経験
どうしてこうなった。そんな思いで目にクマの出来ているナクタ少年とウィノ少年を見る。二人とも昨日とは違う服を着ていた。これだけは良かった。ナクタ少年に無理やり持たせた甲斐があったというものだ。しかし清流の大魔女様に(もうすぐ)確定して喜ばしい限りの晴れの日のはずが、私達は三人共に疲れ切った顔をしている。
おまけにファルー家の邸宅には何やら人が集まっていると言う。清流の大魔女は議会の承認が必要だと聖殿側が言っているのだから、まだ何も情報は出ていないはずだ。つまり他の理由であり、騒がしい声が部屋の中まで聞こえてくるのも嫌な予感がする。
正式な護衛もおかしい。あれから一体何時間経ったのか。妹君様がお家を出られるというので、などと説明してくれたが、真夜中過ぎに別れたのに午前中から勤務している職場のシフトは大丈夫なのか。本人は納得しているようだけど、警備隊が一気にブラックな組織に思えてきた。
「あの…大丈夫ですか?…こんな時間に。」
「?…ああ。…そうですよ。大丈夫なんです。」
心配になって話しかけた私に、シース隊員は不思議と健やかに、得意気に笑いかける。
「……あ、……そうなんですか…。」
クールで独特の雰囲気を持つ人だという印象は、より強くなった。何か、言葉にならない強さを感じる。独立した女性の姿というのを実は私はあまり知らないのではないだろうか。そう思わせる。目の前の女性の芯には確かな自信と規律が在った。
聞けば大人の巨人族には睡眠は三、四時間もあれば十分であり、このスケジュールは何の問題もないらしい。むしろ寝すぎる方が身体に良くないので、暇な時間を持て余すくらいなら仕事をした方がいいと言う。更にファルー家邸宅の裏手にある寮で暮らしているとも話してくれた。まだ裏にも敷地があったと聞いて驚いたが、それ以上に自分から話してくれた事に驚いた。竜の能力は知っているはずなのに。勢いで行動するタイプでもなさそうだから、護衛につくからには、ある程度の自己紹介をするのは慣例なのだろう。トオノ隊員も自分から犬のガーディードだと教えてくれた。
シース隊員は挨拶代わりの世間話といった風に一通り会話をすると"この辺で失礼します"と、静かに纏め、スッと顔を真正面に向けると押し黙った。ウィノ少年に目を合わせて軽く頭を下げる。
「身辺警護は一通り確認してます。
ご挨拶をされた方がいいんじゃないですか?」
「…うん。……どうするか迷ってて…。
僕を清流の大魔女…に推薦してくれたのは、
他でもない雷光の大魔女様だから、
ご報告するまでもないことだろ?
ん゙、だからって、僕から偉そうに名乗るのは…。」
ウィノ少年が困惑気味で答えながら目を瞬かせている。流石に眠そうなショボショボの瞳を見ていると、完璧に見える美少年も人間だものな、と思う。
「まぁ、でも一応…その、清流の大魔女に、
任じられる予定です。ん゙。
…ごめんなさい。議会から任命って変ですよね?
実際、本物の初代大魔女様が顕現され…すると、
こんなにもおかしな事になるとは、
僕も想像してなくて…制度を見直さないと…。」
凄い。眼の下のクマなんか気にならない。ウィノ少年はウィノ少年だ。ちゃんと頭は何時も通りに回転させて先の事を考えている。
「…あの、俺、聖殿の使者の人に、
大魔女様の弟子という事になる、って
勝手に決められたんですけど、そうなんですか?」
ナクタ少年が不服そうに詰め寄ってくるのをポカンとしたアホ面で受けて立つ私。ナニソレ?
