影響
宵の口と呼ばれる時間帯が何時頃を指すのか、ミズアドラスの住人ではないユイマにはわからない。話の内容で頭がいっぱいで、どうやって元の部屋に戻って来たのか良く覚えていなかった。昼食を食べたファルー家の個室には、日が傾いてきたとわかる色のついた陽光が窓を通して外から差している。白い壁や柱にはミズアドラスでは見慣れた照明器具が三箇所取り付けられていた。目に留まる程度には気になったけれど、また直ぐに部屋を出るのだろうと考えてそれは使わないことにした。細かな作業さえしなければ必要ないくらいには明るかったのと、休憩したくてベッドに転がった私には、あるべき姿を気にして動くのも億劫なことだった。一階の展示室の後だからか、改めて見てみると、段違いに日当たりの良い爽やかな部屋だなと感じた。
警備隊のトオノ隊員から話を聞いたところ、ラダさんは別館に宿泊しているということだから、どうやらファルー家の一角を借りて拘置?勾留?されているような状態であるらしい。
ライトニングさんの話が終わった後には、ショックで立てないフロイレーヌさんが精霊魔法を使うところを初めて見た。元聖殿長の話のくだりで、何があったのかだいたい解ってしまったのだろう。暫くは力なく精霊に話しかけていた他は俯いて無言だった。
もう性格なんだろうけど、重くピリピリした空気が何とかならないかと思って、話の最後に、気になっていた事を聞いてみた。もしかしたら、フロイレーヌさんに影響されたのかもしれない。それで空気が何とかなる事はなかったけれど、一応聞いておいて良かったと思う。
仰向けになってもまだ重力で下に張り付くように身体が重い。ベッドから見る高い天井はシミひとつなく真っ白で、いろんな人の顔を思い描くには丁度良かった。
「あの…、私達に話って、何だったんですか?」
「…………。
既にフロイレーヌが話をしていたようです。
改めてお聞きすることもありませんでした。」
「?フロイレーヌさんが?……え?
…精霊を使役している…とか?」
「………。フロイレーヌは吸血族です。
あの姿でいるということは、
真っ先に説明したのでしょうから。」
「…あ…吸血族の話…ですか?」
「…会議の記録を見せて貰いました。
その中で雷の竜の君は、領主について…、
吸血族の名前を挙げられていました。」
「……あ〜…ああ。…それが…?」
「排斥するどころか…力ある領主になり得ると、
聖なる竜の君が仰ったのです。
…我が領主家には一大事でしたから。
直接お会いして確かめなければ、と。」
「あ、それでフロイレーヌさんを、
わざわざ呼んだんですか…?」
「いえ、それは偶然です。他に策がなく…。
先に落ち合うつもりでしたので、
一人で紹介を終えていたから驚きました。
………大魔女様が、どう思われるかと…。」
「…!それは……。……言われてみれば…。
でも、吸血族は他にも知ってたので…。」
「……………。
そうでしたか。そうであれば、
もうほとんど意味のない事です。
確かめるなどと申しましたが、
解答の出ていることに、失礼致しました。」
「…?えっと…。」
「少なくとも雷の竜の君は、
吸血族を認め、評価していらっしゃる。
実際に御二方の近くに居ても何も仰らない。
………これ以上、聞くことはありません。」
「………。水の竜とは別でも、ですか?」
「……フロブラ殿は…、
最期は御自身に正直であられました。
水の竜信仰は、…"まがい物"だらけです。
……あの方が一番良く知っていたでしょう。」
「……敵では、…なかったんですか?」
「……………。
……水の竜の聖殿は、もう随分前から、
聖職者の信仰に応えることが出来ていない。
…そういうことです。……………。
フロブラ殿の時代には政治の道具でした。
……殊更に信仰を求められたということは、
ようやく正道を歩む悲願が叶ったのでは…。
最期の言葉を聞いて、…そう感じました。」
「でも…。」
「過去の遺恨は、過去のものです。
今の私はそれに左右されるような、
不幸な処にはありません。………。
………私としては、…元聖殿長の重ねた作為と、
先日の叛逆に対して、抵抗したつもりです。」
「………………。そうなんですね。
……なんか、…印象変わりました。」
「…?何の、ですか?」
「前も話が…、その、上手でしたけど、
……スッキリ……さらっと話すから…。」
「……………。
そうですね。…勝手ですが…、
やっと終わったのだと、思っています。」
勝手だ。…本当に勝手だ。
遺恨は過去のもの、なんて言えるのは、相手がもう居ないからだ。終わらせてから言われても説得力がない。恨みつらみのある相手が居なくなるまでは自分の心のモヤモヤは無くならないはずだ。それこそ悲願が叶ったから、スッキリしているようにしか思えない。
終わってしまえば、そりゃ本心だよね…。
最初からそうだったみたいに、
勝手に思い込んでいるから、
嘘をついている自覚が無いんだ…。
私と真逆だ。そんな人も居るんだな。
人を策略で葬る事すら、抵抗と言い張るのは、ちょっと違う。元聖殿長がどんな人だろうが、手段を選ばなかった事を胸を張って語られても困る。
……………。
ん?…待てよ……。
そもそも戦争になるとかならないとか、
そういう事態だったんだっけ?
