事案
警備隊の護衛さんの前に部屋にやって来たのは、大魔女様の為に聖殿から派遣された正式な付き人だと名乗る聖職者さんだった。ノエスエルさんというらしい。名前なのか役職や肩書きなのかが自己紹介された文脈からは読み取れなくてハッキリしないのだが、宗教には特に関心がないので"ノエスエルさん"と呼んでおいたら通じるだろうと考え、敢えて突っ込んで聞かなかった。そういえばユイマも私もこの国の聖職者を初めて生で見る。
聖職者さんは見るからに上質な青色の服を着た生真面目そうなオジサンだった。職務で来たのだから聖職者の正装なのであろうその服装は、全身を使って水の竜の色に似た美しい青の濃淡が重ねられている。袖と裾にシンプルなワンポイントを刺繍された上下に長く垂れたポンチョのような上着を、その上に濃紺の細かな文様が刺繍された垂れ?を、更に首周りには柔らかく淡いスカーフを重ねている。ただ一つ、丸く潰れたベレーのような帽子だけは真っ白だった。
「力不足とは思いますが…。」
謙遜する聖職者のノエスエルさんは顔を伏せたままで一度も目を合わせてくれない。付き人の仕事をよく知らないので、私にはその力をどこで測るべきかもわからないが、部屋に入る時の礼から挨拶や前置きまで、とにかくやたら丁寧だ。ユイマの知るエルト王国の聖職者は意外と活動的で常に貴族の身近に居るものであるらしく、気安くもお固い感じのイメージがある。
ノエスエルさんには、いい人っぽい明るさがあるものの、ひたすら私を持ち上げ、慇懃な態度をとるオジサンというのが現代世界の人である私には逆に不自然で不気味で正直に言うと怪しい人にしか見えない。大魔女様に応対しているのであって、私個人には何も意味がないわけだ。グラ家の時もそうだったけれど、大魔女とはどういう扱われ方をするものなのだろう、とか、水の竜信仰とはどういったものなのか、と、真面目に観察しようとしても、なんだかヒヤリとするばかりで結局は今も解らない。
…同じオジサンでも声は綺麗だ…。
失礼な話だが、比べてしまうとイド氏は確かに若い。本物のオジサンとオジサンみたいな若者は意外と違うんだな。中身?はこっちのオジサンの方が若いのだろうけど…ややこしい…。いや、注目すべきはそこじゃなかった。私達、全否定されているはずなのではないんですかね。
「…清流の大魔女様に付くんじゃ…ないんですか?」
「……………。
清流の大魔女様には議会の承認が必要です。
この度、雷光の大魔女様にも同じく、
会議や儀礼には付き人として、
案内等もかねて御一緒させて頂きます。
既にお導きの御方をご同行されていると、
ファルー家の長より聞いておりますが、
そのようなお付き添いとは別の役目で御座います。
私の派遣に関しましては、
聖殿の…騎士団長の判断ですので、
私には御回答致しかねます。」
サラサラと慣れた呪文でも唱えるような速やかで感情の乗らない話し方だ。内容はだいたい理解出来る。成程。…つまり聖殿側の都合か……ならとりあえず……。
部屋にオジサン入れたくないんですけど!!!!
イド氏はなんでこの人勝手に通したの!?
あの護衛、いる意味ないんじゃない!?
てか、聖殿でどんだけエラい人か知らんけど、
十代の女子の部屋に、知らないオジサンが、
ズカズカ入って来れるって、大問題だろ!!!!!
