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第4話 飛行機雲

 翌日の放課後、先輩から屋上に来てと呼び出された。

 来ないなら教室まで迎えに行くと言われたら、行かざるを得ない。


 私は重たい扉を開け、屋上に出た。

 先輩は、まだ来ていないみたいだ。


 そのまま真っ直ぐフェンスのところまで行き、また橋を眺める。

 夏美は、どんな思いであの橋から飛び降りたのだろう。痛かっただろうか。苦しかっただろうか。


 もし私が彼女の立場ならどうしていただろう。ひどいいじめに合い、親友だと思っていた相手は自分を見捨て学校に来なくなり、一人で戦うことができただろうか。


 そんなの、耐えられないに決まっている。


 きっと、夏美は想像もつかない思いを抱えていたんだろう。私は抱えていることさえ見て見ぬふりをしてしまっていた――


「落ちないでよ」


「え?」


 声がして振り返ると、塔屋の上で胡坐をかく先輩がいた。

 あんなところにいたんだ。今までもあそこから私を見ていたのだろうか。


 先輩は塔屋の上から手招きをする。


 上ってこいということ? どうやってあんなところに上るの?


 考えていることがわかったのか、先輩は扉の横側の壁を指さす。覗き込むと梯子がついていた。

 絶対、一般人が上るような梯子ではないなと思いながらも、細いパイプの梯子をゆっくり上る。


「いらっしゃい」

 

