本物
水の竜は魔石も大魔女も失われて久しい。永らくそれを知るのはミズアドラスの中枢にいる人達だけだった。大魔女は元々在任中には正体を明かさないものだし、魔石は大魔女以外の目に触れる事は無い。火の竜も水の竜もこれは共通しているのだが未だにその理由は確かめられないままだ。ログラントでは、それはそういうもの、という常識だから大抵の人は疑問にも思わないことである。しかし雷の竜と対話した大魔女である私は、なんとなく嘘と裏切りを禁止するという竜の設定?に関係するんじゃないかという気がしてきた。
普通に考えて、どうしたって現在の大魔女は嘘だ。当たり前だが本人ではない。大魔女の存在に呼応するらしい魔石も、本来の力を失った後であって本物とは言えない。今ある聖竜信仰もそうだ。ある意味、竜を裏切っているんじゃないかとも思う。そもそも竜は自身を信仰しろ、などとは言わないはず。ライトニングさんを見る限り、有り得ない。
対象を暈せば罪はないってものでもないと思うけど、竜の能力は、考えている以上の事は起こらない。竜と謁見してきた歴代大魔女が、これは嘘とは言えないし裏切りではないと本気で考えているのなら問題のないことだ。聖竜信仰なんて、始めた人間以外は裏切りだなどと思わないだろうから、一般的には全く問題ない。そもそも知りすぎなければ嘘も裏切りも存在しない。
…有り得ない話じゃないと思う。私は。ただ、なんの確証もない思いつきだ。しかし思いついてしまうと万が一にも当たっていることが怖くなって、もう確かめる必要もないと思っている。
二十年程前に水の竜の聖殿は外部の武装集団の襲撃を受けて、聖域とされる中央一帯に鉄壁を敷いていた水の竜の結界を解除されてしまった。
この事件については諸外国はミズアドラスが説明した内容に疑問を持ったはずだが、聖殿の公式な見解であり領主も認めて自ら正式に発した情報だから、疑わしいと思ったところで口を挟むことはしなかったらしい。すぐに内政の問題だと考えられた可能性もある。それなら、見抜かれた、と言った方がいいだろうけど。
魔石が盗まれたことや、その為に大魔女の継承が出来ない事などは一般には明かされていないから、あくまでも事件後の影響は結界の消失のみということになっていて、現在は代理の結界を展開している。どうして再展開されないのか全世界が不思議に思っていただろう。自国の技術を採用する方針と受け取ったのだろうか。言ってしまえば史上初めてのことだから、竜が再展開など許さないのだと説明されれば、そうか、と頷くしかないことだ。ぶっちゃけ聖カランゴールさえ納得したら良い事案なのかもしれない。…ひょっとしてカランゴールの首脳陣は全て知っているとか…。むしろその方が頷ける。首脳陣がわざわざ戦争なんかしたくない人達ならば。
南側のミズアドラスと聖カランゴールに対して、北側と呼ばれるミロス帝国やユイマの故郷であるエルト王国では、この事件は無かった事にされている。理由はあまり考えたくないが、今のところミロス帝国が主犯に絡んでいたからである可能性が高くなってきている。ユイマなら頭がおかしくなっていたかもしれない。生真面目な勉強家だからな。…成程。大魔女が未来人とか異世界人の方がいいのはこういうワケなのか?ユイマが何を考えてライトニングさんに提案したのかは知らないが……。
……ネルロヴィオラが魔石の中で生きている。
…ということを、ユイマが知ったから、
今のアイデアに繋がった…とか?
