【叛逆Ⅴ】
(どうすれば……。この場における正しい選択は……)
アリシアはギリと奥歯を噛み締め、いのりを本気で睨む。
(そういうこと……前座とか鍵ってのはそういう意味だったのね。少しでも耳長族の被害を多くして、私に降伏の決断を強制させるためのピースということ)
敵軍団を一人残らず殲滅でもしない限り、この戦争の勝利にはなり得ない。だが、今の状況下における話は別で、例え耳長族を殲滅出来ずとも一人でも多くの被害を出せると示すことがアリシアに降伏を決断させる強烈な一撃となり得る。
彼女が持つ犠牲を許容する覚悟は蘇生を念頭に置いたものであり、決して仮初を逸脱する現実の戦争に適用されるものではなかった。言い返せない屈辱に顔を歪め……だがアリシアは一つの結論にたどり着く。
「結局この場であんたを殺してしまえば、万事解決ってわけでしょ‼」
残り猶予こそ少ないが、戦線は未だに混乱状態にある。本格的な戦闘が再開されるまで僅かな時間があると踏んだアリシアは、耳長族に更なる死者が出る前にいのりを殺害しようと考えた。
全力全開の動きで至近距離まで近づき──。
高速で振り下ろされる手刀が、反応の遅れた少年の首を切断しようと迫る。
「させませんよ。黒刀剣技──八岐大蛇・破断」
依然として火だるまの木々の隙間を縫うように、湾曲した八つの斬撃が恐るべき速度で彼我を阻むようにして伸びる。「なっ」とアリシアが既の所で退いた。
アリシアは刀を振り上げた姿勢で佇む人影を発見する。
「朔夜ァ……ッ‼」
「いのり様の危機を察知して私参上。遅くなり申し訳ありません、少々手こずってしまいまして。それにしても……嗚呼、それほどの傷。お労しい」
そう告げるのは銀髪紅眼の見眼麗しい少女──言わずもがな朔夜だ。
「おいおい、言っただろう。俺に触れることすら叶わないと」
先程のその言葉は、朔夜が帰還することを念頭に置いて紡がれたのであった。
「さてどうだろうか。こうなった以上は八方塞がりだろう?」
「く……調子に乗ってっ。あんたなんか一対一で戦えば、瞬殺できるのに……‼」
「現実を見ろ。世間一般ではそういうのを負け犬の遠吠えと言うんだぞ?」
「いちいち煽るのがほんと上手いわねあんた……死ね!」
「おやおや。しかし、これが真実なんだよ。お前に逆転の余地はない。満身創痍の俺を殺そうにも朔夜が邪魔だろう。時間を掛ければその分だけ、お前の大事なお仲間が死んでいく。そうだな……見立てでは朔夜を潰して俺を殺すまでに、二十から三十程度の耳長族が冥府に送られているんじゃないか?」
いのりの挑発に対しアリシアは白い歯をむき出したが、事実迂闊には動けない。
敗北を対価に同志を救うか、犠牲を捧げて勝利を追い求めるか……アリシアという一人の少女としての意思と緑の帝王としての義務が内心で葛藤する。当然その間にも制限時間が刻々と迫っているのは重々承知していたが、それでもなおアリシアには果断に富んだ決断が出来ないのであった。
(どうすれば。私は……どうすればいいの)
取り繕うことが困難となり、アリシアの心は朽ちる様にして摩耗する。紅蓮の業火が木々を燃焼させる音が耳朶を打ち……高温の熱気が頬を撫でると同時に、焦燥と恐怖の大粒の汗が体中を滴った。
(さて……どう出るか。頼むから降参してくれよ、もしこいつが戦争を続行するとなれば、確実に負ける。これが正真正銘最後で、もう策は残されていないからな……)
不安と緊張の動悸を押し殺して、いのりは自暴自棄に笑い捨てる。状況的には優位に傾いていたが、相手が相手であるだけにいのりにも余裕は無かった。
「「…………」」
数十秒が経過したが、アリシアは非常に責任の伴う選択に答えを出せない。しかし、あと一個きっかけがあれば陥落するといのりは予想した。
故にいのりは「持ってきたな?」と朔夜に視線を送り、「やれ」と追加で命じた。
「かしこまりました」
炎火に包まれているはずだが、全然熱さを感じていない足取りで朔夜は歩く。
「後押ししてあげます。アリシア、これを見て貴方はどう思いますか?」
朔夜は空いている左手で何かを掴むと、その物体をアリシアの足元に放り投げた。
「……ああ」
土泥で汚れていたが、アリシアにはそれの正体を理解し口元を抑える。
「……あああぁぁ──」
ピクリとも動かず、地面に横たわっているソレは──遺体だった。アリシアが耳長族の中でも、飛びぬけて信頼を置いている緑の軍団の次席。聡明で頼りがいのある耳長族の少年──テュフォン=エイルの亡骸だったのだ。
