人を外見で判断する癖が、強制消滅させられる環境
先日、大学の恩師が定年退職されました。
それがきっかけで、大学に通ってた頃の事を思い出してたのですが、
(あそこ、変わった所だったよなー)
に尽きます。
大学は表向き、総合大学なのですが、ゴリゴリの理数系。
教師や学生が理数系なのはもちろん。
運営側も上は学長から下は事務員さんまで、恐らく、理数系の人間しか存在しないでしょう。
関係者皆が理数系なので、誰も理数系特有の独特な感性を隠そうとしない。
100周年記念よりも大々的に125周年記念を祝おうとしたりします。
125=5×5×5だから、100(=2×2×5×5)よりも125の方が奇麗な数字に見えるの。
これまでの人生で厄介扱いされがちだった、やけに正確さにこだわる癖や、妙に理屈っぽいところも、周りの皆も割とそうだから共感してもらえたり、授業で役に立ったりする。
プリンとゼリーと寒天の固まる理由をそれぞれ正確に言えないと怒る友人が居ましたが、あの大学では特に変人だとは思われてなかったと思います。怒りっぽいとは思ってましたけど。
そして、もう一つちょっと変わった所。
夜間部が存在しました。
通っていた人達と知り合う機会がありましたが、口をそろえて
「入試さえ受ければ、誰でも入れる」
と仰っていました。
8割位の人は、昼間の学生の大半と同じく、高校卒業後すぐに入学されています。
夜間部本来のターゲット、日中に働きながら夜は大学に通う、という人は2割弱位だと思います。
でもこの2割位の人のインパクトがスゴイ。
大学の選択授業は、学部の垣根を越えて、授業を受けられます。
初めて受ける授業で、適当に席を取りつつ、周りをキョロキョロします。
言っては悪いけど、くたびれた感じのスーツ姿のおっさんがいます。
(きっとあの人が先生だね)
授業開始時間が近づき、ユ〇クロファッションのお兄ちゃんが教卓に来て、授業で使うマイクの準備を始めました。
(あんな学級委員みたいな制度、大学にあったっけ?)
チャイムが鳴って、お兄ちゃんが徐にマイクに向かい
「では、時間になりましたので、授業を始めます」
!!!!!
(え?おっさんは?)
おっさんは授業を受けています。
教卓では、私が自分と同じく学生だと信じて疑っていなかったお兄ちゃんが、授業を続けています。
つまり、おっさんは学生で、ユ〇クロのお兄ちゃんが教師です。
驚きのあまり、授業が頭に入ってきません。
それでも何とかノートを取り、授業を受け終わりました。
この授業でその日は終わりだったので、サークルの部室に駆け込みます。
ちょうど仲の良い先輩方がいました。
先ほどの驚きを訴えます。
「ああ、それな。
良くある」
「え?」
別の先輩も同意します。
「そんなことで驚いてちゃ、うちの大学じゃ生きてけないぞ」
「マジっすか?」
マジでした。
理由は二つあります。
先ずは、夜間部の2割位の方。
ほとんどは、20代から30代の方です。
スーツ姿なので、この時点で先生っぽくは見えます。
その上でさらに、極少数派ですが、このような方がいらっしゃいます。
文系一筋人生六十年、定年退職まで勤め上げました
~第二の人生は、これまで縁の無かった理数系の大学への入学から始めようと思います~
ラノベのタイトル風にしてみました。
純粋にスゴイなと思います。
問題はそこじゃなくて、
そういう方は、初見では教師か学生か、区別がつかない。。。
むしろ、100%教師に見えるでしょう。
これで、驚きの現象の半分は理由が分かりました。
もう半分の理由。
やけに若い教師の存在ですね。
これもこの大学の事情によります。
卒業生を雇っているのです。
と言っても、大学卒業直後ではありません。
大学院を卒業した方を雇っています。
大学院は、大学を卒業してから入学する学校です。
前期2年、後期3年の合計5年かかります。
卒業すると博士の資格が取れます。
大学の先生は、博士です。
