【絶対命令権】
百年前、突如として現れた異世界の六種族たち。
天上族、悪魔族、天使族、竜人族、妖精族、耳長族──彼らによって瞬く間に人間族は屈服させられた。彼らが持つ強大な力に恐れをなし、人類は総力を挙げて殲滅しようと戦争を引き起こしたが──一年を待たずして惨敗してしまったのだ。
その時より、彼ら上位種族に人間族は実質支配されている。この国立シンエリューエンス学園は日本で唯一の七種族混合教育機関であり、未来の職業軍人を養成する学園である。かみ砕いて言うと、天上族から人間族までが在籍している士官学校。そういう事情もあり、この学園に籍を置く数千人の生徒のうち、八割以上を男子生徒が占める形となっている。
「天蓋の六種族……奴らの暴挙はここ最近目に余る」
「六種族の生徒たちはさ、基本的に高潔な誇りと精神を持つと自ら豪語しているらしいけど、僕たち人間族からすれば笑える話だよね。だったら何故そんな立派な者たちが、裏では陰湿ないじめまがいの下劣な行為に手を染めているんでしょうか……ってさ」
周が言っているのは、人間族に対する不当な暴力についてである。
六種族が劣等種である人間族を見下しているのは割合的には決して少なくないのであり、そのような輩に限って人間族をストレス発散の道具として扱う。被害にあっている生徒が泣きついて報告してくる件数はここ最近爆発的に増加しており、それが周にとっては面白くないようだ。とはいえ、それを解決するには原因の大元を断ち切るしか他はない。
「奴らにとっては一応校則が邪魔なんだろうな。もちろん破ること自体は簡単だが、そんなことをすればあの学園長に目をつけられてしまうから」
「だから誰も見ていない裏でコソコソとやっているわけだね」
天蓋の六種族の生徒ですら恐れるほどに学園長の存在は恐ろしいものだ。それ故に抑止力的役割を果たしているはずだったのだが完璧とは言い難い。
「そもそも、奴らが天蓋の六種族たる所以は、俺たち人間族には行使することの出来ない力である固有刻印(オリジナル・スペル)を使うからだ」
「ええ。魂に刻まれている刻印を現実に持ってくる超常の力ですね」
「種族ごとにその種類は異なってくるけど、どれもが一騎当千の強力な能力だね」
「学園に通う六種族の生徒のそれは幼いが故に未熟なようですが」
「それでも人間族なんか一蹴できる。これが全盛期になって、もっと強力になると考えると確かに怖いよね」
体内の魔力を対価として、種族の象徴……己が魂に刻まれているイメージを現実に持ってくる天蓋の六種族だけが持つ絶技──それこそ、固有刻印だ。
「通常兵器では現実に呼び出された固有刻印を一撃で壊すことは不可能だ。近接武器はもちろん、アサルトライフルでさえまともに数百発命中させて、ようやくと言ったところだろう」
「本人の肉体強度は人間族と大差ありませんが、それでも凄まじい身体能力を誇っていますからね。固有刻印と組み合わせられれば、倒すのは至難の業です」
「ああ……だが、この〈聖母の弾丸〉ならばその常識を覆すことが出来る。固有刻印を前にしても、一撃で突破することが出来るだろうな」
固有刻印はいわば魔力で作られているから硬いのであって、その道理でいくと魔力と科学の組み合わせである〈聖母の弾丸〉の一撃ならば突破出来るはずだ。
「敵さんは〈聖母の弾丸〉の正体を知らない。つまり一度限りの切り札、ジョーカーとして扱えるというわけだ。突破口があるとすればそこだろうね」
周は考え込むように親指の爪を噛む。
「いのり様が勝つことは確定事項です。あとは簡単ですね。人間族の生徒を率いている黒の帝王であるいのり様が、学園長より与えられし至高特権である絶対命令権(アブソリュート・オーダー)を用いて六種族を支配するだけです」
朔夜はいのりへの敬意を内包させて言葉を告げる。
帝王というのはこの学園に存在する地位であり、各種族……否、軍団という疑似組織の王冠を務める七名の生徒のことを指す。帝王の選任方法は投票と言う一般的な方法であり、いのりはそのカリスマと話術を駆使して決選投票で帝王に選出された。
「なるほどね。するとつまり君は黒の軍団を使って、あの血生臭い戦争をしようとしているわけか」
