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親子


 気がついたのは救急隊員さんの呼びかけのおかげらしい。眠っていた感覚でいたから暫く理解出来なかった。私が目を開けたのを見逃さずに声をかけ続けている。さっきの奇妙な音は何処から来たのか。頭の中まで痺れそうな轟音は一体何だったのだろう。

私はおかしな透明の天井を見ていた。バス停のベンチに設えてあった屋根だと思い出すより先に、話せます、とだけ答えて状況を考えた。目に映るものを記憶と照らし合わせて事態を紐解いてゆくと途中で恐ろしくなったが、動こうにも頭が重くて気持ちが悪い。自分ではどうにもならず、保冷剤を当てて担架に乗せられ流れのままに救急車に運び込まれた。

マズイ。こんなことになっては親に連絡が行ってしまう。這ってでも自力で帰りたいところだけれど流石に無理だ。もう手遅れだ。

 何言われるかわかんない……。

 ……まず、帰ってこれる?

幸い学校用のリュックを塾でも使っていたので、その内側のポケットには生徒手帳という自分の名前と住所と緊急時の連絡先のわかる便利アイテムを入れっぱなしにしていた。隊員さんにそれを伝えると話し掛けられなくなり、私は目を閉じて寝た振りをした。駅前のバス停は市民病院の真近くだ。多少混雑していても車なら十分とかからない。誰だか分からないが救急車を呼んでくれた人に御礼をしなければいけないのかな…。

大変な事になったわりには自分は落ち着いている。なんてことないだろうとは思っていた。



 ザックリ言うと、熱中症としてはそこまで重くないが貧血と重なった為に意識を失った、というのが救急担当らしい若いお医者さんの見解だった。貧血と低血圧は以前から指摘されていると答えたら、ああ、それで、みたいな反応をして親切に教えてくれた。私もそんなに我慢した覚えはないのだ。バス停で待つ人は他にも数人いたから、倒れ込んだことに驚いて直ぐに救急車を呼んでくれたのだろう。

 カーテンで仕切られた部屋のベッドでぼんやりと自分の身体の回復を待つ。血液検査の結果は脱水が見られる他、ヘモグロビンやら何やら幾つか足りていない。つまり貧血。とりあえず今回は点滴が済めば帰れるとのことだ。親と連絡が取れたから、もうすぐここに来ると聞いて気が重い。

来るなら母だろう。どんな顔をすれば良いか分からない。流石に此処で責めたりはしないだろうけれど、仕事を抜けてこなければならないのだから嫌味や愚痴は仕方がない。私が悪い。

急に来いと言われても来られないかもしれないから、私一人でも何とか出来ないだろうかと考えていた。ちゃんと来てくれるのだと聞いて、意外だった。何とかなるものだったのか。



 母はやはり怒った。思ったよりずっと優しくプンプンするだけで、謝っても謝ることじゃないと怒られた。あまり恐れることも無い人だとは思うのだけど、仕事にかける意気込みや情熱が私には距離をとる理由になってしまっている。何も聞かない故に何も知らない母から見れば私はまるでやる気が無いのだ。決め付けがちなのも性格が悪いのもしょうがないでしょ、と言われては何も言えない。そりゃ性格ならしょうがない。学費を造ってもらっているのだし、下手に邪魔はしないほうがいいのだ。これは父の入れ知恵でもある。なんとなくだけど、父は母が病気を患う前からこういう都合の良いやり方をしていたのじゃないかと考えてしまう。夫婦の間のことだから、どうでもいいけど。

「……仕事、大丈夫なの?」


「大丈夫なわけないわ!

 病院からの電話なのは解ってるから、

 帰してはもらえたけど…。」


「…来れないんじゃなかったの?」


「来なきゃしょうがないでしょ!」


「ああ…そうだよね。…ごめん。」


「…はぁ……。もういいから…。」


いいから、何だったのだろう。

きちんと話してくれない面倒くさがりなところも、なかなか近づけない理由の一つだ。こうして心配してくれる母親であるのは確かなのに。



 本当は、私はもっと優れた知力が欲しかった。そうでもしなければ私は死ぬまできっと何も言えない。地元の有名企業で働く両親だって完璧ではないのだ。解ってもらわないと困ることがいろいろとあるし、間違っていると言いたいのに力がない。そんな今の状態は最悪だ。私はまるで慣らされた家畜、せいぜいが愛玩動物。それを認めるなんて、絶対に嫌だ。

どんなに大きく見せても両親は所詮地方の過疎地に勤務する一般の人間であって、支配階級でも何でもない。そんな風に私が感じさせられている事がおかしいはずなのだ。

父が見せているのは、この世界の真相のようにも思う。皮肉だが勉強にはなる。悪い大人はこういう事を考えるのだなと知る事は出来るが、私も自分の人生を犠牲にしてまで学びたいものではない。そんな人間はいない方が良いに決まっている。身近に居るのならば、自分の身は自分で守らなければならないのだ。家族であっても。本当に、嫌になるほど現実は冷たい。

母が働いてくれていて大学進学にも賛成してくれているのが私の唯一の希望だ。どうも最近は頭と気持ちの調子が良くないから碌なところには行けないだろう。解っていても行くしかない。就職なんて余計に無理だ。先生に聞いてもウチの学校はその分野では全く当てにならないらしい。私自身、この状態で社会に出てもフラフラして何をするかわからない自信がある。

 私にはまだお金を出してくれる人がいるだけ幸せだ。勿論、お金があるからといって幸せではない。嫌味を言われても馬鹿にされても母が嫌いきれないのは、多分向こうも同じような感情でいるからではないかと思う。圧倒的に強いのは母の方だからお互い様だとはとても思えないし、親子なのだから似ているのだ、同族嫌悪だとも思わない。むしろ考え方は正反対だ。ただ、親子は憎みきれないという概念のような、感覚のようなものだけが母と娘の私の間では共通していると感じる。共有と言うのかもしれない。

ちょっと掴みきれない性格の母は、見ようによっては魅力的で、そこまで恐れることも無い人かもしれないのだけど、父のことを無責任キャラを演じる楽しくていい人だと信じているところだけが、どうしても私にはいただけない。

お金を出して貰っているのに申し訳ないと思う。こんなことになって反省もしている。けれども私はやっぱり悪い子で、母のようになるなんて心から嫌だ。否定している側から見れば生意気なのだろうが、女として、ああなりたいとは思えないのだ。

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