私は一度も入室を許可していない。部屋に入る前にキチンとノックし、丁寧に挨拶し、自己紹介もしてもらったのだが、全部私の反応を待たずに勝手にやっている。この人がファルー家の人で、何か急ぎの用事があるとか、警察?の人で、捜査令状が出ているのなら納得するけど、そうではない。どうやら警備隊が了解すれば良いという判断のようだ。
ブチギレものの事案である。護衛は言える事があるなら今すぐ釈明をしに来て欲しい。認めないけど。
「……雷の竜のことは、知ってますか?」
「ファルー家の方々より伺っております。
偉大なる水の竜の君をお呼び頂き、
恩恵の象徴たる結界を再び我々に与え給う御方、
お目にかかれて光栄で御座います。」
…駄目だ…。頭痛くなってきた…。
私は雷の竜と一緒にベッドに腰掛けているのだが、聖職者さんは床に膝をついて深く頭を垂れていて、もう少しで土下座しそうな姿勢だ。発する言葉まで恭しいから、まるで私は女王様のようである。
「結界について、ファルー家の人が、
何か、言ってませんでしたか?」
「…結界の事は何も聞いておりませんが…。
ファルー家からは、清流の大魔女様について、
大魔女様の証明は…警備隊の証言より、
また、雷光の大魔女様より示されると、
聞いておりまして、不躾ながら、
この場に参りました次第で御座います。」
ちゃんと話の流れは聞いて来ているらしい。示されると言っても、何をすれば示した事になるのだろう。
「…………。つまり、清流の議会の…、
その為の、聖殿の、確認ですか?」
「…そうです。そういう事になります。」
「清流の大魔女はウィノ君です。……けど、
それでは、正式には認められないんですか?」
「それは違います。」
「?……今、どうなってるんですか?」
「雷の竜の君と雷光の大魔女様を疑う者は、
ミズアドラスには既にありません。
竜の君の御力も存じ上げております。
………新たなる清流の大魔女様は、
本当に、神聖なるノエリナビエ様に等しいと、
そういう…事なのでしょうか…。」
?……あ、そうか。魔石の効果知らないのか。
聖職者さんは竜の前で嘘がつけないという話は知っているが、魔石さえ持っていれば大魔女は普通に話せる事を知らない。つまり、竜と共にいる大魔女は決して嘘を言わない、という事になる。…なんか不思議だけど…。
ウィノ少年もまだ魔石は渡されていないから知らない事だ。(そういえば誰にも話していなかった。パロマさんだけ、つまり領主家だけが知っている。)竜の前で話しているからには嘘ではないと思っているのだろう。嘘ではないことが真実であるとは限らない。しかし教えに従って判断するとなると、竜の能力をどんなものだと考えているかで結果は違ってくる。…ややこしい…。
普通に考えたらライトニングさんが反論しない時点で、それが正しいと解るんじゃないかと思うのだけど、どうやらミズアドラスでは竜は大魔女以外とは話さないと教えられている。あまり気安く議論するようなキャラ設定じゃないんだろうな、とは私も感じているところだ。
…そうか。竜の設定は信仰のうちに入るわけだ。
能力とかキャラクターとか。…ということは、
"ライトニングさんはそんな事言わない"、
とかも信仰の一つという事に…。
……私の考えることがだいたい間違っているのは、解らない事を無理やり理解しようと頑張り過ぎるせいかもしれない。なんか、わかってきた。
細かなところは火の竜の教えとは微妙に違っていてユイマの知識だけではやはり水の竜信仰の聖地は簡単には理解出来ない。
「………。えっと…初代と同じです。
新しく…再び初代が降臨した感じで…、
聖なる竜達の友人になった人で、…その…、
水の竜の君のセオリア…さんにも、友人として、
特別な存在だと認識されている大魔女です。」
「!!………初代…様が…再び…!!??」
わかりやすく驚いて、困惑しているようだ。
……まさか、初代は二人も必要ない、とか言って唐突に暗殺計画が持ち上がったりしないだろうな?…いや、そんなはずがない、とか言って私達もやっぱり否定されて、雷の竜と戦争が始まるなんて展開は無いよね?大丈夫だよね?……ここからまたゴタゴタと拗れるのはもう勘弁して欲しい。
「直ぐに、聖殿に戻り騎士団長に伝えます。
その…念の為に…"ウィノ君"というのは、
ウィーノ=アルヴァラート=ファルー様で、
間違いありませんか?」
「間違いないです。」
キッパリと言い切ると、聖職者のノエスエルさんは今度は挨拶もそこそこに逃げるように部屋から出て行ってしまった。
……結局、ウィノ少年の話の裏を取りに来た、
てトコかな?
一応はドアの近くまで見送り、去りゆくノエスエルさんの向こうにチラリと見えた護衛の爺さんには、極めて無表情に努めた侮蔑の視線を送っておいた。本当は睨んでおきたいところだが恐くて出来ない。せめてもの抵抗である。
ところで水の竜の聖殿に勤める聖職者さん達は普段何してるんだろう。エルト王国みたいに魔法や魔力の勉強をするのだろうか。まじないも勉強は必要だとは思うけど、具体的な内容はエルト王国で知られたものとはきっと違う。
聖殿に代表される聖職者の集合施設では、人工(魔法具や装置による)結界などの大規模装置や最先端を行く大掛かりな技術開発なんかも担うことが多い。信者さん達に魔法の研究や実験の場を提供していると共に、しっかりと守り豊かさを育む手段として活用される。北側ではそんな印象だ。ユイマの知識の生かしどころだと思うと、ちょっと気になる。