第18話 体育祭
あっという間に三週間が経ち、体育祭の日がやってきた。
全校生徒でラジオ体操をした後、競技が始まる。
はじめはリレーだ。
なぜ一番盛り上がるリレーが最初にあるのかというと、最初の盛り上がりが肝心だからだと、クラスの実行委員の子が言っていた。
ちなみに今年の障害物競走の内容は始まるまで秘密だそうだ。
私は香耶ちゃんとリレーのメンバーの子たちに頑張ってねと声をかけ、クラスのテントに戻る。
三年生のテントの方に目を向けると、先輩を見つけた。
久しぶりに見る先輩はクラスメイトたちに囲まれ笑い合っていて、その笑顔が私に向かないことが寂しく感じる。
遠目で見る先輩は、本当に遠い存在の人なんだと思い知らされているようだった。
そうしているうちに、リレーが始まった。
特訓の甲斐あってスムーズにバトンを繋いでいる。
「頑張れー!」
テントからクラスのみんなと応援する。こんなに声を出したのは久しぶりだ。
今日まで頑張ってきたみんなを知っているから、応援したくなる。
そばでちゃんと見てきたから、自分のことのようにドキドキする。
「香耶ちゃーん、いけー!」
アンカーの香耶ちゃんにバトンが渡された。
今の順位は二位。スタートした時には少し距離が空いていたけれど、グングン追い上げている。
「頑張れ!」
怒涛の勢いで追い上げ、一番にテープを切ったのは――香耶ちゃんだった。
「やったー!」
「すごい!」
「いえーい!」
一位の旗を持って戻ってきた香耶ちゃんはガッツポーズをする。
他のリレーのメンバーも集まりみんなでハイタッチをした。
自分が走ったわけではないのにどこか清々しくて、一緒に喜び合えることがすごく嬉しい。
「みんなおめでとう」
「バトンめっちゃよかったよね」
「上手くいってよかった」
「幸先いいね。次も頑張ろう!」
クラスのみんなもリレーメンバーを笑顔で称える。
そしてすぐに次の競技が始まった。
玉入れ、騎馬戦、と終わり次は障害物競走だ。
香耶ちゃんと一緒に集合場所に並ぶ。
「今年は何があるんだろうね」
「どきどきするね」
実行委員が準備を終え、説明が始まる。
まず、フラフープで縄跳びをしながらコースを四分の一周走る。次にハードルを五つくぐり、跳び箱を跳ぶ。最後に借り物競争をして終わりだ。
コース説明を聞いていた香耶ちゃんは頭を抱えている。
「今年はパン食い競争がいないのかぁ! はずれ年だぁ」
「残念だったね」
「くうー。でも頑張ろう」
パン食い競争がないのは残念だけど、グルグルバットがないのは良かったな、と思いがらスタート地点に立つ。
各クラス二名ずつが出場し、前半後半に分かれて一人ずつスタートする。前半は香耶ちゃんが行くことになった。
スタートの合図と共に前半組が一斉にスタートする。香耶ちゃんはスタートダッシュを決め、まるでフラフープなんて持っていないかのようなスピードで駆けて行く。
そしてそのままの勢いでハードルを飛び越えようとして実行委員に止められた。ちゃんと下をくぐって障害物を突破していく。
勢いよく跳び箱を跳んで、借り物競争の紙が入っているボックスに手を突っ込む。
「フィッシュボーンの人ー!!」
香耶ちゃんが叫んだ。
フィッシュボーン? って髪型のことだよね。
周りを見渡すが、残念ながらフィッシュボーンの子はいない。
かろうじて三つ編みの子はいるが、それではだめだろう。
香耶ちゃんは腕を組み何かを考えると、クラスのテントに行き、髪の長いクラスメイトを捕まえる。そして慣れない手つきでフィッシュボーンに編み込み、ゴールまで連れていった。
荒技だ。香耶ちゃんらしい。
最後に少し時間を取られて四位だったけれど、すごく検討していた。
他にもメガネの人や、坊主頭の人、彼氏らしき人を連れてる人、グラウンドを出てどこかに行った人がいると思ったら、用務員さんを連れてきた人もいる。
そしてふと気づく。紙が入っているボックスに『借り物』ではなく『借り者』と書かれていることに。
“者”ってことは、借りてくるのは全て人ってこと?
