【式典Ⅱ】
別にエルメシアはおかしなことを言っているわけではない。それにも関わらず黒を主とする色彩が揺らいだのは、絶対強者であるが故に孤高を好みそうな彼女の口から、群れるというある意味妥協的な単語が出るとは思わなかったためだ。
「仲間を頼ることは恥ではない。先ほどはああ言ったが、ここは敢えて言おう。六種族は己の種族こそが最強だということを示すために、人間族はこれまでの雪辱を晴らすために戦え。偉そうにふんぞり返っている六種族を蹴落とすための下剋上だ!」
エルメシアの戦いへの熱量に、在校生も新入生も関係なく誰もが恐れを抱いた。
まさに古の魔神の放つ混沌。抗うことの出来ない力の奔流に飲み込まれる。大講堂にいる生徒たちは、圧巻の一言に委縮する……が、目を離せないのもまた事実。哄笑の残響が響く中、彼女は右手を天井目掛けてゆっくりと持ち上げた。
「そして、そのための軍団だ!」
指を鳴らすと、一体どういう原理か忽然と彼女の背後に七人の人影が現れる。巨大な壇上を横切るようにして、その七人は等間隔で並んでいる。彼らこそが帝王と呼ばれている各々の種族を代表する存在だった。
新入生たちは、こんな演出などまるで予想していなかったに違いない。初めは呆気にとられるが、数秒もしないうちにその眼差しと態度に変化が訪れていく。彼らがこの学園に入学してくる理由には様々なものがあり──例えば幼少期から軍人に憧れていたり、親や家の事情など挙げ始めれば際限がない。しかし、そのほとんどに共通して言えること一つがあった。
「彼らはこの学園を運営している七名の生徒、帝王と呼ばれている者たちだ。そして、それぞれの種族の軍団を率いる王冠でもある」
エルメシアがこのタイミングで七人の帝王を呼び寄せた理由……それは共通思考である、帝王への憧憬の念を引き出すことによって新入生の心を揺さぶるためだ。現在、壇上に佇んでいる帝王たちは外見からして美男美女で、過去類を見ないほどの人気を誇っているのである。
「私としては不服だが、この学園では生徒間の私闘は禁じられている。もちろん、ここは軍人を育成する士官学校であり、訓練の中で同志と拳を交えることは出来るだろう。だが、それは戦とは呼べない。それ故に私がねじ込んだとあるシステム……そう。軍団に入れば合法的に他種族と戦争をすることが出来、勝利すれば権利の全てを奪える」
ここで事前学習の差が顕著に表れる。学園のシステムを理解している生徒は特段驚愕は見せないが、逆に言えばシステムを知らない新入生は理解が及んでいない。
「しかし、もしも君たちが軍団に入団した場合……そのうちの九十九%は死ぬ」
「「「「──っ」」」」
あっけらかんと告げるエルメシア。当たり前だが、生徒間では動揺が生まれた。
「人間族から天上族まで等しくな。自分は特別な存在だと驕っている者に忠告するが、今すぐその考えは改めることを推奨する。焼き殺される生徒、挽肉にされる生徒、四肢を切断された挙句首をもぎ取られる生徒など……慢心が原因で無惨に殺される生徒を私は嫌と言うほど見てきたからな」
その言葉はかなりの割合の六種族の生徒に当てはまるものだった。真正面から告げられれば当然心中穏やかというわけではないが、それを指摘できる存在はこの場にはいない。
「ああだが安心しろ。死んだからと言ってどうと言うことは無い。私を舐めるなよ? この学園にのみ存在するとあるシステムにより、君たちの生命は保証されている」
死ぬのに生命は保障されているのは矛盾しているが、今のエルメシアの言葉からして何かからくりがあるのだろう。まあその恩恵を受けるのは軍団に入団した生徒のみなので、それ以外の生徒には関係ない話となるが。
「軍団に入った以上それぞれの種族の帝王の庇護に入る。彼らは非常に優秀だ。そんな彼らの保護を受けることがが出来るのだから、様々な恩恵もある。それに帝王の役に立ちたいと思っている新入生も多いのではないかな?」
エルメシアが背後の七人を指し示すと上部から照明の焦点が定まり、七人の帝王にかかっていた影が取り払われた。この場に集まる数千を超える生徒たちは、己の種族の帝王を見て感嘆の一言を呟き始める。絶えずエルメシアの恐怖を味わっていたのも強い。帝王を見るその瞳には、非常に強い憧憬・歓喜・恋慕などの感情が押し込められていた。
「紹介しよう。我がシンエリューエンス学園が誇る帝王たちを」
エルメシアは不敵に嗤うと、一人ひとり帝王の紹介を開始した。
学園生徒会長も兼任している柔和な顔立ちの少年で、清廉潔白という言葉の似合いそうな天上族の帝王『白の帝王』シャリア=アストレア。
頭から禍々しい双角を生やし、褐色気味の肌色を持つ、どこか傲慢な態度が目立つ悪魔族の帝王──『紫の帝王』ゼイン=カラスヴァンド。
頭頂には光輪を浮かばせ、腰から生えている純白の双翼を折りたたむ、気品の滲む笑みを浮かべる天使族の帝王──『黄の帝王』セラ=クイーンライト。