胴体部分を深く斬られており、比較的綺麗な状態とはいえ絶命している。それを呆然と眺めること数秒……アリシアは何とか保っていた精神が一気に崩壊していくのを感じるが、絶望のあまりそれを止める手立てなど思いつかない。
「──てゅ……ふぉん──……」
とめどなく溢れてくる涙で顔を濡らし、全身が失意に震え出した。
「アリシア、貴方は考えたことがありますか? もし種族間対抗戦争の最中に輪廻結界が無くなったとして、それ以前に殺された者はどうなるのか」
「そんなの考えたこと──……──~~~~ッ‼ まさか……」
朔夜の問いかけに最初は反応を返すも、途中で核心に気づいた彼女は驚愕を示す。
(……そうだ、気づいたかアリシアよ。お前が優柔不断なのは知っているし、こうして決めあぐねるのは勝手だが、そこには時間制限が存在していることに)
輪廻結界の本質は不可逆を遡行する他にも、蘇生を成功させる前提条件としてある概念を捕捉しておくことにある。その概念と言うのは──魂。
(死した肉体からは魂が抜ける、そして魔力は魂に宿っているのだ。つまり魔力の特性が魂にも適用されるということで、空気に非常に溶けやすい性質を持つことになる。当たり前だが空気は律儀にその場に留まってはくれない……これが意味しているのは)
死者の魂情報を含有した魔力が現在この戦場には充満しているが、その魔力が流動する空気とともに輪廻結界の効果範囲外に流出してしまえば、結界を再起動させエルメシアが魔力を込めたとしても、蘇生が不可能な生徒は多出するのが道理だ。もちろん、その人数は結界外に出た魔力に比例するので、時間を掛けるほど増加する。いや……もしかしたら既に何人分かの魂情報は、結界の効果範囲外に抜けているかもしれない。
アリシアはその事実を理解すると、一層苦しく表情を作った。ただでさえ選択しがたい二者択一であるにも関わらず、早急に選択を迫られているのだから、当然であろう。
(だが……これはある意味一種の危険な賭けか。権能保持者のエルメシアに確認を取ったわけでもないし、自力で計算し推測出来るのはここまでだ。くそ……これでもし人間族にも被害が出たとなれば、俺は仲間殺しを犯したことになるな)
人間族の場合に関しては、可能な限り考えないようにしていた。
魂の存在自体は──魂に刻まれている種族固有の刻印を、現実世界に事象として具現化する──固有刻印があることで既に立証されており、論文も出されている。しかし、人間族は魔力を持たないので、死後に死者の魂がどこへ行くのかは未だに不明であった。形而上学の心理的探究問題であり、いのりにも見当がつかない。
もちろん、怖いと思う。もし戦争後に人間族の生徒が一人でも蘇生しなかった場合、この作戦を発案し実行したいのりが間接的に殺したも同然なのだから。
(ちい……現実で死者なんか出れば黒の軍団を維持出来ず崩壊するどころか、この作戦が全て明るみに出る。そうなれば全て終わりだからな──頼むぜ、アリシア)
いのりは不安に揺らぐ気持ちを押し殺し、まるで平然を装って耐え続けた。
「言わずとも自身のすべき行動を理解しただろう? さあ答えを聞こうか」
絶望の後に希望を見せる、単純な心理誘導だ。しかしアリシアは苦汁を舐めた表情を見せ、藁にも縋る思いで言葉を絞り出す。
「……本当にあんたは、こういうのは上手いわね……。逆に清々しいぐらいだわ……」
「お前にしてはしおらしいが、しかし結構。早くしてくれ、いい加減終わらせたい」
「……嫌な男。そんなの……決まっているじゃない」
ぽつりぽつりと弱く告げるアリシアだが、どうやら既に回答は決まっていた。
「最後に一つだけいいかしら」
「構わないぞ。今日より俺の支配下に収まるのだし、敵対者としての最後の言葉ぐらい」
「もしも同志の一人でも本当に死んでいたりしたら、絶対にあんたを殺す」
てっきり「死ね」とか「卑怯者」と罵倒されると予想していただけに、いのりは方向性の異なるその内容に少々面食らう。
「ああ、好きにすると良い」
いのりは「くくく」と不敵に笑い、気丈にそう告げた。
必死に口元を抑える少年に対しアリシアは不満を抱くが、感情を自制してゆっくり膝を曲げその場に屈む。優しい手つきで横たわるテュフォンの体を起こし、腕の中で抱擁した。
(ごめんなさい、みんな。誰もが痛い目に合って、必死に頑張ったのに……)