 まるで自分の家に迎えいれたかのように言う。

 そして先輩は腕を枕に仰向けに寝転んだ。


「緒方さんも寝転んでみてよ」


 私にも促してくるが、雨ざらしのこんなところ汚くないだろうか。


「汚れません?」

「学校生活送ってたら汚れるなんて普通でしょ。そんな細かいこと気にしてたら何にもできないよ」


 緒方さんてそんなに繊細なの? と言う先輩に、なんだかどうでもよくなってゆっくり隣に寝転んだ。


「あ……」


 視界いっぱいに広がった青空には、飛行機雲が線を引いていた。


「茜」

「え?」


 突然名前を呼ぶ先輩。私の方は見ずに空を見上げたまま、柔らかく笑う。


「名前、だめだった?」

「だめ……ではないですけど」

「良かった」


 私もまた空を見上げる。


 こんなふうに空を見るのなんて三年ぶりだ。見ないようにしていたのに。

 しないようにしていたことを、こんなに簡単にしてしまうなんて。

 なんだか嵌められたような気がしてしまう。

 先輩は、どこまで私のことをわかっているのだろうか。わざとやっているのだろうか。


 だとしたら恐ろしい人だ。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。


「茜はどうして飛行機雲が好きなの?」


 先日の、好きでしょという言葉に肯定したわけではなかった。なのに、先輩のなかではもう私が飛行機雲が好きなことは確定事項みたいだ。


 さすがに理由までは知らないみたいだけど。


「嗤わないでくださいね」

「そんなことしないよ」


 私は空に手をかざした。

 人差し指で飛行機雲をスッとなぞるように動かす。


「こうやってなぞると、まるで自分が空に線を描いたような気持ちになるんですよね。空に、触れたような気がするんです。空に触れるなんてことはあるわけないんですけどね」

「なんかいいね、そういうの」


 先輩は真似をして空に手をかざし、そっとなぞるように人差し指を動かす。

 どこまでも続く青空を真っ直ぐに駆ける白い線は、本当に先輩が描いたかのようだった。


「ところで先輩、私たちって仮でも付き合う必要ってありますかね?」

「まあ、それは少しでも茜と一緒にいる時間をつくるための口実だよね」

「私は上手くのせられたんですね」

「心配しなくても、変なことはしないから」


 穏やかで優しい声は、どこか無条件で相手を安心させるなにかを持っている気がする。

 そんな先輩に流されてしまっていることが少し怖い。


「明日は雨だね」


 同じことを思っていた。

 飛行機雲は、まだ残っている。きっと湿度が高いのだろう。


「傘、持ってこないとですね」

「じゃあ、わざと忘れて茜の傘に入れてもらおうかな」

「だったら私が二本持ってきますよ」

「優しいんだか意地悪なんだか」


 先輩はくすりと笑うと起き上がって伸びをした。そして手を差し出してくる。私は素直に先輩の手を取った。

 支えられながら立ち上がると、いつもよりも格段に広い世界が見えた気がした。


「こんな高いところに立つの初めてかもしれません」

「本当に、空に触れられそうな気がするね」

「それは無理でしょうけど、久しぶりに空を近くに感じました」


 罪悪感と気持ちよさを感じながら、大きく息を吸った。


「これからもっと、たくさん取り戻していくから――」


「え?」

「なんでもないよ」


 青空を背に笑う先輩の顔に、どこか懐かしさを覚えた。


 三日前初めて話をしたのに、一緒にいればいるほど懐かしく思えてくる。

 この不思議な感覚に、絶対に賭けに勝とうと決めた。勝って、先輩の秘密を聞かなければ。

 


 次の日、話していた通り雨が降っていた。

 昼前頃からぽつぽつと降り始め、ホームルームが終わる頃にはけっこうな大雨になった。


 屋上には行けないし、放課後そのまま下駄箱に向かうと、先輩の後ろ姿を見つけた。

 玄関の屋根の下で雨空を見上げている。

 傘、持ってきてないのかな。持ってきてないとしたらわざとだな。


 私は傘を持って先輩の横をすっと通り過ぎようとした。


「あ! 茜」


 予想はしていたけれど、やっぱり呼び止められた。

 振り返り、子犬のような目で見つめてくる先輩に呆れた顔を向ける。


「傘、わざと忘れましたよね?」

「そんなことはしないよ。お願い、いれてくれない?」

「嫌ですよ。先輩と相合傘なんてしたら目立ちます」

「そっかぁ……残念」


 わざとらしく肩をすくめる先輩に、鞄から折り畳み傘を取り出し差し出した。


「これ、使ってください」

「さすが茜。準備がいいね」

 

 そう言いながらも傘を受け取ろうとしない。どうしたのだろうと思っていると、先輩は自分の鞄から折り畳みの傘を取り出した。


「え? 持ってたんですか?」

「そんなことはしないって言ったでしょ? 茜の傘に入れてもらえないかなと思って出さなかっただけ」


 なんてずる賢い人なんだろう。昨日あんな話をしたから一応折り畳みの傘を持ってきていた。でも、もし持ってきていなかったらしぶしぶこの傘に入れていたかもしれない。


「もう、帰ります」

「待って、一緒に帰ろうよ」


 先輩は傘を広げついてくる。


 賭けをしているし、一応、仮の彼女らしいので、ついて来ないでとはさすがに言わない。


 傘と傘がぶつからない程度の距離を保ちながら並んで歩いた。


 そして学校を出て二つ目の路地を曲がったところで、なぜか先輩は傘を閉じてしまった。雨が止んだわけでもないのに。

 傘をささないままなんでもないことのように、そのまま私の隣を歩く。


「なにしてるんですか?! 濡れてますよ!」


 平気で雨に降られる先輩を、とっさに自分の傘に入れた。


「茜は優しいね」


 くすりと笑う先輩にはっとした。また、嵌められた気分だ。


「先輩はすごくずるいです」


 傘に入れてくれなかったらこのまま濡れて帰るなんて言うから、結局相合傘をすることになってしまった。


「ここならもうそんなに学校の人に見られないでしょ」

「そういう問題じゃないですよ……」


 先輩は私から傘を受け取り持ってくれる。一緒に傘に入ったものの、そのほとんどが私にかけられ、先輩の肩は濡れていた。

 気付いていたけれど、言わなかった。言っても先輩は自分の方に傾けることはしないだろう。

 それよりも、じゃあもっとくっついて、なんて言われそうだ。


 傘の中で先輩の顔を見上げる。

 肩を濡らしながら嬉しそうに笑う先輩は、少し強引だけど憎めない人だなと思った。

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