「違うよ。…ちゃんと言わないと。」
「や、もう付き人は辞めるとこだって言ったら、
"それじゃあお弟子さんですね"って、
…なんか、証人として会議に出てもらうから、
準備しとけとか言われて訳わかんなくて…。」
「あ……え?ナクタ、付き人辞めるの?」
「でなきゃ製作所の話は乗らないだろ。」
「…三人…じゃない、通訳のトッドと、
四人でカランゴールに行くのかと思ってた…。」
「なんで俺の進路に…しかも外国まで、
ユイマさんを付き合わせなきゃいけねぇの?」
「一緒に行くって言ってたよね?」
「アレは、移動に付き合ってくれるって話。
向こうで一緒に作業するって、おかしいだろ。」
「……そうだったんですか?」
見当違いだったのかと驚いている様子のウィノ少年だが、見当違いのレベルが確かにぶっ飛んでいる。なんで私とナクタ少年が一緒に彫刻家を目指すストーリーが発進しとんねん。
魔法使いだと名乗ったことは無かったかもしれないが、私とナクタ少年は彫刻家仲間か何かだと思っていたのだろうか。そういえば関係性の説明など私はしていない。ナクタ少年がどう伝えていたのか知らないが、ウィノ少年の中では独自の設定が盛り込まれていたようだ。何をどう話したんだよナクタ少年…。
「ナクタ君を送り届けたら、エルト王国に…、
故郷に帰るつもりでいたんだけど、
…警備隊も付いてくれるなら必要ないかも…。」
「転移は出来ないでしょう?
どうされるおつもりですか?」
「雷の竜は…転移みたいな速さで飛べるんです。」
「!!!!」
ウィノ少年とシース隊員が顔を見合わせた。やはり話だけでは信じられない様子だ。ナクタ少年は相変わらずスンとした暗めの表情で斜に構えている。魔法の事はあまり得意ではないようだし、もしかしたらアホみたいに速い飛行を体験しなければならないと想像して不安を感じているのだろうか。雷の竜の能力は実際にその力に触れてみないと理解出来ない事も多い。私だったらそんな話を聞いた時点でもう嫌だ。絶対怖いやん、と何とか断わる理由を考える。間違いない。
「……あの、だとすると…。
ご理解頂けるか解らないですが…、ん゙。
証人というのは清流の大魔女を認める時の、
その正体を知る限られた魔法使いの一人になると、
…そういうことで…、
通常なら高位の魔法使いが担う役目なんです。」
…そういえばなんか聞き覚えがある。証人とよばれる人達が会議の時に居た気がする。高位の魔法使いだったとは全く気付かなかった。魔法の実力は近づくだけでそうそう解るようなものではないから学生のユイマには無理というものだ。…凄い人達だったんだな。
「……それ、順番が逆だよね?」
「この辺りの魔法使いが、
ご当主様に嫌われる理由ですよ。」
「シース。大魔女様の前だよ。」
ウィノ少年が珍しく人をたしなめた。
「雷光の大魔女様はエルト王国の方でしょう。
ここでは勝手が違います。
恥ずかしいことは先に伝えておく方が、
大魔女様には有益ですよ。」
「……成程。そういう考え方もあるね…。
あ、失礼しました。」
「体面を保つ為の辻褄合わせに、
子供を無理やり付き合わせるのは間違いです。」
……鋭い…。
「ミズアドラスだけなんでしょうけど…。
ただでさえ逆境だったんです。魔法使いは。
水の竜の君との交流が絶えてからは…。」
オッサンみたいな台詞で魔法使いの立場に理解を求めるウィノ少年だが、シース隊員の言葉は本当の事だと思う。証人だから君は大魔女様の弟子の魔法使いということで…じゃないだろ。ナクタ少年の正体は、家庭に事情がありながらも彫刻家を目指す十三歳の男の子だろ。それがたまたま清流の大魔女を知る事になっただけだろ。どうなっとんねん。今日は。朝からこんなにツッコミばかりボヤいていると自分に新しい才能が芽生えたのかと勘違いしそうだ。
実際は周りが混乱して落ち着かないだけなのだ。それくらいは想像がつく。あまりにも状況がバタついて行き当たりばったりになっているのだろう。ミズアドラスは経験したことのないポイントにいるのだろうから。