終
薄暗いホールが白く光った。
空を見れば暗く厚みのある雲が視界を占めている。一面の大きな窓には急な雨が打ち付けてバチバチと大きな音を立て始め、空気を転がすような雷の音が響いた。
危なかった。こんな待合のホールで堂々と、子供と一緒に眠ってしまうところだった。
五歳になったばかりの息子は、突然起こされたと思ったらすぐさま襲いかかってきた恐ろしい雷雨に心底怯えている。私の腕を掴んで直ぐにも泣き出しそうだ。
…さっきから、何なのこれくらいで…。
呆れながらも泣かれては困るので笑ってなだめる。広い病院の廊下は、天候のせいもあって小さな子供には所々が暗くて怖い心霊スポットに見えるらしい。あまり人のいない時間帯だったのも良くなかった。あそこに幽霊がいるかも、誰か隠れているかもと、いちいち私に報せてくるのだ。可愛いながらも繰り返されると流石に疲れる。それがどうしたのよ何もないでしょうが、と心の中でツッコミを入れて溜息をついた。
聞き覚えのある台詞に母を思い出す。
昔、小学生くらいの頃によく言われたものだ。私は怖がりな子供だった。仕事か何かが原因で不機嫌でいる母が怖くて耐えられず、和ませようと何でもないことを話しかけては無惨に弾かれた。今思えば和ませようなんて勘違いで対応を大きく間違えていたのだが、子供なのだから母ももう少し考えてくれても良かったのにと思う。切羽詰まっている時に子供の面倒など見ていられなかったのだろうけれど。親になってようやく、こんな風に近い目線で考えられるようになってきた。
両親には降伏して接待しなければという義務感も薄くなった。実際は義実家の親が優先しているだけなのだが、自分の親ではない方が私にはずっとマシだ。それを実の両親が他人に強いていると考えると憂鬱になる。旦那はよく平気で居られるものだ。親と一緒になってそうするべきと言って来るから内心呆れながら付き合っている。私は相手を選べる程にモテる女子ではあり得なかった。密かに夢見ていたお母さんになれただけでも幸運なのだから高望みしても仕方がない。正直、恋愛でもお金でもなく、出来る限り実家から離れたくて遠くに住む相手と結婚した。旦那は私の見た目が気に入っているという稀有な人間であり、よく解らないが何故か幸せで居られる幸せの先輩であり、私は何も持っていなくてよかった。これ以上の条件は無く、両家の親が似た者同士なのは結婚するなら話が早い。こうでもないと成立しないとも言えるわけで、多少の不自由は必定だ。許容範囲なら。
子供に幼稚園を休ませて大きな病院に来てみると、学生の頃に救急車で運ばれた事を思い出した。そういえば、なぜかあの時、ズボンのポケットに尖った石を持っていた。いつ入れたのか分からなくて誰かに悪戯されたのかとも考えたが、矢尻のように整った形があまりに綺麗で大切にとっておいた。受験の頃には袋に入れて御守りにしていたこともあった。今も確か昔撮ったプリクラやら大阪万博で買ったキーホルダーやら限定プレゼントのピンバッジやらと宝石の入っていないジュエリーボックスに入れたままになっている。何でもないものでも大事に祈っていれば御利益が生まれることもあるのだろうか。
またぼんやりとしてしまった。息子が怖がって離れないから親としては安心してボーっとしていられる。事故を起こした一月前はそれどころではなかったが、少しだけ余裕が生まれたせいだろう。平和で居られるのは本当に有り難い事だと、こういう事があると解る。
稀にある遊具からの落下事故だった。二メートル程もある高さから頭を真下にして土の地面に落ちた。CTの画像にも頭頂部に大きなたんこぶがハッキリと写っていて、嘘みたいな気持ちで眺めていた。よく無事だったと思う。幼稚園から連絡を貰った時には慌てて取り乱していたから車の運転も不安だった。着いた病院で息子が吐いてしまい、私は心臓が脈打つ音を何とか抑えようと必死になっていた。それくらいに怖かったのだ。あんな思いは二度としたくない。
