛みたくなるよね』
なんでもない、日常の中にあった思い出の味。
思い返すと、この日常が特別だったと気づく。もう、決して戻ってはこない幸せな日常。
どうして先輩はこんなにも私の心の中を掘り起こすようなことばかりするのだろう。
気にしすぎだろうか。
いちごみるくのアメも、チョコレートも特に珍しくはないものなのに、この偶然に乱されてしまう。
「先輩、このチョコレート好きなんですか?」
「うん。たくさん入ってていいよね。いつもつい食べすぎるんだよ」
なんて言っているそばから、またポケットに手を入れチョコレートを取り出し口に入れる。
「ふしぎなポケットみたい……」
「ポケットの中にはビスケットがひとつ~のやつ?」
私の呟きを聞いて突然歌い出す先輩。にこりと笑うと両手でポケットをポンッと叩き、両方からアメとチョコレートを取り出した。
そして私に渡すと、もう一度ポケットを叩いて、またアメとチョコレートを取り出し私に渡す。
「いったい何個持ってるんですか」
「次で終わりかな?」
最後にポケットをポンッと叩くと、両手に二つずつ取り出し渡してきた。
「こんなに貰えませんよ」
「大丈夫大丈夫。鞄の中に袋ごと入ってるから」
私は両手いっぱいのアメとチョコレートを見つめ、これはスカートのポケットには入りきらないと思い鞄の中にしまった。
「ありがとうございます。後で食べます」
「今度、茜の好きなお菓子教えてね」
顔を覗き込んでくる先輩。黙って頷くと、満足そうに笑い空を見上げる。
虹はもう消えている。
雨上がりの澄んだ空は眩しいくらいにキラキラとしていた。
「あ、まだ入ってた」
先輩はポケットからいちごみるくのアメを取り出すと包装を外し口に入れた。
入れた瞬間ガリっと嚙み砕く。
「このアメはさ、噛むことで本来の美味しさを引き立たせるよね」
なんてそれっぽいことを言って、あっという間に食べてしまっていた。
袋ごと持ってるって言ってたし、けっこう食いしん坊な人なのかな。
でも、すごく楽しい人なんだろうな。
わざとらしさとか、嫌みっぽいところもなく、出会って間もないけど、全然気をつかわなくていい。
一緒にいても苦にはならない、不思議な雰囲気を持った人だと思った。