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第2話 クレープ

 ――放課後、迷った末に屋上へは行かないことにした。


 言われた通りに素直に屋上へ行くことに躊躇いがある。

 なんでも見透かすようなあの先輩が、少し怖くもあった。


 ホームルームが終わり、他の生徒の流れに乗って下駄箱へ向かう。

 靴に履き替え玄関を出ると、そこには東堂先輩の姿があった。


 先輩は私を視界に入れると、にこりと微笑む。


「やっぱり。屋上には行かないと思った。ここで待ってて正解だったよ」

「本当にエスパーなんですか」

「自分でもそうなんじゃないかと思えてくるよ」


 笑いながら自然に私の隣に並んでくる。


「何してるんですか」

「一緒に帰ろうと思って」

「嫌ですよ」

「つれないなぁ」


 なんてやり取りをしながら一緒に歩いていた。だって、先輩が勝手についてくるから。


 だれかとこんなふうに話すのはいつぶりだろう。

 高校に入ってすぐのころは何人かに話しかけられたりもしたけれど、私がずっとそっけない態度をとっていたので今では話しかけられなくなった。


 それでも、授業中や必要な連絡事項などの最低限の会話はある。いっそのこと、全て無視していじめてくれたりなんかしてもよかったのに。なんて思うのはひねくれすぎだろうか。


 今の生温い環境が、私には平穏過ぎているような気がしている。


「先輩は、どうして私にかまうんですか?」

「一目惚れしたから」

「はい?!」


 昨日の、エスパー発言の時よりも間抜けな顔をしていると思う。

 いったい、私の何を見て一目惚れしたというのだろう。飛び降り自殺をすると勘違いするようなことをしていたのに。そんな女のどこに惚れるというのだろう。


 そもそも、先輩は昨日初めて私を見たのだろうか。もっと前から知っていたような口ぶりだった気がする。

 じゃあ、一目惚れしたのはいつ? それよりも、本当に一目惚れしたの?


「またお得意の冗談ですか? 笑えませんよ」


 なんと返せばいいかわからず、とりあえずこの話は流すことにした。けれど、先輩の表情は真剣だった。


「君のことが気になって、仕方がないんだよ」


 一目惚れした、と言ったときには感じなかった緊張感が漂う。

 『気になって、仕方がない』その言葉はきっと冗談ではない。

 流すことのできない空気が苦しい。


「どうして、ですか?」

「教えてあげるからちょっとつきあってよ」

「えっ?」


 先輩は柔らかい表情に戻ると、私の手を取り街の方へ歩いて行く。

 わけがわからなかったけれど、言われるがままついていった。


 拒否することもできただろうけど、なんとなく知りたいと思った。

 一目惚れしたという理由が。

 

 やってきたのは、駅前の広場にいつも来ている屋台のクレープ屋さんだった。

 中学生のころは、何度もきた場所。


 先輩は買ってくるから待っててと言い、私は近くのベンチに座ってクレープを買う先輩を眺めた。

 背が高くて、色素の薄いサラサラの髪。鼻筋の通ったシュッとした顔はどの角度から見てもイケメンだ。その上頭が良くて病院の跡取りとなれば、全学年の女子から騒がれるのも頷ける。


 だからこそ、こんなところ学校の誰かに見られたら大変なことになるかもしれない。

 私が一目惚れされた、なんて知れたらどうなるのだろう。

 まあ、周りにどう思われようとどうでもいいけど。


 なんて考えていると先輩がクレープを二つ持って戻ってきた。


「はい、これ。僕のおごりね」

「え……いいですよ。自分の分は払い――」


 払います、と言いかけたが差し出されたクレープを見て驚いて固まってしまった。


 それは、王道のバナナでも、いちごでも、チョコレートでもない、ブルーベリーのクレープだった。私が好きだった、ブルーベリーのクレープ。

 なにがいいとも何も言っていないし、聞かれてもいない。

 先輩はたまたまブルーベリーを選んだのだろうか。普通、もっと無難なものにしないだろうか。

 もう一つの方はいちごのクレープだ。こういう時って、どっちがいい? とか聞いたりしないものだろうか。


 私がブルーベリーを食べるとわかっているような行動に、疑問ばかりが浮かぶ。


「ブルーベリー、嫌いだった? いちごにする?」


 固まった私を見て、初めてどちらがいいか聞いてくる。先輩は、いちごを食べるつもりで買ったはずだ。私がいちごがいいと言ったらどういう反応をするのだろう。


 そんな探るようなことはしないけれど。

 

