残酷
ミズアドラスに起こる早朝の事件は、新聞がらみが非常に多いのではないか。現代世界でも昔は何処もそうだったという話を、小さい頃に聞いたことがある。
聖殿の不祥事とやらに起因する暴動?みたいなものも、新聞を読んだ人達が集まったのだとウィノ少年は話していた。またそのパターンなのかな?と、ジュラ隊員の報告を聞いて、なんとなく推測する。当然ながら私と同じ一般人であるミズアドラスの人々には情報を知る権利があるだろうから、文句を言おうというのではない。主権が国民にある国には珍しい事ではないのだろう。ただ個人的には、穏やかに晴れやかにミズアドラスを去る機会を待ちわびていたところに正反対の現状を伝え聞き、ベッドに逆戻りして目を閉じ解決するまで眠りたいと考えている。あれだけ寝たのに、私の心理はどうなっているのだろう。ちょっとヤバくない?
現在置かれた状況を主観的にまとめると、私こと雷光の大魔女様は、なんやかんやと関わってしまった少年二人に対して変に責任を感じてしまい、時を渡る雷の竜から不穏な情報を聞いたりもして不安になり、ああだこうだと悩んでグズグズしていたら元いた世界に帰る機会を逃してしまったことに今更ながら気が付いた。この事態が落ち着くのって、いつ?…どのタイミングなら晴れやかに、この世界から立ち去って帰ることが出来るの?
……どうしよう…どうしたらいい??
ここで蒸発したらウィノ少年には不利益だろうか。家族のゴタゴタには本当にケリがついたのだろうか。ナクタ少年の身に起こったことなど、はっきりした詳細も分からない。まず単純明快に当人達から話を聞きたいのだが、私にその機会が与えられるのかも分からない。とりあえず今は自分の判断で動いても清流の大魔女やナクタ少年にダメージを与えかねないのが怖い。この地の魔女でもない私に先見性やら明晰な頭脳やらの持ち合わせはサッパリないので、自分のした事がどう働くのかわからないのだ。
ウズラ亭の面々が早々に帰ったのなら、ファルー家の当主さんも偉大なる二人目の初代にあたる清流の大魔女様にはご挨拶をされたことだろう。大精霊のことがあるから、フロイレーヌさんも知っている可能性がある。女将さんには言わないだろう。敬虔な信者なら聞きたくもないはずだ。
一つ疑問なのは、当主さんはナクタ少年が逃げなかったらどうするつもりだったのだろう、ということだ。あのまま少年が部屋で待っていたら、私とライトニングさんは普通に帰って来る。あらゆる異変は結界の再展開が原因だと竜が直々に説明して、清流の大魔女はウィノ少年になりました、と話せば円満に済んだ話だ。家族が大魔女になるのは想定外だとして、通常ならば大魔女は偉い魔法使いの方々の話合いで決める事になるらしい。おそらく当主さんとしては、それでは不満だったのだろう。その前に人々を動かしたかった、のかな?…しかしどう考えても私達の反論に勝てる要素がない。欲のせいか絶好の機会を逃すまいとしたのか、思考回路が大局の結論ありきに組み換えられてしまったのだと思う。隙を突く必要があったとはいえ、行動を起こすまでの経緯を想像すると、考えがあまりに雑で都合がいい。
信じられないのは、その驚異的に脅威的な行動力だ。逃げずに待っていたナクタ少年から話を聞けば、私達は当然反論した。それを無視しようとしていた事になる。私はともかく、雷の竜を。その言葉を。対立しても自分に分がある、勝てるとでも思っていたのだろうか。
……ファルー家は、それだけ盤石…てこと?
あ、力に頼れば悪役まっしぐらになるのか…。
魔力に頼るわけにはいかないはずだと高を括った。その線は有り得る。イド氏の話に出て来たフロイレーヌさんじゃないが、脅かすような真似を証人となる人達の前でやってしまっては、かえってこちらが不利になる。鋼の竜の逸話も残るこの世界では、聖なる竜は必ずしも正義ではない。火の竜と水の竜が信仰を得たのは、彼等と大魔女が人々を平安と幸福に導いたからだ。雷の竜にはそんな経緯は無い。フーリゼの雷光の英雄の伝説もミズアドラスでは知る人ぞ知る物語であり、普通は知らないようだし、言ってしまえば遺された史料も少ない昔話である。
実際、その状況に私達が置かれたところで何が出来るかと言ったら、おそらく決断するのは私だ。結局選ぶ行動はナクタ少年と同じ。間違いなく逃げる。
しかし私の考えることまでお見通しとは到底思えないから、ゴリ押す気でいたのだ。我こそが正義だと。…嘘みたいだ。自分の考えに対する自信が常軌を逸している。領主家という国の最高権力者も認める聖なる竜と大魔女を相手に、ゴリ押して…。いや、最悪、この世からサヨウナラだということくらい考えたはずだ。その意味では覚悟は決まっている。証人となる人々はどうか知らんけど。
……これはやはり文化の違いというやつで、実は今迄の領主家のやり方も力任せの脳筋で、ミズアドラスではガチンコのバチバチにぶつかるのが普通だとか(領主サマがそういうやり方なのだろうか?)、聖殿を持ち上げながらも伝え聞く竜の力を全く信じていなかったとか、そんな人なのかもしれない。
そりゃ何事も無ければ、その力を実際に目にする事は有り得ない。竜は勿論、領主家もそうだ。領主様はよく知らないが、ラダさんは相当用心深いタイプに思える。全てを聞いた今では。脳筋の文化であるが故にあの見た目のせいで舐められていたとか、それも考えられる。それを言ったら、そもそもジャシルシャルーンて小柄だからな。魔法使いは見た目では計れない。実力を信じるも信じないも自由だろう。当主さんが魔法使いを嫌う故に偏っていたとか、自信があり過ぎて言葉が届かない人だったとか、人物像に幾らでも思い当たる自分が嫌になる。ライトニングさんの話が本当なら、私の魂はこんな記憶を素に形成されているのか……。
仮に当主さんが根底に普遍的正義を抱く英雄だったのなら、水の竜信仰のミズアドラスでは人権に対して独自の考え方があると言い訳が出来るとしても、信仰に厚い女将さんにまで反発されるということは、どうやら個人的正義のみというただの一般人なので行なわれた事はただの残酷な仕打ちだ。(私から見れば、まず人の売買が出来る法律が問題。)
ナクタ少年が嫌疑を認めない選択肢が用意されていないのも酷い。確かに、状況を整理して詰めて行くとウィノ少年の言う通り、一方的に決めつけて認めさせるつもりだったようにしか思えない。
それでも、まさか身内が、当てにした後継者が偉大なる初代大魔女になるとは思わなかっただろう。ウィノ少年には丁度いいと思って提案したことが、むしろ私とナクタ少年に功を奏した。あまり意識していなかったけれど、結局私も自分に都合が良さそうだとどこかで考えていたのだろう。そうだと思う。そうでなければ、こんな奇跡みたいな、紙一重の現実が、簡単に引き起こされるものではないはずだ。私は生来、持っていない。自分が不幸で運が無いことは知りたくなくても知っている。俄に信じられない。こんなことって、あるんだな。