アリシアは双眸を閉じ下唇を噛み締め、内心で仲間に懺悔する。
今の彼女の心を埋め尽くしているのは、圧倒的な悔恨だ。緑の軍団は黒の軍団と比べて数こそ少数だが、戦力的には大いに勝ち越しているはずだった。しかし、実際問題緑の軍団は非常に追い詰められている。
(全ては導き手の帝王である私が情けないばっかりに。ようやく気付いたわ、私にあるのは力だけでこいつのような先導者たる資質は無い。帝王には、相応しくなかった)
この選択をした場合、他の耳長族からは白い目で見られ批判が殺到するだろう。裏切者とさえ罵られるかもしれないが……「その時はこいつにも頑張ってもらいましょうか。原因はこいつなんだし」とだけ考え、アリシアは最早吹っ切れた感じの乾いた笑みを浮かべた。
──種族間対抗戦争を終了させる、五文字が告げられる。
「……降参よ」
それは、今日までの歴史を大きく覆す一言。決して大きくない声量の呟きが鼓膜を震わし、朔夜は黒羽を握る手の握力を弱め──いのりは乱雑に前髪を持ち上げて、全身を小刻みに震えさせた。
「ふ、ははは……あははは──くはははははははははははははッ‼」
いのりは高揚を抑制できず、狂気的に高笑いをする。人間族が天蓋の六種族に敗北を認めさせるという過去百年遡っても前代未聞な偉業を成し遂げ、いのりは全てを忘れて脳内を達成感で溢れさせた。
その結末を『輪廻支配』で確認したエルメシア。玉座に腰を掛けていた彼女はその場で立ち上がり、観戦会場内に満ちる空気を支配し拡声器も無しに声を行き渡らせる。
「たった今、『緑の帝王』アリシア=イーグリアによる降伏宣言を確認した。それに伴い緑の軍団の敗北。種族間対抗戦争の勝利は黒の軍団とする!」
観戦会場の生徒たちは初めはぽかん……と唖然としている様子だった。しかし、数秒もするとポツポツと所々から声が上がり始め──更に数秒もしないうちに折り重なる大歓声が会場内を咆哮のように駆け巡る。
「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおッ‼」」」」」」
特に人間族の生徒の叫びが津波のように会場を震撼させ、狂乱を見せた。
「うおおおおおッ。わ、分かりません。一体何が起こったのか! しかし、エルメシア学園長により種族間対抗戦争の終了が宣言! 勝利したのは、なんと黒の軍団だ! い、いのりぜんば────い‼」
「うっそぉ……まさかねぇ。本当に勝っちゃったよ……」
司会役の柳は涙を流し、クラウンは信じられないと驚愕する。
「はははは……やっぱりいのりは凄いなぁ」
興奮している周囲の後輩たちに目もくれず、周は感慨深く呟いた。尊敬する男が人類史上初と言っても過言ではない叛逆を成功させたのだ、非常に近い存在である彼が思わず感動してしまうのも無理はない。
「ぎゃははははっ、あいつ本当にやりやがった‼ 雑魚なりに頑張って、あのアリシアに降伏を認めさせやがったぞ‼」
「凄いねー。驚いちゃった」
「ひひひ……初対面の時から思ってたがよォ、ありゃあ俺たち全員を喰らってやるという狂鬼の目をしてたぜ。さてぇ、次は誰を狙うつもりなのかねっ」
閲覧室で液晶パネルを見つめる帝王たち……その中でもゼインが下品に笑う。今回の戦争の勃発理由は表向きは耳長族への制裁だが、この場の全員がそれが建前の理由であることを見抜いていた。
──次に狙われるのは自分の軍団かもしれない。耳長族を打ち破った黒の軍団を警戒するものの、結局帝王は闘争を好む気質があり、誰もが残虐性を秘めた捕食者の瞳を見せる。
(いのり。はたして君に、僕を打ち倒すことが出来るかな?)
それはあの清廉潔白な生徒会長、シャリアも同様だった。
「くははははっ‼ やはり奴は私の期待通りの人間だなっ、こんな面白いものを見せてくれるとは! 素晴らしい……素晴らしいぞッ‼」
特別閲覧室。セルスメントが唖然とする横で、エルメシアが紅蓮の髪を振り回しながら嬌笑を浮かべていた。いのりの資質は疑っていないし勝利もある程度予想出来たが、やはり実際に己の目で見る結果は非常に甘美なものがある
「嗚呼……これから面白くなりそうだ」
随分と機嫌を良くしたエルメシアは、くつくつと笑い特別閲覧室を退出する。
前代未聞の結果で、黒の軍団と緑の軍団の種族間対抗戦争は終局を迎えた。
運命は動き出す。
まずは一歩──初の叛逆は達成された。




