存在
水の竜と呼ばれるセオリアには何人目かの友人が出来た。大魔女と位置付ける習慣が出来てからの時間では二人目にあたる。選んだのはセオリアではなかったが、この時は揺るがない。拡散する事象の中の確かな瞬間をしっかりと捉えたことに誇りを感じた。自らの存在意義を確かめられる充足感は、時空と呼ばれる檻の外に在る我々の代え難い価値であると考えた。
この地点に於いてはログラントと呼ばれる魔の根源が根を下ろすこの世界では、幾つもの危機が観測されている。世界の構造とその構成物である住人達は時間と空間の異常に対する免疫がない状態にあった。変化を常とする彼の者が深く根を張るには、やや心許ない。間違いがないように検分を経て、飛び越える意識と乗り越える記憶を検証する。複雑に絡み合い多彩な色を持つ世界の住人達に、消えゆく未来など見せたくはない。王はそれだけを願っていると信じている。
"それは僅かな隙間だが歪みとも捻じれともなり得ると王は示された。その根源の消滅は否定である。その手段は全てを消し去り自らが禍となる。危機は防ぎ食い止める他には善良たる手段が無い。我々は、幾つかの世界がその危機を免れる為に生まれ、その為に永劫の使役を受け入れる。"
魔女と呼ぶことに決められた友人には近く長く共にいる程に影響が出る可能性があった。聖なる竜達は生物の記憶と意識を操作出来る。唯一に収斂する可能性の中で、魔女自身が同じく唯一性を高める傾向にあることは歴史上にも多く見られた。力が理由のこともあれば、魔を知ることがきっかけのこともある。そのことは、危機を避ける目的に貢献するというのが検証の結果だった。
知恵を与えても世界の変化は内向的なものに留まり結果はほとんど変わらない。豊かになることは先を延ばす結果に繋がりやすく、特に古代に於いては重要だと住人達は考えた。聖なる竜達はその望みに応えて幾つもの恩恵とされる知恵や魔法を授けてきた。人類の時間は王が関心を持つことで遥かに伸ばされた。用意されている未来には当然のことも時空の中に顕現する聖なる竜達には新しい結果であり初めての務めと感じられた。
歴史とは世界として区切られる空間の記憶である。住人達は各々が意識の断片であり、今を築き過去と未来に作用する。王には聖なる竜達を使うことによって世界の記憶を変える力がある。それは聖なる竜達が世界の中に在る生物の記憶を変えるのに似た能力である。
大きな変化が望めるのは大魔女が現れてからの歴史であった。危機が増すからこそ機会も多くなる。混迷する程に手は入りやすく、住人達が大きく飛び越え窮地も乗り越える様は見応えのあるものだった。我が友人との出会いはこの世界に何をもたらすのかと先を愉しみに思う感覚は、時空の中に在って初めて体験出来るものである。結果を知っていることなど聖なる竜には当然であるから気になるものではない。
彼等には世界の支配も破壊も容易いが、王より固く禁じられていた。魔女の意に反する行動を繰り返した場合には帰還が命じられることに決まっている。王とは何者か、などという問いは、これ以上なく意味も価値も無いものだった。
"そのような問いは自らの価値を投げ捨て存在の意味を消し去る行為だ。敢えて我々は無為無策に従う。我々には与えられた務めがある。我々には喜びがある。我々には友人がいる。我々は王の目的に完全に賛同する。"
それが聖なる竜という存在であり、その思考は全てが時空の中で溶けるように無くなってしまうものだった。更に上位の存在である王には余りに危険な行為を、聖なる竜は請け負っている。彼等は世界に合わせた形を取り、意識だけを其処に宿して旅を繰り返していた。与えられた務めと、喜びと、友人の為、そして何より旅の愉しみの為に。