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第1話 出会い

 先輩は、突然目の前に現れて、私の全てを見透かしていった。


 罪悪感に押しつぶされそうで、なにもかも諦めていた。


 楽しんではいけない。笑うことさえ許されない。


 そんな私の心を、ゆっくりと陽だまりの中へ連れ出してくれた。


 たとえ、この出会いが偽物だったとしても、全てが嘘だったとしても、先輩と過ごした日々は私にとってかけがえのないものになった。


 先輩の噓が、私に生きていく意味をくれたんだ――。



 ◇ 


 放課後、誰にも見られていないことを確認しながら階段を登っていく。

 一番上まで登りきり、鍵が壊れて開きっぱなしの屋上の扉に手をかける。

 重い扉はギイと鈍い音を立て、ゆっくりと開いた。


 生温かい風が髪を揺らし、視界を遮る。それでもただ真っ直ぐ前に進み、フェンスの手すりを両手で掴んだ。


 大きく息を吐き、真下を見る。


 低いわけではないけれど、特段高くもないな。


 グラウンドでは運動部が真剣な表情で汗を流している。

 あのキラキラした空間は自分には無縁だな、なんて思いながら遠くの景色に目を向けた。


 いつもと同じ風景、街並み、雑踏。


 まるで、ここから見える世界には私は存在していないようだ。

 ただ一人、世界を外から見ているだけのような感覚になる。

 

 そんなことを考えていると、後ろから声がした。


「この学校は三階建てで屋上の高さは約十五m、この下はグラウンドの土でコンクリートよりは多少衝撃吸収がある。即死、という可能性は低く、肋骨損傷で呼吸困難や気胸、脳出血による激しい頭痛。最悪、脊髄損傷で下半身麻痺だね」


「はい?」


 声の主は私の横に並び、同じように手すりを掴む。そして顔を合わせるとにこりと微笑んだ。


 突然現れた彼のことはなんとなく知っている。

 一つ上の三年生で、テストではいつも学年一位の天才イケメンだと同じクラスの女子が騒いでいた。


 東堂柊也(とうどう しゅうや)先輩。この街で一番大きな病院、東堂総合病院の跡取りだと言われている。


 よく噂されているので一方的に知ってはいるけれど、話したこともなければ顔を合わせたこともない。

 

「確実に死ぬなら七階以上がいいよ」

「いや、私死ぬつもりなんてありません」

「そう? 今にも消えそうな顔してて、飛び降りるのかと思った」

「消えてしまえたら楽なんでしょうけど、でもそんな逃げるようなこと私には許されませんから」


 私はどんなにつらくても苦しくても、死んで楽になろうなんて絶対に許されない。

 そもそも自ら死ぬ勇気なんて、これっぽちもないのだけれど。

 

「許されないって誰に?」

「それは……私です」

「へぇ」


 なんとも興味なさそうな相槌が返ってきたので、この話は終わりにする。

 彼が何をしにきたのかはわからないけれど、これ以上話す必要はない。


 私は前を向くとぎゅっと目を閉じ、上を向いて大きく息をすった。


 この瞬間だけ、息をすることができる。生きている。生かされていると実感する。


 顔を下げ、目を開ける。空は見上げない。私にはまぶしすぎる。

 澄んだ青空は私には似合わないから。


「ねえ、目を開けて空を見てみなよ。飛行機雲がでてるよ。好きでしょ? 緒方茜(おがた あかね)さん」

「えっ……?」


 なんで、私の名前を……それに、どうして飛行機雲が好きなことを知っているんだろう。


 真っ青な空に、一直線に伸びていくあの白い線が好きだ。空を指でスッと撫でたような淡い白が。

 好きというか、好きだった。もう三年空なんて見上げていない。

 飛行機雲が好きだなんて誰にも言ったことないのに。


「なんで知ってるのかって? 実は僕、エスパーなんだよね」

「はいっ?」


 今すごく間抜けな顔をしていると自分でもわかる。

 エスパーってなんだ。超能力ってこと? 人の心が読めるとでも言いたいのだろうか。

 そんなことあるわけない。


「冗談だよ。笑うかと思って」

「笑えません」

「そっかぁ。おもしろい気がしたんだけどな」

「エスパーだなんてバレバレの嘘、別におもしろくないですよ」


 でも、名前はともかく飛行機雲が好きだなんてことを知っている理由は説明がつかない。

 いったいどういうことだろう。でも、そこを深く追求するほど積極的にはなれない自分がいる。


 ちぇ、と口を尖らせる先輩は、不思議な人だ。


「笑った顔、見てみたいな」

「私、笑いませんから」

「どうして?」

「笑う資格なんて、私にはないので」


 楽しくて笑うことも、面白くて笑うことも、私にはもうない。

 そんな資格ない。


 それよりも、東堂先輩はどうしてここにいるのだろう。ドアが開く音はしなかった。私よりも先に来ていたということだろうか。気がつかなかった。


「先輩、いつからここにいたんですか?」

「放課後すぐ、かな?」

「来たのは初めてですか?」

「さあ? どうだろうね」


 意地悪く笑う表情は、初めてという言葉を否定しているのと同じだと思う。

 きっと、私が毎日放課後ここに来ていることを知っている。

 知っていて、言葉は濁すくせに知っていることを隠そうとしない表情だ。


「先輩はどうして屋上にきたんですか? 立ち入り禁止ですよ」

「その言葉そっくりそのまま返すよ。緒方さんはどうしてここに来てるの?」

「私は……なんとなくです」


 そんなわけない。なんとなくで立ち入り禁止の屋上に毎日来たりなんかしない。でも、今ここで初対面の先輩に言えるような理由でもなかった。


「そうなんだ。じゃあ、僕もなんとなくということで」


 なんとなくではないのだろうけど、言うつもりもないのだろう。私と同じだ。だからこれ以上聞くことはしない。でも、先輩もいつもここに来てると知った以上、明日からはもう来ない。

 また鉢合わせするのか、話しかけられるのか、そんなことはわからないけれど、一人になれないのならこの場所でないほうがいい。


「明日も来てね」

「え……」

「もう、来ないつもりだった?」

「…………」

「当たりだ」

「やっぱり、エスパーなんですか」

「そうかもね」


 先輩はまた意地悪気に笑った。本当に変な人だ。

 私の返事は聞かず、また明日、と手を振り屋上を出ていく先輩。その後ろ姿を見送り、私はまた手すりを掴んだ。


 丘の上に建つこの学校は、遠くの景色までよく見える。


 いつも、ここから見える小さな川にかかる、小さな橋を眺めている。

 今日も同じようにあの橋を眺めてから、私も屋上を後にした。

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