綺麗
いつもながら私はウィノ少年と距離を取りがちだ。もうどうするべきかを考えるのも億劫になってきていた。とにかく噛み合わない人というのはいるものだ。そう開き直るしかない。相手に合わせようにも、この人は、本当に何を考えてるのかサッパリ想像もつかないのだ。
……気まずい…嫌いなわけじゃないけど…。
嫌いとも言えない程に遠いというか……。
きっと私みたいなのは名家の御曹司の住む世界では見たこともない輩なのだろう。普通に話してくれるのは有り難い限りだが、話題を振ろうにも、こんな人間がいるとは思わないのだ。彼から見たら私のようなのは石の下のダンゴムシみたいなもので、こんなところで生きてるんだ、とか思われる存在なのだ。多分。
奥に進む道は先が見えないとはいえ、そんなに長くは思えなかった。遠くから見た湖の周囲には山肌が見えてはいたが、大きくも高くもない山で、洞窟があったとしても長く深いイメージには繋がらない。少しの間のことだと思って、出来る限り適切に乗り切れるように、頑張ろう。
想像よりもしっかりと整えられた通路は、古い石垣のような凹凸を残したままの石畳の上に、またもや木の板が渡してあった。二十年も用のなかった場所のはずなのに随分と木材は新しい。聖なる祠とはいえ誰も入れないのは大魔女が謁見する時だけということだろう。(一般人は入れないのかもしれないが)普通に手入れはされている。ファルー家なのか領主家なのか分からないが、良く目の届くことだと感心してしまった。
右手には手摺が、左手側は鍾乳石とチクチクした短い芝のような苔が生えた岩肌と細長い水溜りが続いていた。よく見ると小さな魚や虫が澄んだ水の中を泳ぐのが見える。持っている光源だけでは幅が分からないくらいに横に伸びた空間では、高さがそれほどないことがわかってきた。巨人族の二人は大きく垂れた鍾乳石があれば頭をぶつけてしまうだろう。
どこからが湖の入口なのか私は知らないから、ただウィノ少年について行くだけだ。二人で前後に並んで歩いて行くわけだけれど、水滴のせいで滑り易くなっていて、慎重に歩くから意外と時間がかかる。少しのことだと思ったら、早速予想が外れてしまった。
…こうなったら必死について行く体で、
黙ったまま下向いて誤魔化そう…。
話しかけられても上手く返せないのは既知の事実だ。その上やりにくいことにウィノ少年は安易に人を見下したり馬鹿にしたりはしない。というか、よく考えたら出来ない。私は大魔女様だから。見下されるのは慣れているから適当に戯けていればいい。まともに相手をされる方がずっと怖い。いや、嬉しいけど、やっぱり怖い。だいたい今の状況は、一般人なら知らなくてもいいことを知ってしまっていて、話せないことがたくさんある。ウィノ少年のような人に嘘を付くのは出来れば避けたいと思うから、何か聞かれたらどうしようかと気が気でなくなり、距離は広がり壁は高くなるばかりだ。ただでさえこちらが緊張してしまう見た目と肩書を持っているのに。
「二人でお話するのは、初めてですよね?」
「え?…あ、ああ…うん。」
「あ、違うか。失礼しました。
雷の竜の君がご一緒ですから、三人ですね。」
「あ、そっか。…うん、そうなるね…。」
先導するウィノ少年は、自分も初めての場所だろうに余裕で話かけてくる。どうやら私が気にしているほどに相手は何とも思っていない。良かった。会話が上手くいかないのは完全に私の落ち度なのに、気にされたら更に行き場がなくなる。
私の表情をチラチラと観察しながら会話をリードしてくれるが、どうにも既にムズがゆい。綺麗過ぎる。まるで自分が木偶人形にでもなったようだ。
辺りはウィノ少年の持つランタンの灯りで難なく歩けるくらいには明るかった。やけに光量があると思ったら、よく見るとやっぱり魔法具だ。
「…あの……湖の手前で待っててくれるって…。
水の竜には、真っ暗の中で会う…の?
…勝手に魔法使ったりしても、いいかな。」
「…や、まさか…!
大魔女様には、これをお渡しします。
僕が魔法を使いますから。ご心配なく。
これでも少しは知ってます。」
「…え……もらっていいの?……ありがとう…。
魔法はどうやって…、誰に習ったの?」
「転移は必須ですから。…あとは、聖殿で。
祝福と加護を授けて貰っています。
習ったのは、祭礼で使う召喚魔術です。」
「祝福と加護を…。」
水の竜との交流が途絶えているのに、意味があるのかは分からないけど、教えの通りに慣例は続けられているわけだ。まぁ、そりゃそうか。
召喚魔術を祭礼で行う地域は世界各地にあって、珍しい事ではない。何を喚ぶかは知らないけど。
「……それ以外も出来るってこと…だよね?」
「……一つ、二つ……出来るのは二つだけ。」
ウィノ少年は指を折りながら照れたように笑う。嬉しそうだ。……。
「灯りと防御です。ウズラ亭に来るなら、
何かあると困るからって、ニョルズに。
……ご存知ですよね?」
「あ、うん。」
あの爺さんに??
