二人
ウズラ亭ではテーブルに一つずつ置かれたランプと魔力駆動の小さな光球を硝子容器の中に入れた照明装置が幾つかカウンター内の作業スペースを照らしていた。日が傾き始めるとあっという間に暗くなってしまうのは、山に囲まれているせいだろうか。こうして慣れて見ると市井の夜は灯りをつけても仄暗く、領主家の照明は格別に明るかった。
現代世界の人間である私の目にはログラントの夜は淋しく暗く感じる。けれどそれは決して彼らが貧しく無力なのではない。少なくとも昨日の夜に歩いたこの呑み屋横丁(仮)の記憶では、生命力というのか、波打つような活気が薄闇の街路の隙間を埋めていた。
窓から見える街並みには透明な朱と菫色が差している。人々は、うっすらと影を纏って歩き、あちらこちらから聞こえる人の声が大きくなってきていた。
ウズラ亭で提供する軽食には作り置きのものがあるらしく、まだ誰も客は来ていないが、リッカ少女は皮を剥かれてザル一杯に貯めたこぶし大の芋?を丸ごとすべて火にかけた大鍋に放り込んだ。ふぅと一息ついて竈の火の加減を見ている。
「今日はパンと煮物にするらしいから、
下茹でまではやらないといけないんです。
出来るまでは少しかかりますよ。」
薪を足して火加減を調節しながら私に話をしてくれた。まるっきり調理場を切り盛りしているようで、オカンの貫禄をも感じる。
既にいい匂いしてる……楽しみ。
しかし食事はカウンターに座って待たせて貰った理由のひとつではあるけれど、本命ではなかった。
「あの、出来ればお風呂を借りたいんですけど、
使わせてもらえませんか?」
「えぇっと、桶とタライなら…、
それで良ければすぐに用意出来ます。
乾いた布とか、石鹸もありますよ。」
「……宿泊費って、全部合わせると、
…お幾らくらいになるんですか?」
聞くだけは聞く。払える目処はなくとも。
「え?お金?大魔女様に払って貰うんですか?
いや……そんなわけないと思います。
おばさんに一応…確認しますけど。」
「あ、ありがとうございます!!」
最高。ウズラ亭最高。これを期待していた図々しい私の出来そうな事って、何かあるかな…。
「あの、この服って何処かで売れますか?」
「え、売るんですか!?勿論、高く売れますよ。
素敵だなと思ってたんです。
綺麗な布地だなって。高級品ですよね?」
そうだろう。領主家の奥方様がくれたものなのだから。服の事など大して詳しくない私でも、やっぱり触っただけでわかる上等な質感がある。貴族令嬢のユイマの知識と照らし合わせても、なかなか手の出せない品と判断されるものなのだ。
私にはデザインの良さは良くわからないけれど、そうか、そんなに素敵に見えているものなのか。
「古着と、肌着を何枚か貰えたら、
上下セットで差し上げますよ。」
「ええぇ!!?」
「パンツタイプの方が動き易くて助かるんです。
この…私のサイズに合いそうなもの、
持ってないですか?出来れば、上下とも。」
「そんなの、いくらでもあります。
ありますけど…、本当にいいんですか?
売れば凄い金額になるかもしれないですよ?」
「時間もないから、いいんです。
あ、紐と紐留めも一緒がいいですね。」
「でも、こんないいもの…。
私、換金しちゃうかもしれない。」
「あはは。勿論どうぞ。
ただ、着てる服を洗えないから、
悪いけど、このまま渡すことになります。
お風呂の時に交換することって出来ますか?」
「そんなの、すぐに持ってきます。
あと…。もし気に入らなければ、
お店が近いからナクタに聞いてみて下さい。」
「あ…ありがとう。」
やった。素晴らしい。てか、さっきから十三歳と話をしている気がしない。中身まで大人なのかな。いや、そういえばちゃんと年齢は聞いていないんだった。
「ナクタくんとは、同じ歳なんですか?」
「そうです。見えないですよね。
私のほうがずっと歳上でしょって、
よく言われてるんです。ほとんどそう。」
うん。私もそう思っちゃいました。
「何か、言ってなかったですか?
旅行するとか……これからの予定を…。」
「…出て行くんですよね?母から聞きました。
何も言わないで行くつもりなのかなって。
そう思うと、本人から聞きたかった…。」
随分ガッカリしたような言い方だが、怒っているわけではなさそうだ。今更だけどリッカ少女は、とても賢い娘に見える。朝食の時に二人がギクシャクしていたのは私の想像したような理由ではなく、旅立つという話を聞いた後だったからだろうか…。
は!!…まさか、誤解してたからか!!?
