第23話 柊也side 高校生編
肩を震わせる彼女の後ろ姿に、僕の心臓は怖いくらいに大きく波打つ。
二年振りに見る彼女の姿は、儚げで、今にも消えてしまいそうで、それでいて綺麗だった。
もうずっと会っていなかったのに、一目見た瞬間、あの頃の想いが甦る。
僕たちは、高校生になった。
でも、僕は彼女の隣に立つ資格があるのだろうか。
◇
「東堂くん、今からみんなでカラオケ行くんだけど一緒にいかない?」
「誘ってくれてありがとう。でも帰って勉強しないといけないから。ごめんね」
「そっかぁ。そうだよね、勉強頑張ってね!」
肩を落としながら教室を出ていくクラスメイト。一度だって誘いを受けたことはないのに毎度律儀に誘ってくれる。
こうやって笑顔を貼り付け、そつなく人間関係を築くことには慣れている。面倒ごとは避け、丁度いい距離感を保つ。一見、なんの問題もない人生だ。
夏美が亡くなってもうすぐ二年が経つ。
心に空いた穴が埋まることはないけれど、夏美のいない日常が当たり前になっていた。
放課後、屋上へ行き塔屋に上る。
胡坐をかいて座り、遠くに見える橋を眺める。
あの橋から夏美は飛び降りた。
子猫を助けるために飛び降りるなんてほんとバカだ。茜に誕生日プレゼントを渡しにいかなければいけなかったのに、川に飛び込むなんてどうかしてる。
なんて言っても、夏美はもう戻ってこない。
先日、一年生が入学してきた。
もしかしたら、と思ったけれど彼女を探すことはしなかった。
見つけたところで、僕はどうするのだろう。何もできないくせに。それにいなければきっと落胆するんだろう。
そのまま寝転び、空を見上げた――。
それからしばらくして、いつものように屋上の塔屋で寝転んで空を見ていると、ギィとドアの開く音がした。
今まで屋上に誰かが来ることなんてなかったのに。
起き上がり見てみると、フェンスの手すりを掴む女子生徒がいた。
まだ皺や汚れのない綺麗な制服。華奢な身体に、肩までの黒髪。その後ろ姿にドキリとした。
飛び降りるのではないかと思うほど身を乗り出し、じっと遠くを見つめている。そして、すぐに肩を震わせた。押し殺している嗚咽が聞こえてくるようだった。
少しの間そうしていた彼女は、大きく息を吸い、踵を返す。
真っ直ぐに前を向き、感情のない表情で入り口へと歩いていく。
けれど、瞬きをした瞬間、その瞳からは一粒の涙が零れた。
「茜……」
僕の呟きは聞こえない。僕の存在すら彼女は知り得ない。
だからといって、今ここで飛び出す勇気はなかった。
この日から、茜は毎日屋上へ来るようになった。
彼女もきっと、あの橋を眺めている。夏美を想って、心をすり減らしている。
先日、廊下で茜を見つけた。
ちょうど理科室から出てきたところだった。
茜の前にはノートを運んでいるクラスメイト。そのクラスメイトが躓きかけた。茜はそっとその子を支え、何も言わずにノートを半分持って一緒に職員室へと歩いていく。
僕は無意識について行っていた。
「緒方さん、ありがとね」
「ううん」
職員室から出てきた二人はそれだけの会話を交わし、教室へと戻っていく。
クラスメイトに対しても、素っ気ない返事しかしていない。以前、夏美と楽しそうに話していた茜はどこにもいなかった。
けれど、その優しさは何も変わっていない。周りを気遣う行動力も。
僕は学校で茜を探しては、目で追うようになっていた。
体育祭のとき、周りの様子を伺ってはちょこちょこと動いている姿が可愛かった。誰かと一緒にいるわけではなく、自然とそこに馴染んでいるような存在なんだと見ていて思う。
ただ、ずっと見ていても茜が笑うことはなかった。
中学生のときの嫌がらせの件から笑うことがなくなったのだろう。
それでも毎日学校に来て、周りの人たちを気遣い、一生懸命に生きている。
その姿に僕は以前よりももっと、彼女に惹かれていた。
僕が今、目の前に現れたら、どう思うのだろう。何を感じるのだろう。
夏美に兄がいることは知らないはず。兄だなんて名乗り出たりなんかしたら戸惑わせるだろうか。
つらい気持ちを思い出させてしまうだろうか。
自分なりに一生懸命生きている彼女の前に僕が現れてどう思うのか、怖い。
きみのことが好きだ、なんて言えない。
だから、遠くから見ていることしかできなかった。
そして茜がこの高校に入学して一年が経った。
相変わらず放課後毎日のように屋上にきてはあの橋を眺めている茜。それを塔屋の上から眺めている僕。
日常の中に、茜の存在があることが当たり前になってきた。
だからこそ、気付いたことがある。
彼女の瞳に色がないこと。
儚げで、今にも消えていきそうな背中。
何度、本当に飛び降りるのではないかと思ったか。
僕は、本当にただ見ているだけでいいのだろうか。
もう三年、彼女の笑顔を見ていない。僕と夏美が大好きだったあの笑顔。
茜に笑って欲しい。
僕と、夏美の願い。
茜は、どうして今も笑うことがないのだろう。
僕は彼女のことを何も知らない。何もわかっていない。
僕の存在がどんな影響を与えるかはわからない。つらい思いをさせてしまうかもしれない。
――だったら、夏美の兄だって言わなければいいじゃないか。
言わずに、そばにいればいい。決して重荷にはならないように。それでいて、僕の想いは伝わるように。
遅くなってしまったけど、覚悟を決めた。
臆病になっていたけれど、それじゃいけない。
今から、そこに行くよ――
茜が僕を見る。瞳が揺れる。どうしてもっと早くにこうしていなかったんだろう。
「――確実に死ぬなら七階以上がいいよ」
「いや、私死ぬつもりなんてありません」
ああ、良かった。飛び降りるわけないとわかっていても、どうしても不安だった。
いつか訪れるのではないかと思っていた恐怖が、杞憂に変わる。
「そう? 今にも消えそうな顔してて、飛び降りるのかと思った」
「消えてしまえたら楽なんでしょうけど、でもそんな逃げるようなこと私には許されませんから」
「許されないって誰に?」
「それは……私です」
「へぇ」
茜、きみは何も悪いことなんてしていないよ。誰かにも、自分にも、許しを請う必要なんてない。
もっと自分を大切に生きてもいいんだ。
「笑った顔、見てみたいな」
「私、笑いませんから」
「どうして?」
「笑う資格なんて、私にはないので」
どうして、そんなふうに思うの? 夏美のことをまだ気にしてる?
たしかに夏美はもう戻ってこない。でも、茜のせいじゃないよ。
もっと、きみの想いを聞かせて。つらいこと、苦しいこと全部知りたい。
僕も、すごく悲しい。だからきっと分け合える。これからの苦しみも喜びも。
そんなに下ばかり見ないで。前を向いてよ。じゃないと、夏美も悲しむよ。
今はまだ、本当のことは言わない。
それでも僕はきみを楽しませる。きみを笑わせる。
たとえ嘘をついてでも、きみの心を取り戻すから。
だから、ずっと隣にいさせて欲しい。
「僕が勝ったら、正式な彼女になるんだよ――」