いたずら小僧のように幼い笑みを浮かべているが、背丈は高く、身の至る所に筋肉を纏わせている竜人族の帝王──『赤の帝王』ロイダー=テリアズ。
金粉をまき散らしながら空中をふわふわと浮遊している、ピースをかたどるポーズを決めた小柄の可愛らしい妖精族の帝王──『金の帝王』ノンノ=レイン。
金髪に白い肌、そして何より長い耳が特徴的だ。不機嫌そうに眉を顰めながらも、しかし麗しい美貌を持つ耳長族の帝王──『緑の帝王』アリシア=イーグリア。
そして……非常に整った顔立ちをしている黒髪黒目の少年。その卓越した技量で膨大な数の人間族の生徒を束ねる人間族の帝王──『黒の帝王』一ノ瀬いのり。
「長ったらしい話になってしまったが、もちろん、軍団に入るも入らないも君たち次第だ。結局のところ、最後に選択するのはいつも自分自身だからな。しかし、入団するのとしないのでは卒業までの成長に大きく差が出るということは断言できる」
帝王の存在で緩んでいた気持ちだったが、エルメシアの一言によって活が入る。
未だにエルメシアに恐怖し、おののいている新入生がほとんどだ。しかし、これからのことについての覚悟と決心を抱いた者がちらほら出てき始めているのも事実であろう。
「何度でも言ってやろう。戦え、争うのだ、闘争本能をむき出しにしろ!」
幻覚ではない。大講堂が熱気に包まれ、エルメシアの背後で揺れ動く巨大な影が見えた。
「この私を楽しませてみろっ。さすれば多少のことには目を瞑ってやる。君たちは知っているはずだ、どんな生物でも奥底の本能には必ず闘争が根付いていることを! この学園に入学したからには、その本能を解き放つのだ! そして二年・三年の諸君。君たちの役割はそんな新入生を導き、才能を開花させることにある。是非とも頑張ってくれ、期待しているぞ」
エルメシアの咆哮は空気を震撼させ、生徒たちの体を見事に強張らせた。しかし、数秒もしないうちに彼女は柔らかな笑みを浮かべ、全身から放つ威圧の勢いを弱める。新入生の多くが目まぐるしく移り変わる状況に対応できず疲弊しきるのも無理あるまい。二年・三年の生徒は昨年以降の経験で半ば予想がついていたが、ただの式典でここまで疲弊することになるとは、と思っている新入生は少なくないはず。
エルメシアという絶対的強者への恐怖が、彼らの心身にこうして刻まれたのだった。
「さて、何か質問は?」
エルメシアは無差別に生徒を一瞥して尋ねるが、当たり前だがこの雰囲気の中で敢えて目立つような真似をする生徒は、残念ながらまだいなかった。
「そうか。ではこれで私の話は終了とする」
最後に機械的にそう述べて──続いてその場で指を鳴らすと、エルメシアの姿が忽然が消えた。今の事象も固有権能によるものなのだろうか……。帝王の登場の仕方と全く同じ現象に、新入生の多くは困惑の視線を互いに送る。
「あー、気にしないでください。学園長のあの態度は今に始まったことじゃありませんので。つまらない式典なんぞに興味はないんでしょう」
「ちょ、ちょっと工藤先生。生徒の前でつまらないとか言わないでくださいよ!」
「……だそうなので、今のなしで。すんません」
「謝んなくていいですよう!」
見るからに不健康な人間族の男性教員と、それを注意する耳長族の女性教員とのやり取りが張り詰めた緊張感を弛緩させる。マイクの残響が大講堂内に響き渡る中、エルメシアが来る前のざわめきが少しずつ戻り、所々で失笑も上がり始めた。
絶対強者が去っていったことに安堵感を覚える新入生を視界に収め、いのりは「相変わらず存在感の凄まじい女だ」という少しずれた考えを内心で抱く。
(……さて)
いのりが考えるのと同時に、工藤と呼ばれた男性教員が重そうに口を開いた。
「えー、正直やる意味が全く分かりませんが、次は生徒会長からの祝辞の言葉でーす」
「はい」
白髪を揺らし、シャリアが演台の前まで移動する。先ほどまでエルメシアが立っていた位置だが、いかにも人当たりがよさそうな彼が立てば、むしろ微笑ましい空気になる。第一印象からして天上族は嫌いでも、シャリア個人は嫌いではないという支持者が増えそうだ。
「只今ご紹介に預かりました、当学園生徒会長のシャリア=アストレアです。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。本日は──」
見事としか形容できない祝辞の言葉をシャリアは述べていく。
種族問わず生徒の目を引き付ける優美な振る舞いを見せるが……しかし、背後に佇むいのりといえば全くその言葉を聞いていなかった。彼にとっては何よりも重要なことがあるのだ。それは今日、こうして始業式典に参加している真の目的──。
(ふはっ……言質はとったぞ、エルメシア?)
いのりは込み上げてくるあざ笑いを強靭な表情筋で堪えようとするが、一瞬だけ表情を崩してしまう。コンマ一秒にも満たない刹那の時間、勝ち誇った笑みを浮かべるが……その視線はアリシアに向けられていた。