マズイ。そうだとすれば周囲に誤解されたままになってしまう。こちらとしても身柄を預かるわけだから、やはり素行は知っておくべきだ。
「あの、ナクタくんて、普段から、その、
…………買いに来た方と、あの部屋に?」
「え?」
……あ、十三歳だった。マズイかも。
ついさっき同じ事考えてたのに、私のアホ。
後悔したがもう遅い。この反応の時点で私の早とちりはほぼ確定したものの、始めた話は誤魔化せない。
「つまり…働いているのは、当たり前だけど、
男の子も女の子もいますよね?
その…………大人と、宿泊するんですか?」
「はぁ?? ………ええ!!?
そんな!!そういう所じゃないです!!
そんなの、母も絶対に許しません!!
ここは、おばさんのお店ですから!!!」
リッカ少女は、ふざけんなとでも言いたそうな物凄い勢いで否定した。剣幕と言っていいくらいである。そりゃそうだよね。セクハラ案件だ。もっといい聞き方があったのかもしれないけど、私には浮かばなかった。本当に申し訳ない。
「でも、そういう事になってしまうので……。」
ハッと我に返った少女はようやく私の話の意図に気付いたようだった。慌てて話を切り替えようとするから表情がクルクルと変わってゆく。状況は申し訳なく気の毒だが、素直で年相応に可愛らしい。
「…本当だ……あ、いや、違うんです!!
私は事情を詳しく聞いていなくて。
…ちょっと前から魔法使いの方は、
ナクタの用事で探してたらしいんですけど、
以前は男性が来たんですよ。それが、
女性になっただけと言えばそうかな、って。
………そっか、おばさんも何か言ってた、
そういえば……だからか……。」
うん。確かに。ママさんはリッカ少女への影響を心配していた。
「前にも来たことがあったんですね。」
「はい。でも条件が合わなかったって…。
それが今度は長期の付き添いが決まって、
そのまま帰らないかもしれない、
と聞いたので、そうか買い手を探してたのか、
このまま買われるのかな、と…。」
「違います。
結果的にそうですけど、全然違うんです。」
「え?あ、はい。…つまりウチに来たのは、
買うのが目的ではなかった、
ということですよね?…えと……、
大魔女様の…ご案内役、みたいな事ですか?」
「!!そうなんです。それです!!
だからミズアドラス領国内だけなんです。
本当に、随分助けて貰ってるんですよ。」
あからさまに顔を明るくした少女は、嬉しそうに微笑んだ。ホッとしたような様子で、どこか誇らしげにも見える。
「ナクタはお役に立ててるんですね。
…ウチの……魔法に詳しい従業員が、
大魔女様が本物かどうかなんて、
昨日まで全然気にしてなかったのに、
さっき急に本物だって騒ぎだしたから。
私達も突然で……半信半疑だったんです。
至らないことが多くて、すみません。」
「いや、そんな…。そりゃそうですよね。」
"魔法に詳しい従業員"…。
イド氏、従業員…ww……なんかツボる。
「でも、大魔女様の御付き人なんて、凄い。
一生ものの経歴だし、ウチにも有益な話です。
本当に、ナクタは運が強いと思います。」
……へぇ〜〜…そうなんだ……。
この大魔女についての価値観は実はユイマにもイマイチよくわからない。常識として、大魔女が増えるという事すら考えに無いのが普通。エルト王国では一般的に大魔女といえば、ミロスとミズアドラスに居るらしい魔法と魔力の持つ力の象徴のような存在であり、実在を肌で感じる程に親しい人物では無いのだ。
「…足音、二人ですね。」
不意にリッカ少女が何かを聞き取った。いや、確かに足音は聞こえる。外の街路のものだから足音どころかもっと色々な音がするのだが、この建物に近づくのが解るようだ。わざわざ私に教えるのだから、ナクタ少年と、他にもう一人いるという事だろうか。それともただのお客さんか…。
……あ、もしかして……。
私が名前を思い出すよりも早く、ウズラ亭の入口のドアが勢いよく開いた。少女が言い当てた通りに大人と子供に見える二人が店内になだれ込むように入って来る。子供の方は肩で息をしながら辺りを見回して、カウンター内のリッカ少女を見るとピタリと動きを止めた。
その横にはカウンター席に座る私が居る。すぐに気付いたナクタ少年は、左肩から斜めに掛けた皮の鞄をぐるんと後ろに回すと真っ先に頭を下げて謝罪から話を始めた。
「ごめんなさい!コイツ連れて来たくて!
ウィノ、お前も謝らないと!」
少年の隣にはリッカ少女よりも長身の金髪美少年がやや息を切らして呆然と立っている。ナクタ少年は、どうやら、このタイミングで名家の坊っちゃんである友達を連れて来たようだった。
どゆこと?そんなに魔法が見せたかったの?




