後悔
あっと言う間のことで何が起こったのか分からなかった。転移魔法は初めてではなかったけれど、こんなにも簡単だとは思わなかった。それくらいに速かった。イド氏の魔法陣も実はなかなかの性能だったのだが、ファルー家の用意した魔法陣にはそれとは違った快適さがあった。移動距離の違いを考えると、悪いけど雲泥の差だ。これを設置した魔法使いは相当良い道具を使ったのだろう。
転移の仕組みは基本的には変わらないから、場所の性質と使う道具が全てだ。距離が延びると転移するものの魔力に影響が出る。正確には転移魔法陣の中に存在する魔の揺らぎと呼ばれる現象の為に機能を狂わされる。故に魔力の宿った魔法具等は長距離転移しない方が無難であり(壊れるまでにはならないが、暫く正常に機能しなくなったりする。)、兵器のような危険物は安易に転移出来ない。誤作動防止の為に動力を外さなければならない手間もあるし、魔石を使っている場合は品質が悪いと欠損してしまう。実際それは規制の結果なのか、技術の限界なのか、魔法使いの見習いであるユイマは知らされていない。
魔法を深く知る高名な魔法使いが言うことには、転移の影響は大地母神ログラントの力の干渉を拒否するか受け入れるかを無意識下の魔力が選んだ結果であり、意思に呼応するという。人工物にはそれが選べない故に一様に外部干渉を受け、内部から呼応すべき意思による魔的順応が期待出来ない為に干渉力が全て影響となって現れる…。言ってることはよくわからないが、なんとなく凄い仕組みだ。
地下にある魔法陣に足を運んだのは、宵の口と言いながら、辺りが真っ暗になってからだった。あれから部屋の照明を点けずに眠ってしまっていた私は、どれほど時間が経ったのか気付かないまま突然耳に飛び込んだドアノックの音に酷く驚いた。後から思えばトオノ隊員だったのだろう。力強くてノックとは認識出来ない破壊力があったのだ。下手するとドアが割れるんじゃないかと心配になる音が部屋中に反響して音源の特定が直ぐには出来ないでいた。雷かと思った。
ビビって即座に行動を始めたものの、飛び起きた後に雷の竜の所在を確かめる他には一体何をするべきか咄嗟に思いつかない。続いて聞こえた二枚目声で状況を察し、魔法具のランプを持ってドアの前に迎えに来たメイドさんとトオノ隊員に、大人しく、というか寝起きだからろくに何も考えないままに、とりあえずボストンバッグ(竜含む)を持ってついていった。ただただダルいと感じながら歩いていたが、それでもナクタ少年とウィノ少年が途中の階段辺りで合流した時には、あれ?君等こんな感じだったっけ?と寝ぼけた頭でも変化に気付いた。二人は急に小声で話すようになっていたからだ。特にウィノ少年の変化はわかりやすかった。私のいるところでは、彼は衆人の目を意識しがちな話し方だったから、明らかに性質の違う会話をしているのが解ってしまう。但し私も最初はまだ同級生の会話だから、普段はこんな感じなんだな〜身内の話とか学校の話かな?くらいに思っていた。合宿の後に距離が近くなるのは普通にあることだし。
ファルー家の裏道に向かう丘の途中には切り立った土壁の中に扉の着いた謎の入口が設えてあった。来る時には全く見えない位置だったから、さすがにこれは気付くことは出来ない。少し軋んだ木製扉を外れそうな勢いでトオノ隊員が押し開けると天然の洞窟を厚みのある板で舗装した簡素な通路が奥に続いていた。緩やかな下り坂はやがて地下と呼べるくらいの深さに至り、その先に辿り着いたドーム状の、ややしっとりとした鍾乳洞のような空間には、大人三、四人程が並んで入れそうな、ごく普通サイズの魔法陣が、巨大な一枚岩を平らに削った床の上に用意されていた。それは特に時代を感じるでもなく、白い粉状になった鉱石の欠片が残った、まるでチョークで描かれたような印象の何の変哲もない魔法陣だった。
揃ったメンバーの中で誰が魔法陣を使うのかといったら、ウィノ少年だろうから、手ぶらでいるのを見て意外だった。杖くらい使うものかと思っていたのだ。
杖は簡単に説明すると、魔力の増幅を助けたり魔法の失敗による被害を抑えたりする効果がある。魔力を適正に導き魔法の使用を整い易くする、と言える。強力なものだとそれだけで安全装置と呼べるヒーリング効果を持つ杖も存在する。逆もあるけれど。
「転移は避けろって言われてるんです。」
波紋を呼んだのはナクタ少年の言葉だった。この一言で、魔法使いなら、コイツなんか持ってんな、と理解する。しかしこの場合は即座に考え直した。そしてナクタ少年がガーディードである事をすっかり忘れて転移に同行させるつもりでいた自分のミスに気付く。危ない。かなり酷いことをするところだった。ライトニングさんの説明通りなら、魔力が乱れる中になんの対策もしていないガーディードの幼体を連れて入るのはリスクがある。勿論同族であるトオノ隊員が知らないわけもなく、その意見に賛同した。心ある隊員で良かった。ドアには厳しいけど同族には優しい。それで十分だ。同じガーディードであるのに何とも思わずに日常的に危険にさらしていた吸血族の爺さんとは天と地の差だ。