「いえ。ブルーベリー、好きです」

「じゃあ、はい。お金はいいからね。付き合ってもらうお礼だから。一回ここのクレープ食べてみたかったんだ」

「ありがとうございます……」


 クレープを受け取り、先輩は私の隣に腰掛ける。

 紙を少しだけ破いて、控えめに頬張った。


 ……美味しい。


 もっちりとした生地と甘いクリーム、酸味のあるブルーベリーが口の中でちょうどよく広がる。


 美味しくて、懐かしくて、苦しい。

 あの頃の思い出が、鮮明に浮かび、体に染み渡るように感じる。


『茜はまたブルーベリー? よく飽きないね』

『夏美もいつもいちごじゃん』

『いちごは飽きないでしょ!』

『ブルーベリーだって飽きないよ』

『ねぇ、一口ちょうだい?』

『いいよ。いちごもちょうだい』


 頑張った日、つらいことがあった日、ちょっと特別な日、夏美とよくここに来てクレープを食べた――。

 

「緒方さん? どうかした?」

「いえ……なんでも、ないです」


 声が、震えてしまう。なかなか食べ進めることができない。

 それでも、ゆっくりと懐かしい味を嚙みしめる。


「緒方さんの、泣き顔に惹かれたんだよね」

「え……?」

「前に、屋上で泣いてたでしょ。その顔がすごく綺麗だと思ったんだ」

「私、泣いてなんか……」


 いや、泣いたことがあるかもしれない。


 ちょうど一年前、高校に入学して少ししたころ、なんとなく行った屋上から、あの橋が見えることを知ったとき。思わず、涙が溢れていた。


「いつから私のこと知ってたんですか?」

「それは秘密だよ」

「はぁ、そうですか」


 肝心なことは言ってくれないんだ。

 先輩はにこにこしながらクレープを食べ進める。


「ブルーベリーも一口くれない?」

「……無理、です」


 先輩が買ったのだから断るのは失礼かと思ったけれど、了承することはできなかった。

 残念。先輩はそう言って最後の一口をパクッと口に入れ、噛みしめるように飲み込んだ。


 そして、私の顔を覗き込む。


「緒方さん、僕と付き合ってよ」

「お断りします」

「即答だね」

「彼氏とかそういうの、必要ないんで」

「けっこう冷めてるよね」

「そうなんです。私、冷めてるんです。だから付き合ってもなにも楽しいことないですよ」

「違うよ。僕は楽しみたいんじゃない。君を楽しませたいんだ」


 楽しませたい。そう思われるのは特別なことで、ありがたいことだとは思う。

 でも付き合うって、お互いが楽しくなければ意味がないのではないかと、付き合ったことのない私でもわかる。


 私は、彼氏をつくるつもりもなければ、先輩のことを好きでもなんでもない。

 

「……無理です。すみません」

「じゃあさ、賭けをしようよ」

「賭け?」

「三ヶ月、ちょうど夏休みが終わるまでに君を笑わせたら僕の勝ち。彼女になってよ。笑わせることができなかったら君の勝ち。君のことは諦める」

「それって、私が勝ってもなんのメリットもないですね」

「意外と欲はあるんだね。ちょっと嬉しい」


 欲というか、そんな賭けをしてもなんの意味もない。

 なんで嬉しいのかはわからないが、先輩はにこりと笑うと私の顔に手をのばしてくる。

 そして親指でそっと唇をなぞり、クリームのついた親指をぺろりと舐めた。


「っ……!」

「君が勝ったら、僕のとっておきの秘密を教えてあげるよ」

「な、なにするんですか」

「クリームついてたから」

「言ってくれたら自分で拭けます」

「そんなことよりさ、僕の秘密知りたくない?」


 そんなこと?! 口についたクリームを指で拭って舐めることって、そんなことなの?!

 認識の差が大きすぎる。


 でも……先輩の秘密が少し気になってしまう。


 どうして、だれにも言っていない私のことを知っているのか。飛行機雲が好きなこととか、ブルーベリーのクレープを食べることとか。


「秘密って、エスパーかもってこととかですか」

「それも含めて、かな? 気になる?」

「まあ、気にはなります」

「じゃあ、交渉成立ということで」

「私、笑いませんからね」


 三ヶ月笑わなかったら賭けは私の勝ちだ。もう三年笑っていないのだから、三ヶ月くらいで笑うこともないだろう。夏休みが終わったら先輩の秘密を聞いて、きっぱりお断りすればいい。


 私は残りのクレープを食べ、立ち上がった。


 先輩も立ち上がり、一歩前に出ると空を見上げた。


「今から君は僕の彼女(仮)ね。よろしく」

「はいっ? そんな話は聞いてませんよ」

「僕が勝ったら、正式な彼女になるんだよ」


 有無を言わせぬ笑みに、私はただ苦笑いをするしかなかった。

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