角度
「…ここどこ?ウィノは?」
「あいつのことまで知らんよ。
場所は同じだ。足元見てみろ。」
「ニョルズはどうすんの?」
「さぁ。…コレが済んだら報告に来いとよ。」
「報告?」
「先に着替え済ませろ。」
「終わった。」
「まだ残ってるだろ。」
「これ、俺のなわけないだろ?…ニョルズに、
ここで着替えろってことじゃねぇの?」
「ああ…見てなかったな。…届けて貰ったんだ…。
へぇ…大して変わらんのに。……。」
「…デッカ…巨人族用かな。」
「……?…髪括る紐かこれ?」
「それベルトだよ。紐ベルト。…結べる?」
「………。まぁ、適当でいいだろ。」
ガーディードの少年と魔法使いが洞窟の扉を開けて外に出る頃、ファルー家の周りには朝刊を読んだ人々が領主家の長男に重い刑罰を求めて集まっていた。
呪いの影響が消えてなくなり人生に前向きになれたらしい吸血族のお爺ちゃんは、外に出た途端にニヤけた色ボケじじいへと変貌を遂げ、ちゃっかり居場所と仕事を確保していたわけだが、私は不思議と気持ちが明るくなって気分も良くなった。自分を恩人と呼んでくれる人は初めてだ。そんな人が上手くやっているところを見ると、喜ばしいような、腹が立つような、複雑だけど愉快な気分だ。なんかこっちにもいいことはないんかい、と図々しい考えが浮かんでくる。そして唐突の既視感。親と同じデザインの大人になるのは何としても避けたい。良かったと安堵出来る事が何より良かった。これでいいのだ。
…女性が苦手っていうのも嘘かな…。
身を引き気味だったのは本当だから、初対面の時のような身なりのいい女性に偏見があるのだろう。衣服だけの違いだから、単純に見た目で決めつけてしまう性格とか。よくあることだ。トラウマの条件反射も有り得るけど、正直あの吸血族が深刻なダメージを負う姿がイマイチ想像出来ない。
結果を知りたくなかった事案は、思ったより呆気ない解決で終局を迎えていた。イド氏の情報がどこまで正確かは分からないけれど。
そういえばあの人、戸籍が無かったはず…、
あの話は全部これからのこと?見通し??
フロイレーヌさんは戸籍を持っていると言っていた。雇用には必要だろうから、ミズアドラスでは、ようやく吸血族もきちんと雇用契約出来るようになったところなのだろう。人身売買はいただけないが、戸籍のない人には所有者になる御主人様(?)が身の安全を保証する唯一の存在になるのかな。…いや、安全か危険かも運でしかないか。イド氏もまた幸運な吸血族のはずだ。吸血族以外にも認められない種族はないだろうな?ミズアドラス…。
なんだか領主家と聖殿なんか抗争みたいだし、人身売買が(多分)合法だったり、庶民の味方のはずの偉い人にも野蛮なのが混ざっていたりと結構な荒れ模様だ。ユイマも知る一大聖地というから整然としたイメージを持っていたのに、その実なかなかスリリングな国らしいことが、やっと見えてきた。もう帰るとこだけど。
ある程度まとまった時間が出来たので身なりを整えた。お世話になった少年二人には挨拶くらいしておきたい。お風呂に入れないのが残念でならないが、着替えるくらいは出来るし、髪のブラッシングは気持ちよくてやめられなくなった。めちゃめちゃ毛が抜けたけれど、おかげで久々にソコソコの指通りを確保出来た。リッカ少女は服選びにシンプルなデザインを採用してくれていて本当に助かる。好みに関わらず身に着けられる無難なところを選んでくれたのだろう。ただ個人的に、汚れた服をそのまま鞄に詰めるのは抵抗があった。ビニール袋みたいな、分けて入れられる小袋ないかな。気が付かなかった。
「…洗濯できたらなぁ…。」
「水の竜の魔女に頼んでみてはどうです?
ずっとここに居るのも選択肢の一つですよ。」
旅行用の鞄を整頓しながら独り言ちた私に、雷の竜がベッドの上から話しかけてきた。変に食いついてくるところに違和感を感じる。恐ろしげにも純真無垢にも見える琥珀色の瞳と目が合うと何故か息苦しい。なんとなく黙ってポケットの魔石を握りしめた。
「…………。」
ずっとなんていられない。文明の利器から離れて暮らして居たくない。戻らなければ。逃げるとか逃げないとかじゃなく、私はまだ私の人生を諦めてはいない。
…けどな……。
ぼんやりと視界に降りる何かを否定すべく振り払い、ゆっくりと深呼吸する。
「どうしました?」
「……ライトニングさんは…、
私のこと忘れないで…いてくれるの…かな?」
「意思としてならば、そう在りたいですね。
ですが、
私は記憶を断定できる存在ではありません。」
「……うん。いいや。それで。」
「…魔女には理解し辛いかもしれませんが、
それは、ある角度で見れば、
無用の心配なのですよ。」
「?」
「時空は大きな間であり小さな点です。
その拡散と収斂の見えざる力も、
唯一の貴方を消すことなど出来ません。」
「??ん??なに??
…また、存在とか、そういう話??」
うわ〜〜、そう来たか。難しい話したかったんじゃないんだけどな…。
「その通りです。貴方は時空の中に在る。
内包されるものである限り、
その過去と未来は常にそこに、
我々と共に在るのです。」
「……………。」
「わかりますか?」
「……………。」
「私が魔女のことを好きだと言ったことは、
覚えていますか?」
「……………。」
「魔女は我々のことを忘れてしまうでしょう。
それでも、その事象は常にそこにあるのです。
私という自在な交流を与えてくれたことを、
私は魔女に感謝しています。」
「…………………。」
私は震えていた。やっとで頷いた。涙が滲んでいる。それがなんでなのか自分にもわからなかった。