人影
雷光の大魔女は世界中の魔法使いが注視する存在で、領主家も歓待する賓客である。ファルー家が魔法の世界からは一歩引いていて、領主家の方からも情報に規制をかけているとしても、応対を子供に任せるのは思い切った事だ。誰かがやらなければならない時に、聖殿長の流れを排してしまうと人材不足になってしまったのだろうか。
…いや人材の層が薄すぎるだろ。
現代世界の平和な地域に有りがちな感覚で推測するならば、子供同士の交流会のノリだった事も有り得る。ウィノ少年は大魔女について同じ歳くらいの、ごく普通ののんびりした子供だとか、そんな報告をしたのだろう。実際私にはとてもじゃないが真っ当に歓迎を受けて会議になんか出席させられても何も出来ないのだ。逃げてもおかしくない。それも簡単に出来てしまうのだから、水の竜に会って欲しいミズアドラス側は割と考えたのではないかと思う。あくまでも推測だけれど。
なんでもない事のようだが、ファルー家は難しいところを任されたのだ。そして結果として歴史的快挙を成し遂げた。大魔女が何者かという原点を知らなければ聖なる竜と直接会話するなどという機会は生まれなかったかもしれないのだからウィノ少年の貢献は大きい。
…北と南って違うんだなぁ……。
"領主家が直々に動いているのに、大人が興味無いって、本当に?…大丈夫かファルー家。ひいては、ミズアドラス…。"と、ユイマなら考えただろうか。中身もしっかりした貴族令嬢であるユイマだったら、きっとファルー家の方も違う対応をしたはずだ。きちんとした根拠のある知識を持っているのだから、彼女なら発言にも自信があっただろう。
考える事が在るのは幸せな事で、知る事は幸せになる為には欠かせない、とても貴重で大切なことだ。解っていてもそうはなれない落ちこぼれは傍観者を気取っているのとは理由が違う。
本当にどうして私の父は私が幸せになる事を許さないのだろう。"三つ指ついて、御父様とでも呼べば可愛がってやらんでもないけどさぁ…。"なんて言ってしまえる嗜好品だとでも思っているのだろうか。あまり家族が気味の悪い人間だとは思いたくないが、こんな生かされ方をしている子女の方が男子に好まれると考えているフシもあり、大迷惑だ。人生を失ってまで男子ウケを狙う理由はない。嫁にいけない事を心配しているのだとしても、その前に台無しになった私の人生の、可能性を返して欲しい。
当然そんな事を言われても無理だろう。私も責めることはない。泣きたくても泣けない。後の祭りだ。本当にどうにもならない無責任とは、そういうものだ。
集中が途切れたせいで、どっと疲れて焦点の合わない目を遠く窓の外に向けていた私は、反対側からこちらを臨む窓の中に既視感のある影を見た。
…さっきの……。
誰だかは知らない。ここに来る前、庭園の奥に見付けた人影に似ていた。
ファルー家邸宅の建物は正面玄関から左右の二つの棟に分かれたコの字型になっている。反対側の棟には傾いてきた午後の太陽が逆光となって強く照り付けていた。部屋の中は暗く、微かに風に揺れるレースカーテンまでもがしっかりと影を創るせいで白っぽく映える素肌以外がほとんど見えない。
見られてる…?
奇妙な影だった。何がと言われると上手く表現出来ないが、どこかバランスが悪いような、カーテンとの対比か窓枠に対してか、何か変だ。
…そうだった。そういえば…。
妹さんかとも思ったけれど、そこまで小さいという感じではない。そう思っていたのだ。小柄ではない。しかし白く霞む顔は随分小さく感じる。
遠目でもうスタイルがいいのがわかるのか…。
良すぎてアンバランスにすら感じてしまうレベルなのだ。巨人族の人だろうか。もしかしたらトッド少年のような子供かもしれない。
「………。子供?」
真近くで声がして驚いた私の斜め後ろにナクタ少年が立っていた。大きな目を開いて私と同じ方向を見ている。いつの間に近くまで来ていたのか。全く気が付かなかったものだからバッグを持ったまま軽く立ち上がってしまった。
「あ、すみません。」
「や、いいけど、……ふぅ。
どうしたの?気になった?」
「…なんか前も見た気がして。」
「あ、うん。……そっか。」
椅子に座り直した私の背後に佇むトオノ隊員もしっかりと視線を送っていたが、異変とは判断しなかったらしく室内にいる警備隊員の様子を見渡していた。
いつも通りといえばそうなのだが、会合の終了が宣言されると、どこからか警備の人が湧いて出て来る。コレ本当に忍者みたいでちょっと怖い。真面目に考えると、多分イミテーションが施された秘密の出入口とか隠れ場所が何処かに在るのだと思うけれど、ユイマはともかく私はどうも慣れない。まさか姿を消す魔術がミズアドラスには存在するのだろうか。
「何か聞きたい事があるかって…、
俺から聞いて欲しいって言われたんですけど、
何かありますか?」
「え?いや、別にないけど…誰に?」
「ウィノです。
無いなら、そう伝えときます。
それと、ウィノの姉ちゃんが呼んでます。」
「あ、作品見せて貰えるのかな?」
「そうみたいです。」
喜んで見たがるようなものでは無いのか、ナクタ少年は淡白だが、私は貰ったバッグと背負い鞄のデザインが素敵だった事もあって期待している。品物を選んでいる時にチラリと聞いたところによると、本当に自分でイチから造っているという話だ。田舎に住んでいると芸術家なんて直接会う機会もそうそうない。知らない世界に触れられるのだから気分も上がるというものだ。
「…楽しみだな〜。」
思わず呟いた私を見て、珍しく溜め息をついたナクタ少年は、思い切ったように大きめの声で話しかけてきた。
「その革…、竜の皮ですよ。」
「え?」
手に持ったバッグに目をやり、少年の言葉が本当ならば、その中に極小の竜がいる事を考えると非常に残酷な状態である事に気付く。
「本当に!?」
「間違いないです。竜の中では弱くて、
数が多いから皮目当てで狩られる種類です。」
「あ、じゃあ、普通にこの辺では、
よく使われる素材、ってことなの?」
「や、貴重です。最高級の素材ですけど、
ライトニングさんを隠すなら他のが…、
俺なら他のを渡します。」
それはそうかもしれない。エリアナお姉さんは貴重な竜の革を好んで使う革製品作家だったようだ。最高級の素材だからと、あまり気にせずに渡してくれたのだとは思うが、少年にそう言われると確かにまずいことのような気がしてくる。
「…あの、ライトニングさん……知ってた?」
「私の同胞というわけではありません。
生物の皮である事は特に気になりませんよ。」
バッグの中にいても変わらない美声が響いてくる。この世界の生き物と同じでは無いと自ら話していたのだからライトニングさんは本当に気にしていないだろう。問題は私だ。