初代
全く同じなのかと言われると、二人の竜は色合いが違うように見えた。ランタンの灯りだけでは天井近くは全く光が届かない。ぼんやりと光る雷の竜が光源になり、姿形がそっくりであることはなんとなく確認出来たものの、以前も見た謎の光の裂け目が消えてなくなると、目を凝らしても黒っぽい影の塊にしか見えなかった。
程なくして私の方に降りて来たライトニングさんは既に帯電が解けていて、いつにもまして優しく、対話の邪魔をしないように下がった方が良いと教えてくれた。声を掛けられた拍子に何かが割れるような感覚がして目が醒める。やっと自分が軽い茫然自失の状態だったことに気が付いた。呼吸を整えて、心から安心出来る存在が得られた奇跡に感謝する。張りつめているのに、こんなにも違うものなのだと実感すると、じんわりと震えてきた。ライトニングさんは私の顔のすぐ横に居てくれた。落ち着いて慎重にならないといけない場面なのだろう。自分の時を思い出すと、それどころではなかった。あれは極めて間抜けな例だったということか…。
もう一人の竜は黒っぽい塊のままで宙に揺蕩い静かな空気を纏っている。こちらもド派手に現れた雷の竜とは印象が全く違った。現れてから今も変わらぬ位置で何も語らず、黒い影だけを人の目に映してただ浮いていた。
「…………。」
「…………。」
何も語らないのはウィノ少年も同じだ。突然光の裂け目から現れた竜に対して先程の菩薩のような空気を醸している。恐れはないのか、表情は意外にも明るい。どういう気持ちでいるのだろう。二人の竜は同じ扱いで良いという判断なのだとしても、目の前で、謎の裂け目から出て来たんですけど、それは驚いたりしないの?あの現象に対して平常心てことある!?
空間魔法?を恐ろしいと考えるのは、本当に少数派なのだろうか。私にとってはユイマが常識だから、違和感しかない。もしかして、魔法使いとしては初心者のウィノ少年には、あの光が転移や召喚とは全く別の力であることがわからないから平気なのだろうか。これはあるかもしれないが、めちゃくちゃ危ない。本人も転移魔法を扱う立場なのだ。当主さんも転移と召喚は行ってきたはずなのに、何を考えているのだろう。使わせるのに教えないなんて無責任というか、魔法使い見習いのユイマから見ても、甘い。…どうなってもいいのか…?
……いや待てよ?違う。水の竜との交流は途絶えて、もう転移は使う必要がなくなった。その後にウィノ少年は生まれているから、召喚だけ…それも水の竜に縁の催事なら執り行う事もないかもしれないし……使う機会も少ないはず…。
…そうか。本当に慣例だから、
一応習っただけの魔法なんだ…。
危機感がないのも、そういうものとして、
継承され続ける伝統のようなものだから…。
危ないのは変わらぬ事実なのだが、ウィノ少年の犬のような食いつきを見るに、自力で身を守る術を工作しようなどという考えではなさそうだ。好きなんだろう。純粋に。本当にいい勘をしている。魔と魔力についての知識は、有るか無いかで大きく違うものだ。
「私に名乗る名をいただけますか?」
全く動かないまま、宙に浮いた黒っぽい竜がウィノ少年に語りかける。イケボに心惹かれて脱線していた思考と意識が帰ってきた。ゆったりとした温かい声。女性のようだが、中性的とも言える。ライトニングさんに似ているのに違うことがはっきりと判る。
「…………。はい。
だけどその前に、僕から名乗らせて下さい。」
「そうですね。」
「ウィーノ=アルヴァラート=ファルーです。」
「わかりました。」
少年は見た感じにはいつも通りだ。少し緊張しているのか、嗄れた声の音程が高く聞こえる。所々では掠れ声になっていた。
「水の竜の君…なのですか?」
「そのように。」
「僕で…いいんですか?」
「私の友人となってくれるのなら。」
「…なります。……本当に、…これだけで…?」
「そうです。貴方こそが私の魔女。
二人目の大魔女を新たにするもの。
この出会いを世界は祝福するでしょう。
我々は貴方を迎える準備が整っています。」
「……魔女…。」
「ええ。この世界では大魔女と呼ばれ、
過去には初代と呼ばれた魔女となります。」
「初代……。」
「知っていますか?」
「……ノエリナビエ様とセオリア様とは別の…、
新たな初代…ということですか?」
「そのように。」
ここまで話してから、ようやく影はウィノ少年の近くまで降りた。ランタンの灯りが竜の姿を照らし出す。湖の水面は静かに風を受けてさざ波立っていた。
「それは…水の竜の君と清流の大魔女様ではない、
………全く別の……新しい…、
聖なる竜の君と、大魔女様では?」
「そうなのかもしれません。」
「…え…?」
「我々と友人のことです。
魔女が決めるのが良いでしょう。
私はこの世界は久しぶりですから。」
「…あ……僕が!?」
「ええ。魔女が選んで下さい。」
「…………わかりました。…それでは、
僕は、清流の大魔女…で、…水の竜の君は…。」
「………。」
「今迄と変わらず、セオリア様では、
………駄目でしょうか?」
「わかりました。」
「……今も水の竜の君と大魔女様は尊敬され、
その恩恵と知恵と正しく考える為の心、
そして規律ある社会を与えて下さいます。
以前と変わりなく…………いや、ン゙ン゙。
少しずつ変えながら、……不勉強ですが、
お勤めさせて頂こうと考えています。」
「ええ。良いことだと思いますよ。」
トルコ石のようなコバルトブルーの鱗が美しい水の竜は、近くで見るとライトニングさんよりもやや大きい。艷やかな光沢ある表皮を持ち、透明な薄水色の玉の中に走る焦げ茶の細い瞳は、慎重に相手を捉える猫を思わせた。同時に、現代世界の記憶のせいか好奇心旺盛なイメージが湧いてくる。
「……あの、水の竜の君には、…最初に、
聞いていただきたいお願いがあります。」
「なんでしょう。」
「大結界を、元のとおりに、
もう一度展開してもらえないでしょうか。」
「ええ。魔女が望むなら。」
「!やっていただけるんですね!」
ウィノ少年は一目瞭然に大喜びだ。これが一番の目的だったのだろうから当然とはいえ、呆れる程に素直な中学生だ。ウィノ少年だからな。逆に普通に思えてきた。またバグを起こしている。流れに乗っかって私も、良かった良かった嬉しいね、なんて言ってみるのも悪くない気がしてくる。しないけど。
……ちょっとコツが解ってきたな……。
なんだかこの状況も面白くなってきた。警戒したほどには悪くもないのかな、などと生ぬるい気持ちで二人を見ていたら、ライトニングさんが何故か私の頭に軽く脚を掛けて乗っかってきた。浮いているから重くはないにしても、なんだろう。珍しい。
「ありがとうございます。私の魔女。」
対話する二人を見たまま、一言ぽそりと呟いた。
「?……ああ、そうか。…え〜と…。
どういたしまして、って、言うとこ?」
頭の上に存在を感じなから答えるのが気恥ずかしい。役に立てたのなら嬉しいけれど、これで私は用無しになるんだよな、と、早速落ち込む自分がいる。考えても仕方がない。諦めるのは慣れている。さっさと元の世界に帰して貰うのが良策だろう。もう夜だから、明日にでも。