「まず狙うのは耳長族だな。奴らの固有刻印は非常に強力だが、勝ち筋はある」
「随分と自信満々だね、足を掬われなきゃいいけど。……というか、そうか。君は学園長の固有権能が施された絶対命令権を抑止力にしようとしているわけね」
固有刻印……それは魂に刻まれた種族ごとの象徴を現実に持ってくる力だが、極稀に余りにも個としての自意識が強すぎる存在が生まれ来る場合があり、そういった者は大抵個人領域を展開することが出来る固有権能という世界でただ一つ限りの強力な権能を有している。六種族全体で見ても十人いるかいないかの非常に稀有な存在であり、例えば学園長はその中の一人であった。
「絶対命令権……帝王となった者だけに与えられる絶対特権。その能力は単純明快で、自身の軍団の生徒を対象とする命令……もとい支配権を得ることが出来る」
周が少し鋭い口調で言い、朔夜がたしなめる様に続ける。
「つまり、君に命令されてしまえば黒の軍団の隊員生徒たちは問答無用でその内容を遂行しなければならないということだ」
「何でもと言いますが、物理的に不可能なことは流石に無理ですよ。それに支配中の記憶を消去したり、人格を失わせたりすることも出来ません。意識自体は覚醒していますし、その後のことも加味すれば無暗に支配するのは得策ではありませんね。そう考えると少し使いにくい気もしますが……まあそれを考慮してもなお、非常に有用な力です」
媒体となるのは帝王の証である色つきの記章である。いのりの場合で言うと右胸部に付けられている黒色の記章だ。その記章には学園長の支配系統の固有権能が付与されており、帝王は自在にその力を用いる権利が与えられている。
この学園だけのオリジナルルールであり、いのりが最も欲したモノでもあった。
「普通ならそんな横暴な力に生徒たちは恐れをなし、誰も軍団になんか所属しないだろうけど、あいにくと君は行き過ぎとも思える求心力を持っている。だからその点に関しても心配はいらない……と」
「ああ。そのために、俺は頼れる一ノ瀬いのりを演じているんだからな」
いのりが周囲に響かない程度の小声で言い、朔夜は凛然と胸を張った。
「さすがはいのり様。全て計算づくめなのですね」
「計算ねぇ……ま、どうこう言うつもりはないけどさぁ。慕ってくれるみんなだけは裏切っちゃだめだよ?」
周が憂鬱そうに告げると、朔夜が興奮交じりに反応を返した。
「当たり前です! いのり様は人格者ですから、そんなことはしません」
「ぷぷっ、人格者ねぇ。真の人格者なら計算なんて物騒な単語が出てくるはずないじゃん(笑)」
「こ・ろ・し・ま・す・よ」
「ああ、嘘です嘘です。嘘だからその殺気を引っ込めてくれぇ!」
いのりの周囲を回る様に周は迫り来る朔夜から逃げ惑う──つられて少し気が緩んでしまったのだろう、いのりは無意識のうちに呟いていた。
「(分かっているさ。こんな最低な俺を──)」
それは自戒の言葉であり、ぼやけた音が周の耳朶を打った。
「ん……何か言ったかな?」
「いや、何でもない。とにかくそういうことだから、これから忙しくなるかもな」
「ふん。周なんか過労死する前提で使い果たしてやれば良いのです」
「えぇ……勘弁してよ。まだ死にたくないんだけどぉ」
懇願する周を見て、いのりは「ははは」と笑った。
「まあ個人的な判断でお前にはたくさん雑用を振るからな。精々感謝しろよ?」
「ええ⁉ 雑用って渋い……ていうか、個人的な判断?」
「ああ。これまで碌に実戦で使えない武器を、あまつさえ経費で作り続けた罰だ。何かしらの罰則を講じておかないとお前はいつまで経っても諦めないだろうしな」
周は思い付いた発明品を作成することが趣味であり、雑用なんか押し付けられた日にはその時間を確保することが出来ないと分かり苦い表情で抗議するが……いのりの正論に言いくるめられてしまい、上手く言葉を返すことが出来なかった。
「いやいや、何で僕だけ? 確かに僕が主導かもしれないけどさ、開研のみんなも乗り気だったからねっ? 連帯責任っていう言葉を知らないのかな君は」
自分だけ罰せられることに不満を覚えた周は、少し離れた開発研究チームの後輩たちを責め立てるような視線で見ながら、そう指摘したが。