自分はそうだったとか昔からやってる事だとかナントカカントカいう理屈で無法地帯を築いている輩は現代世界でも珍しくない。あの人の何が嫌って、ちょこちょこ、そういう手合の人間と重なるからだ。ウチの親もそうだけど、ちゃんと情報更新して勉強して欲しい。まぁウチの場合は完全に解ってて誤魔化してるだけだけど。その点、幽霊だと自称する吸血族の方がまだ事情を考慮する余地がある。
ともかくアドバイスを与えたのも爺さんに他ならない。他にいないだろう。良くないのをわかってやっていたのだから、慣らせば慣れるとでも考えていたのだろうか。転移の影響を、内部のリズムが乱れることと考えれば呪いやまじないに似ている。確かに爺さんは長年付き合っていた症状だし、実際に気持ちの上では慣れたのかもしれないが、ナクタ少年は吸血族ではなく、まず幼体だ。前提として大きく違い過ぎている。おまけに魔の不確定さを無視していて厳密にはそのリスクが全く考えられていない。ライトニングさんも無謀だと言っていたことなのだから子供に強いるなど言語道断。とんだ心配症もいたものだ。もう会うことはないから偉そうに言わせて貰う。
ユイマ=パリューストには転移魔法陣を使用した経験がある。何事もなく通り過ぎた学校の授業とは大分違いがあったせいか、転移による意識や記憶の乱れが起こってしまった。私が中にいることが悪いのか、一緒に魔の兵器かと疑われるような竜がいたのが悪いのか魔石の影響か…。とにかく原因は特定出来ないものの疑わしい要素は結構あるからむしろ当然の結果かもしれないが、混乱は暫く続いてしまった。
結局ナクタ少年はお留守番で、私とウィノ少年とトオノ隊員の三人が転移した。最新技術では転移はほとんど装置と使い方が同じなので、魔法陣内の特定の場所に接して魔力を送るか魔石を置き、行く先の座標を呪文で唱えて対になる魔法陣を指定する。基本的には、間に障害が無い魔法陣から魔法陣への移動しか出来ない。ログラントでは世界地図も正確とは言い難く、経度や緯度のような位置の表記が無い。もしくは国によって違っている。転移は脅威ととられるので、座標は慎重に指定する。
ウィノ少年は見事に魔法陣を使いこなしてみせたが、ひとつだけ、ちょっとしたうっかりミスをした。本人にはミスとは言えないものだから、彼自身は完璧にやりきって転移を成功させただけのことだった。
「ここだけは魔法使いになれるから、
日頃から練習してるんです。」
魔法の世界に憧れていたウィノ少年は、いつにもまして顔も瞳もキラキラさせながら私と一緒に転移魔法陣に並んだ。
「そうなんだ。……杖無しって、凄い。」
「魔力量にさえ問題がなければ、
無い方がいいそうです。
魔法陣がちゃんとしたものなら、
余計な力が働かない方が。」
「……さすが…詳しいね。」
「ニョルズにコツを聞いてきました。
ナクタがウズラ亭と連絡をとってたので。
なんか水晶みたいな…あれ便利ですね。」
「…あ〜、連絡手段は持つように、
言われてたみたいだったから…。」
あの爺さんは自己中なくせに的確なアドバイスをするからタチが悪い。
………ん?……水晶……、…水晶…って、
…………アレか?
この時、ようやく私は展示室で少年が大人しく黙っていた理由に思い当たり、少年二人のヒソヒソ話が何についてなのか、推理できてしまう事態となって無性に焦った。内蔵に痺れが走る感覚がある。どうしてわからなかったのだろう。現代世界でも大して変わらないことだったのに。
ユイマのような異国の魔法使いは、ナクタ少年のような子供から見れば、それだけで珍しくて興味を引く。好奇心から探求の対象になり得るのだ。
大切な彫刻刀の入った肩掛け鞄を、ナクタ少年は肌身離さず身につけている。転移を避けたい理由は本当にガーディードの幼体だから、だろうか。今もあの中では魔法具が動いているのでは…。
まだそうと決め付けるのは良くないのだろうけど、ボッチである私には他人に踏み入る気概も信念もない。疑いをかけるのも恐れ多い。ナクタ少年には聞きたくても聞けないことは他にもたくさんあるのだが、いかんせんこれは不味い。
ナクタ少年を部屋から出さなかった私が悪い。
いつでも下がると本人も言ってたのに……。
……こうなってから、何が出来るんだ…!?
どうしていいのかわからないまま、私は心から、本気で、思い切り、少年との出会いを後悔した。