そもそも元聖殿長の遺した言葉は真実だろうか。普通に生きていれば、あんな台詞を聞いて考えることはラダさんと同じだ。訳のわからないことを言い出したとしか思わない。しかしそれが本当に事実なら、この世界の全ての魔法使いは正しく天地がひっくり返る。この世界の全ての魔法は、ミロス帝国にある魔石によって解除され、塗り替えられてしまうものにすぎない。これは厳然たる事実だと誰も疑わない。初代のみ本物の力が宿るという魔石の真実が信じられなかったとしても、ネルロヴィオラが生きていれば、最強であるに決まっている。これは伝説の効果でもあるが、伝わる話を検証する程に強かった事を裏付けられる結果しか出てこない偉大過ぎる大魔女の、未だ覆らない評価だ。(少なくとも北側ではそうなっている。)言ってはなんだけどノエリナビエだったら、ここまで恐れない。私が持つ雷の竜の魔石も力としては同等なのだが、火の竜の魔石は事実上ミロス帝国皇帝陛下が持っているのと同じことであるから、現実的に意味合いが全く違ってくる。
魔石に封じられた魔物は、蘇る。
ネルロヴィオラは魔物ではない。それでも、例えば依代となる肉体を用意したならば、ネクロマンサーの魔術を応用したならば、不可能だと言い切れるだろうか。…そういう物語が用意されたら、信じる人が居てもおかしくない気がする。私は怖いだけだから関わりたくないけど。
初代ネルロヴィオラは伝え聞く限りはヒト族だが、吸血族だったのではないかという説もエルト王国にはある。伝説通りならエルフをも従わせる強さを持っているからだ。現代世界に生きる人間としては、魔力が強大なだけで従うという考え方の方に無理を感じるけれど、この世界では、特に古代に於いてはそうに違いないとログラントの魔法世界の識者達は考えているらしい。魔法は格上には敵わないのだから、とりあえず説得力はある。ミロス帝国はネルロヴィオラはヒト族の男性だと認識していて、現皇帝の先祖とされているから、当然そんな噂は認めていない。( しかし多くの国で女性説が蔓延している。名前がそれっぽいせいかも。)史料もある程度残っているはずだからミロスが正しいとは思うけれど、ロマンのある言い方をすれば、真相は眠れる魔女のみぞ知るわけだ。
元聖殿長の信じた<讃える会>が、何故魔石のことを知り得たのかはわからない。そこがハッキリしない以上、元聖殿長の言葉が真実とは限らない。
ただ、実際に突拍子もない事が起きてしまったせいか、現在のミズアドラスは何かが麻痺していて魔法世界の重要事項がおざなりになっている。水の竜の結界を外部から解除するなんてことは、神話を超える力が人の手で行使されたという事なのだ。ユイマの知識では有り得ない。北側では伏せられているが、話したところで信じない人は大勢いるだろう。ほとんどだと思う。魔石にネルロヴィオラが眠っているのだという仮説は、考え得る限り唯一と言ってもいい方法なのだ。こうなると、<讃える会>の嘘から出たまこと、なんてオチもあるのではないかと考えてしまう。
ユイマは何を考えて異世界人を引っ張ってきたのだろうか。今も魔石の中で眠っている、出会うことはない魂の思考には確認のしようがない。雷の竜に聞いてみるしかないが、まぁ、あのヒトは、教えてくれるかどうか、わからない。
竜は私達の考えを尊重する。嘘とは何か。裏切りとはどういう事か。誤魔化そうと思えばいくらでも出来る。そうして魔の恩恵だけを受け取るわけだ。やり方をどう考えるかも自由。だが竜はあくまでも検証と検分をしているだけで、何度でもやり直していく中で情報が蓄積されていないわけでは無い。少なくともライトニングさんはそうだった。考えようによっては、騙されてくれているわけだ。別に自分達は痛くも痒くもないのだから。
彼等から見れば所詮人類は時間と空間の檻から出られない、水から出られない魚みたいなものだ。私達にはそれは超えられない。近隣世界のログラントの住人には干渉する異世界が複数あり、そこからもたらされる魔法世界は、どうやら住人の手に余るものであるらしい。
例えば水槽の金魚に餌をやる。金魚には病気もあるし掃除も必要だが、なんとかしてやらなければならない。自分には手が届かないから、それが自身でも出来るように。金魚に高い知能があれば。魔法が使えたら身の回りのことは解決出来る。病気なんか克服出来る力があれば乗り越えられる。…見返りなど期待するだろうか?ただ元気でせいぜい美しく伸び伸びと泳いでいてくれたらそれでいい。そういう話に思う。ライトニングさんは自分の王様に従っているから、聖なる竜の王様の意思であるらしいけど。
水槽の中の金魚が"しめしめ、美味しいモノを頂けるだけ頂こう"なんて思ったところで、馬鹿で可愛いだけだろう。餌の取り合いも仕方ない。取りすぎで自滅したり、取れずに弱ったり、それも個性だ、なんて言える場所。愚かな事をしていることなどどうでもいい遥か遠い場所。王様は、そういうところに居るのではないかと思う。
水槽を壊さない限りは、それで良かったのに。
それでも困るのは王様ではなく、近くに置いた水槽だ。倒れ方によっては、連鎖するかもしれない。どんなに酷いことになったとしても、王様には手が届かない。竜という存在を遣わすことがソレを避ける唯一の方法。そういう状況なのだと思う。多分。