「知らないのか。部下の不手際や不始末は上司が肩代わりするものだぞ?」
「……その理論で言うと、僕の不始末を君が担うってことにならないかな?」
「何を馬鹿な。責任転嫁など見苦しいですよ。というか、いのり様は絶対的存在です。至高たる存在にそのような真似……恥ずかしいとは思わないのですか?」
「そうだぞー」
「あれまあ……話が滅茶苦茶こじれているのは気のせいかな?」
「嘘「気のせいだ」だっ。ていうか「気のせいだ」理不尽「気のせいだ」……うるさいよ⁉」
いのりに朔夜が味方をし、周を軽く責め立てるいつも通りの構図。もちろん、責め立てると言っても軽口の類であり、そこには友情や敬愛などの感情が存在している。口には出さないがいのりはこの穏やかな時間が決して嫌いではなかった。
その後も微笑交じりに談笑していると、あっという間に時間が過ぎる。デバイスで時刻を確認すれば七時四十五分と表示されており、かなりの時間話し込んでしまったようだ。
「さて、そろそろお暇させてもらうとしよう」
「もうそんな時間か……そうだね、そろそろ出た方がいいよ。ていうか僕が眠い」
相当眠気が溜まっているのか「ふわぁ」とあくびを見せる周を前に、いのりは呆れたような視線を送った。
「また休みか。この前お前の出席日数の足りなさを先生が嘆いていたぞ」
「うへへへ、まあ僕は欲望に忠実だからさ。寝たいときに寝る、趣味に没頭したいときに没頭する、講義には行きたいときに行くって感じのスタンスで」
「いつ聞いても自由奔放で自堕落な性格ですね。呆れしか出てきません」
「いや、朔夜もいのりに関しては僕みたいなもんじゃないかな?」
いのりが左手で持っていたアタッシュケースを周に向かって放り投げる。周は目下のアタッシュケースに慌てふためきながら、「おっと」と接触ギリギリで持ち手の部分をつかみ取った。
「あっぶな。顔面がめり込むところだった……」
「それは残念。……返すよ、使い道なさそうだしな」
ラボラトリーから退出するためにいのりと朔夜は白床を踏んで進む。周の立つ少し背後に電動ドアがあるので、必然的に周の横脇を通ることになるのだが。
「じゃあ頼んだぞ、周。細かな連絡は追ってするから」
「りょーかい。……ま、僕の役割は相変わらず後方支援するだけだけどね」
「だが、お前がいてくれたからこそ俺たち黒の軍団は勝つことが出来る。頼りにしてるさ、まだ見ぬ二つの武器を含めてな」
周の肩に手を置きながら、いのりが彼の耳元で囁くようにそう告げた。
「分かってるよ。意地でも期限には間に合わせるから、期待しておいてくれ」
その言葉を聞き、どこか満足そうに「じゃあな」といういのり。すれ違う際に、何故か鬼の形相で朔夜が睨んできたが、周は表面上は平然を保った。
(え、何か僕朔夜の気に障ることしたかなぁ……嫉妬の睨みだったけど)
周はその理由をぼんやり考えたが、眠気のかかる頭が上手く働かなかったので、自室に戻って仮眠を取ろうと肩をぐるぐると回し──。
「国城先ぱーい。ちょっといいですか? 色々片付けてる中で気になったんですけど、この助燃性混合ガスについて少し聞きたいことが──」
「……はぁ。分かったよ、今行くから」
開発研究チームの後輩から声が掛かる。仮眠の前の一仕事だ。
「ん? どうしたんだ。やけに機嫌が悪そうだが」
「い、いえ……いのり様と周の距離がやけに近かったもので……少しばかり、羨ましいなと、思っただけです……」
「そうか? 自覚は無かったな」
周が指示を送っていると、出入り口付近のいのりと朔夜のやり取りが彼の耳朶を打つ。
なるほど、と朔夜の嫉妬と羨望の眼差しの意味を理解した周。もちろん、「そんなどうでも良いことで睨まないでほしい」という考えを持ったが、朔夜は怖いし今更言ったところで遅いので、周はため息交じりに作業を続け──そして、顔を上げてとある光景を視界に収めると、ピシリと石化したように固まった。
「いのりが〈聖母の弾丸〉で破壊した壁……まさか開研の経費から落とされるなんてことは無いよね…………ははっ、まさかね(青ざめ)」
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