なんだか急に不安になってきた。
香耶ちゃんと、リレーの練習で仲良くなった子以外はまだ普通に話せる人なんていないし、条件に合った人に声をかけるようなコミュニケーション能力なんて私にはない。
どうしようと、どきどきしたまま後半組がスタートした。
背が低いこともあるのか、フラフープは案外スムーズに進めた。
ハードルくぐりは想像以上に膝が痛い。手のひらも痛い。でも、急いでくぐり、跳び箱の前まで走る。
香耶ちゃんみたいに、そのままの勢いで跳ぼうとしたけれど、見事に真ん中あたりでおしりをついてしまった。
手を使ってよいしょよいしょと跳び箱を降り、最後のコーナーで借り者のボックスに手を入れる。
引いたのは『一番仲の良い異性』だった。
一番、仲の良い、異性?
一番もなにも仲の良い異性なんていないのに。
どうしよう。誰か適当に男子生徒に声をかける? 適当っていっても誰に? クラスの男子? クラスの男子の、誰?
ああもうどうすればいいかわからない。
異性の文字を見てすぐに浮かんだのは先輩の顔だった。でもだめだ。こんなこと先輩に頼めない。
どうしよう……。
紙を見つめ固まっていると、香耶ちゃんの声がした。
「茜ー! しっかりー!」
顔を上げる。
すぐ前には三年生のテント。先輩と、目が合った。私のことをじっと見ている。
それだけで、なぜか泣きたくなってくる。
「先輩……」
小さく、小さく呟いただけだった。
聞こえているはずはないのだけれど、先輩は立ち上がり、こちらに歩いてくる。
私もつられて先輩のところに向かった。
「一緒に、来てもらえませんか?」
「うん」
先輩は以前と変わらない優しい笑顔で頷き、私の手をとってゴールへ走った。
実行委員に紙を見せ、無事ゴールすると、先輩は私の手を握ったままどこかに歩いていく。
「先輩? どこ行くんですか?」
「顔、汚れてるよ」
「えっ……」
体育館の横の手洗い場まで連れていかれ、先輩は手を放す。
ポケットからハンカチを取り出すと水で濡らし、私の頬をそっと拭いてくれた。
ハードルをくぐったときに砂埃がすごかったからその時に汚れたのだろうか。
「ありがとう、ございます」
「紙、なんて書いてたの?」
「え……」
頬を拭かれながら正直に答えようか、はぐらかそうか頭を巡らせる。
あんな酷いことを言っておいて、一番仲の良い異性だなんて都合よく使っているみたいじゃないだろうか。
でも、嘘をついたところでなんの意味もない。
「一番仲の良い異性……です」
言っていて恥ずかしくて、申し訳なくて、先輩の顔を見ることができずに俯いた。
「僕のこと、仲が良いって思ってくれてるの?」
「私、先輩にあんなひどいこと言ったのに……ごめんなさい」
「謝らないで。呼んでくれて嬉しかった」
「聞こえたんですか?」
「声は聞こえなかったけど、口元でね。茜が先輩って呼ぶとき、口角が上がるんだよ。唯一、表情が少し明るくなる瞬間なんだ。だから今まで名前で呼んでとは言わなかったんだよね」
知らなかった……。というか、そんなこと気にしたことなかった。
知ってしまうとなんだか先輩って呼びずらくなるな。だからといって名前も呼べないけれど。
まあ、もう呼ぶこともないか。体育祭という特別な状況だったからこうして話しているだけで、なにもなければ、見かけることすらしないのだから。
「あの、ありがとうございました。それじゃ」
「待って僕、茜に言いたいことが――」
先輩がなにか言いかけとき、ガシャン! と大きな音がした。
振り返ると、体育館横に立てかけられている、たたまれた状態のテントのパイプがいくつか倒れてきている。
危ない、避けないと、そう思うのに足が動かない。
「茜っ」
その瞬間、先輩の温かい腕に包まれた。と同時に大きな音がして倒れ込む。
「いった……先輩っ? 先輩!」
すぐに腕の中から抜け出し、先輩の上に乗ったパイプを退ける。
顔を覗き込むが、意識はない。
「先輩、先輩、やだ……先輩っ」
大きな音で気がついたのか、先生たちも集まってきてすぐに救急車が呼ばれる。
先輩は救急車に乗せられ、先生が付き添い病院へ運ばれていった。
体育祭は生徒たちがパニックならないように、大事にはせず続けられたらしい。
その後のことはあまり覚えていない。
その場でへたり込む私を香耶ちゃんが抱え、教室に連れていってくれた。
そして、ぎゅっと抱きしめてくれた感覚だけが残っていた。