つまり、ストレートで卒業して、26、27歳で教師になる。
でもそれなら、19や20歳の人との区別はつきそうですね。
……抜け道があります。
大学院の前期2年までで修士の資格が取れます。
ここから、大学院にはもう通わず、博士論文を提出して博士になる事が出来ます。
提出が必要な論文の数が、大学院後期に通うよりも多く必要なので、博士を取れるまでの時間はもっとかかります。
大学側は、この博士論文に取り掛かっている途中の人を、教師として雇ったりします。
大学の授業を教える能力はちゃんとありますから。
もちろん教授じゃなくて、もっと下の講師とか、授業だけの委託とかですけどね。
一番若くて、23、24。
そして、こういう人達は、スーツを着ていません。
理由は色々ありますが、実験をしないといけないのが一番の理由ですかね。
これに、本人が童顔、とか加わると、学生と区別がつきません。
もちろん、高齢の学生も、若い教師も、どっちも少数派です。
でも、大学は、高校までと比べて母体数が圧倒的に大きい。
教師の数も、学生の数も比べ物にならない。
教師の顔は、あらかじめ研究室の紹介をあさったりして、100人位の顔を覚えれば、見分けがつくでしょう。
でも、学生はムリ。
同じキャンパスに、数千人から一万人の学生がいます。
おっさんなのに学生、という人は、数百人います。
大学生活はそれなりに忙しいので、毎年更新のかかる数百人のおっさん情報をコンプリートする暇などありません。
選択授業は全てではないですが、学年学部学科の垣根を越えて取れます。
そして、おっさん達は学習意欲が高いです。
つまり、新しく選択授業を取ると、結構な高確率で、
教室に、新しいおっさんが、供給されています。
まぁ、いつもって訳じゃありません。
やけに若い教師、どう見てもおっさんな学生。
このどっちかが教室に居て、人を外見で判断してエラーが起こる率は、私の体感ですと、
6割位ですかね~。
多 い よ。
5割超えたら、もう外見で判断しなくなります。
だって、判断基準として役に立たないから。
この大学では、他にも色々と常識だと思っていたことが吹っ飛ばされることがあります。
地上1mの高さに突然ついてるドアとか、5階建てなのに4階までしかないエレベーターとか、バニラ臭くなる必修の実験とか、バファ〇ンからサ〇ンパス作る実験とか、人も色々。
結果、こうなります。
どう見ても男性にしか見えない方に言われました。
「私、こう見えても、実は女なんですよ」
「そうなんですね」
金髪碧眼の、一滴もモンゴロイドの血をひいていなさそうな方に言われました。
「私、こう見えても、生まれつきの日本人なんですよ」
「そうなんですね」
どう見ても人間の方に言われました。
「私、こう見えても、人間じゃないんですよ」
「それは違います」
科学的にありうると思う範囲なら、取り敢えず相手の言うことは先ず受け入れる。
実際にこんな事がありました。
忘れてしまった部分があるので、正確ではないですが、
ぱっと見普通の日本人の方でした。
「私、実は日本人じゃないんです」
「そうなんですね」
「……普通、結構驚かれるんですけど」
「そうなんですか」
「……実は私、人間じゃないんです」
「何言ってるんですか?」
「そこは否定するんだ」
「私が、何でも肯定してると思いました?」
「そう。何言っても動揺しないなって」
「え゛?」
「あ、今動揺してる。でも、そこじゃないんだよな」
自分の常識的なものが、少しおかしくなっている自覚はあるので、そこを指摘されると動揺します。
「どんな風に過ごして来たら、そんな風になるんですか?」
上手く答えてあげられませんでした。
その人の事情を聞いても驚かなかった私の存在が、人生の救いになったとまで仰ってくれたのに。
今なら落ち着いて、こう答えられます。
「あの大学通ってたら、大概こうなりますよ」
読んで下さってありがとうございます。
一応、付け足しておきますね。
これはノンフィクションです。