「害が無いものは教えてくれるんです。
…たまにですけど。…ゴホ。
道具も手に入らないから、簡単なのだけ。
話を聞いて、ウチに帰ってから練習して…。」
……ジジイ…ナクタ少年には何も教えないくせに、御曹司には何かあると不味いからって……。そりゃ、ウィノ少年は家で失敗したところで周りがフォローするから、よっぽど安心かもしれんけど…。
「……あ、そうか。……そういえば、
リッカ…ちゃんとも、仲いいんだったよね。
……そっか…だったら、普通に会うよね…。」
「…………。」
リッカ少女の名前を聞いて、(しかも仲いいなんて言われたからだろう。)少年は分かりやすく口を噤んでしまった。ココではない何処かを見上げている。突っ込んで欲しいのかと思うくらいの分かりやすさだが仕方ない。竜もいるのだから黙るのが一番いいのだ。
…また申し訳ないことをやってしまった…。
知っているのなら触れてはいけなかった。人の恋路を暴く事になりかねない。
イド氏と交流があるのは正直言うと意外だった。あの爺さん相手の会話で鍛えられているから私なんか何でもないのかもしれない。流石に私の癖もあそこまでではないはずだ。そう思うと急に気負いがなくなった。ウィノ少年も悪意でプレッシャーをかけてきているわけではないと思う。
魔法に関しては、思ったよりも苦労しているみたいだ。家の方針とはいえ、好きな事を止められるのは辛い。気持ちは物凄くわかる。漫画好きとしては。ウチなんかは流行りのファッションすら理解されないで不機嫌になるわ怒りだすわ散々だ。顔を合わせないのが一番。欲しいものはお小遣いから捻出するしかない。
……お互い苦労するよね…。
初めて共感を覚えたかもしれない。
現代世界では女子の派閥などなどに気を付けて、イケメンに近づくという行動をとったことが無いのだが、ひとたび身近に感じられるとウィノ少年という人は、単純に恋して悩んで人生に試行錯誤する初々しい中学生でしかないように思えてきた。それが正解の気がする。ヨシ。いいぞ。良い感じに対話へのモチベーションが確保出来てきた。
個人的な思いではあるけれど、魔法のことは何とかしてあげるべきだ。さっきも嬉しそうに話すのを見ていて切にそう思う。ファルー家では魔法が役立つものだと認めてもらえないのだろうか。真面目に学ぼうと向上心を持っていても深入りしてはいけないみたいだ。もしかしたら、当主が魔法使いというものに偏見があるか、嫌っている可能性もある。転移に杖を必要としないくらいには才能もあるのに、勿体ない。非の打ち所がない御曹司にも、ままならないものはあるものなんだな。しかも自分の進みたい方向を封じられるのは後々の影響も大きいから、気の毒にすら思える。
……てか、…似てる……。
私が持つ悩みは、実は全く珍しいものでもないのだろうか。いや、だからって、人の人生が掛かっているのだから軽く考えないで欲しいものだけど。結局他人には所詮他人事だ。とりあえず私の出会った大人達は、いい話とウマい話しか聞きたくない人ばかりで萎縮してしまっていた。だったら私には話せることなんて何もないのだ。
「…………。」
「なんか、無理して話してますか?」
「!」
唐突にウィノ少年が切り込んできた。
なんで急に??何処でそう思ったの!?
私には何が不自然だったのかがわからない。どうして、どんなところに無理が感じられてしまったのだろう。……やっぱりまるで解らない。天才か、キミは。
「あの、いや、気にしないで。
ウィノ君が原因じゃなくて、
私、元々、……基本、誰とでも無理だから。」
「誰とでも無理?」
未知の言葉を耳にしたことを本気で自分の不勉強だと感じている、そんな顔をしている。私の馬鹿みたいな表現のせいで。…どうしよう…。
「えっとね、……会話が下手なんだ。
無理してるけど、それが普通。…だから、
これはウィノ君のせいじゃない。」
「…!あ〜〜!……そういう方だったんですね。
いや、そんなに気を使わないで下さい。
僕の方も、恐れ多いですから。」
「え!?…そんな、恐れ多いって…、
そんなんじゃないから!……その…。
こちらこそ…恐れ多い…ことですから。」
「………。じゃ、もう黙っときますね。」
キラッキラの苦笑いをしながらも優しく砕けた言い方で最高の気遣い方をしてくれた。問答無用に嬉しい。これは言葉にはならないものだ。本物の心遣いを感じる。
……え?……本当にただのいいヤツだったの?
…嘘でしょ?そんなことある??
そしてそれが思いのほかショックだった。無自覚のまま、腹黒いとか策略家だと決め付けていたのだろうか。非常識だと無視されるとか、少なくとも、もっと堅いことを言われるのだと思っていた。あまりに不思議で、軽く錯乱する。
…見た目も家柄も良いのに……本当に??
私も他人のことは言えなかった。まさか、こんな人間がいるとは思わなかったのだ。