幸運にも骨や脳の血管には異常が見られなかった。首に痛みがあると言うのでまた恐ろしくなったが、CT検査の結果を医者が診たところでは特に問題はなく捻挫だろうとのことだった。指示通りに何度か通院してから経過を見るために一月後のCT検査の予約を取った。何かあれば直ぐに救急で来て欲しいと言って貰えた。
今日はその大事な検査の日だ。既に全て終えて現時点では何事もなく、経過観察は続くものの平穏無事な生活が送れそうだ。後は会計をして帰るだけというところで季節外れのゲリラ雷雨に見舞われてしまった。屋根付き駐車場のある大きな病院で助かった。
事故以来、幼稚園に行く度に先生達からは謝られる。先生方のせいではないだろうが責任の問題だからそうなるのは当然と考えていいと思う。事故後の対応もしっかりと説明された。嫌味なようだが、こちらとしてもそうでなければ怖くて通園させられない。ただし、園長先生だけは"普通こんな怖いことします?あんな小さな子が。"などと言ってのけていたので、小さな子供は普通なら怖くて危ないことはしないという前提で遊ばせているのかと考えると恐ろしい。なんだあの人。息子にはお祖母ちゃんくらいの歳だが私の知っているお祖母ちゃんとは全然別物だ。母でもあんなことは言わないだろう。先生方を守る為だとしても、とんでもない発言に思える。
普通、と言ったのにはちゃんと理由があるのではないかと疑っている。息子にはADHDの発達障害があるからだ。普通の子供なら事故にはならなかったかもしれないが、それはおそらく怖い事をしないからではなくて身体の動かし方が上手だからだと思う。私も親なら公園くらい連れて行く。怖い事をしている小さな子供を見たことが無いわけではない。だいたい慌てて親が止めに行くことになる。とりあえず幼稚園の人事を私がどうにも出来ないからには卒園まで恐る恐る通わせるしかない。どこも空きがあるわけではないのだ。実際に見てくれる若い先生方を信じるしかない。…いつもご面倒かけてすみません。
どうして私の生きる先には、とんでもない人達が次から次へ現れるのだ。能力が劣っているのが見た目に明らかで舐められるのだろうか。あの園長先生も自分こそが普通であり偉いのだと言い張るのだろう。普通に出来る偉い子達でないのなら、そこに非があるという考え方なのだろう。そうでなければ言えない台詞だ。…父に似たタイプだ。その基準は自分が決めたものでしかないはずなのに。
それを言ったらこちらだって、普通に、当たり前の責任を感じられない責任者が偉そうに言わないで欲しいし、そもそも不適格だと思うんですけど、なんてことも幾らでも言えてしまう。子供の生命がかかっているのだから、そんな親さんが居てもおかしくない。…よく考えると反感を買うだけで防衛の役にも立たないぞ?…。大丈夫かこの幼稚園…。
会計を終える頃には、いつの間にか雷雲は去った。息子は椅子に座ってお気に入りの絵本を見ている。
私はお母さんになれた。家事も育児も自分で出来る夢が叶った。なぜか、いつの間にか幸せになった。
どういうことだろう。何が良くてこうなったのか、何が悪くてあんなだったのか、昔よりも長く生きて、いろんなことを経験し身を以て知ってきたはずなのに、ますますわからなくなってしまった。
旦那のおかげと神のごとく崇めるのは違う気がする。私は子供の頃からボッチ気味で、寂しく惨めなオタクの青春を送り、基本的には男性が苦手な上に碌なスキルもない。実家の両親はピンピンしていて旧い我が家は滅んだわけでもなく何も変わらないままに平和を誇っている。弟は親が亡くなったら家も更地にして全て売るつもりでいるらしい。維持費が問題だと言うが、知らないうちに驚くほど潔い人間に育っていた。
相変わらず私はこんな性格で、大して変わらないはずだ。変わったことといえば歳をとったこと。世の中が多少は動いていること。子供が生まれたこと…。
考えていくと私もなんとなく気が付いた。
時間が流れ世界が動いて新しい何かに出会う。
そうして何かが癒えているということに。
終