やらなければ、とんでもないことになった……?
そういえばそうだった。ライトニングさんが阻止しようとした未来にまっしぐらだった可能性もあるのだ。
<讃える会>に事実上乗っ取られることも有り得るし、ミロスがそれを侵攻の足掛かりにすることも有り得る。ミズアドラスは存亡の危機だったのかもしれないのだ。何れにしてもライトニングさんの言う通り、カランゴールが許さないだろう。
……戦争するしかないことに……?
更によくよく考えると、ここは異世界。ユイマにとっても多くが未知の国。価値観や常識が同じとは限らない。
例えばこの状況は、日本の戦国時代の武将なら確かに胸を張るところだろう。まるで戦争だけど、この国では政治家や権力者はこれが当たり前ということも……有り得る。よく知らんけど。
もっと言うと……そういう文化圏…とか?
いや、だとしても人の命のやり取りが当たり前なのは私には受け入れられない。怖すぎる。吸血族の事もそうだけど、人として基本的な事は守られないと納得いかない人も大勢いるだろうし。ソレを変なやり方で抑え付けようとするから、信仰が道具になっちゃうんだろうし、いいことない。
しかしここは異世界……(以下略)。
………結論。私に判断出来る事では無い。
ラダさんとグラ家がどうなるのかは、裁判とか、民衆の判断とか、そういうもので決まるのだろうか。そもそもそこから知らないのだ。考える材料も無いから全く予想がつかない。お手上げだ。
「……ライトニングさん、…聞いてる?」
丸くなる生き物である雷の竜は、部屋に到着するなりバッグから一人で出て来たと思ったらフヨフヨと浮かんでベッドの隅っこにやはり丸くなった。まるで私が真ん中に転がるのを見越した様な位置取りだ。竜も私のことを、ベッドを見ると思い切り寝転がる生き物だと思っているみたいだ。
私の問いかけに返事する代わりに小さな竜は少し動いたようだが、私からは見えない。疲れ過ぎて天井以外見たくないからだ。気持ちも憂鬱で身体を起こす気にもなれない。
「水の竜に、会ったら、私、どうなるの?」
「私が決める事ではありません。」
「私は、私の意思で、帰れるの?」
「友人のことは友人が決めるものです。」
「じゃあ、すぐにでも帰れたんじゃん。」
「そうですね。」
本当かよ。そんな空気じゃなかっただろ。
そりゃユイマと私の一方的な思い込みかもしれなかったけどさ…。
「……水の竜を助けて欲しいんでしょ?」
「その通りです。」
「……………。ユイマは今も、竜が怖いのかな。」
「魔女は今も、私が怖いから従うのですか?」
「…………あ〜〜……。」
よく考えてみる。これはどちらの意志だろう。
ポケットの中にある魔石を握りしめて、試しに離してみた。
「ライトニングさん。」
とりあえず名前を呼んでみる。駄目だ。怖い。というか、恐れ多いという方が近い感情だ。もしかしたら頑張れば何とかなりそうな気がする。
「なんですか。」
「……私を助けてくれてありがとう。」
「助けた覚えはありません。
私は助けて貰うつもりでいます。」
「フロイレーヌさんと同じだよ、多分。
……上手く言えないけど……。
だから、……ありがとう。」
「そうですか。魔女と同じならば、
もう少しよく検討してみましょうか。」
?何を…?
限界だと思って魔石を握りしめた。試してみて良かった。初めて竜の能力が私個人の役に立ったのだ。私の性格では、この人に感謝を伝えることは出来なかっただろうから。