【円卓会議Ⅲ】
「では、今年度の開放教室についての議論はここまでとしておきましょうか」
「おう、そうだな」
「ノンノもさんせー」
「そうだね。意見もまとまったことだし、次の議題に移るとしよう」
円卓会議と大仰な名前であるが、所詮は話し合いであり、そこまで長時間を拘束されるわけではない。二時間も経たずして九割がた終了する。とはいえ、精神的疲労を感じ始めていた帝王たちを見渡し、シャリアは「これが最後の議題だよ」と美しい所作で資料をめくった。
「えーと。これはいのり……黒の帝王から提起された題材だね」
「ああ、お前たちにも関係あることだ。資料の最終ページを見てくれ」
いのりは含みのある物言いで、この場の帝王全員に告げた。
(ここからどれだけやれるか。俺の手腕が試されるな)
帝王たちが資料をめくる姿を眺めながら、いのりは刹那の間に思考する。彼には、今日この円卓会議で何が何でもなさなければならない事柄が一つあった。
「んだこりゃ……『学園内における種族間での排他的攻撃について』だと?」
「ゼインの言う通り、何よこれ?」
ゼインが題材を読み上げ、続くようにアリシアが怪訝そうに眉を顰めた。
「ふむ……これは」
過去の円卓会議でも一度も提起されたことのない題材であり、シャリアもどう手を付けるべきか思案するように考え込む。また一部では理解すら追い付いていないようなので、タイミングを見計らうようにしていのりは堂々と口を開いた。
「要するに──お前たちの関与していない裏で、不当に暴力を振るう悪質な輩が増加しつつあるんだよ。もちろん加害者は天蓋の六種族、被害者は人間族の生徒だ。俺は帝王として同族の生徒を守る義務があるからな、流石に黙って傍観しているわけにはいかない。俺が今日この議題を持ってきたのは、お前たちと健全に話をしたいと思ったからだ」
いのりの言葉を聞き、朔夜以外の誰もが神妙な雰囲気を醸し出す。
この様子を見ている限り、同族が裏ではそんな陰湿な行為に手を染めている可能性があることを知らなかった、もしくは信じたくないのだろう。まあ当たり前だ、わざわざ龍の逆鱗を踏みに行く者などいない。
いのりが眼前の帝王を信頼している点の一つに、各々事情が異なるものの、自種族の誇りを汚す行為を心の底から嫌悪していることが挙げられた。
「この話題は俺たちの間では既に挙がっていた。時間が経つにつれ被害も加速度的に拡大しており、数多の声が集まっている。お前たちにも理解できるだろう? 帝王としても一個人としても、こんな腐った事実を見逃すわけにはいかない」
「「「「「「…………」」」」」」
いのりの話が真実という証拠はないが、ある程度は直感で分かるものだ。
「そして俺は先日、その現場を目撃した。酷い有り様だったよ、俺が入らなければ、取り返しのつかないことなっていただろう。対象の少年の名は伏せさせてもらうがな、ぼろ雑巾になるまで蹴られ殴られ痛めつけられたんだよ」
「それは……酷いね」
嘘だ、そんな事実はない。確かに怜は不当に暴力を振るわれたが、一応軽傷の範囲内で済んでいる。とはいえ、今の彼らにそれを知る由はないのだ。
僅かな寂寞の中、順調に事が進んでいることをいのりは確信した。とはいえ、狙っているのは初めから一人だけだ。対象の性格や思考を読み、ここで核心を突く一言を突き付ける。
「そう、アリシア……お前のところの耳長族にな」
「っ──‼」
アリシアは歯ぎしりを見せ、思わずその場で立ち上がって抗議した。
「嘘おっしゃいっ、そんなわけないわ。同胞がそんな下劣で恥まみれの行為に手を染めるはずがないっ、みんな耳長族であることに確固たる誇りを持っているもの! 虚言で私を惑わそうたってそうはいかないわよ!」
「おやおや、そうかい。だがな、何故お前はそこまで焦っている?」
アリシアの尋常でない焦燥具合をいのりは指摘する。信じたくないだけで、本心ではいのりの一言に同意しつつあるのが見え透けているだろう。強気な態度でこの悪い空気を崩そうとするアリシアに、いのりは「見苦しいな」と退屈そうな視線を送った。
「でもさー、証拠はあるの? 確かに口だけだと何とでも言えるよ?」
「ふむ。では、ある……と言ったら?」
ノンノの純粋な問いかけに、いのりは口角をゆっくりと吊り上げた。
「まあ証拠は一度置いておくとして。それを踏まえ、俺がお前に要求したい事が一つある」
「要求……? 一体何よ」
張り詰めた空気感に物おじせず、いのりは凛とした声で告げた。
「支配の盟約に基づき、『黒の帝王』一ノ瀬いのりの名において、『緑の帝王』アリシア=イーグリアに種族間対抗戦争(ウォーゲーム)を申し込む」
いのりのその一言に、帝王も付き人も誰もが驚愕を隠せないでいた。それはもちろん、アリシアも同様だ。
「ははははっ、マジかマジかよ。面白すぎるぜ、オマエ!」
「それは流石に無謀すぎねえか? 過去人間族が天蓋の六種族に種族間対抗戦争を挑んで、勝てた試しは無いぞ。支配の盟約に基づく……つまり敗北すれば敵軍団の傘下に加わるんだ、俺からすれば進んで敵の支配下に収まりに行っているようにしか見えんが」
ロイダーは客観的事実を述べる。確かにその通りだ、過去の種族間対抗戦争において人間族の白星はゼロ。しかし、その歴史の重みを前にしてもいのりは不敵に笑い続ける。
「甘いなロイダー。俺はそんな無能とは違う。つまり万が一にも敗北はあり得ない」
「あらあら……随分と傲慢ですわね」
「これは傲慢では無く──純然たる事実だ。そこを履き違えないでくれよ、セラ」
種族間対抗戦争──一言で言うと、軍団間で行われる戦争(殺し合い)のことだ。エルメシアの始業式典での言葉は、要するにこの制度に関してのことだった。勝利条件は敵軍団を全滅させるか、または敵軍団の帝王を殺害するか降伏させるかの三択に尽きる。
「それでアリシアよ、お前はどうするのだ?」
「馬鹿らしい……受けるわけがないじゃない。私たちが負けるなんてありえないけど、メリットが無いわ。人間族程度を支配したところで大した戦力にもならないもの。ふふふ、良かったわね、私が高潔な精神を持っているからこそ、貴方たちは見逃されるのよ。弱者をいたぶるのは強者として恥ずべきことなのでしょう?」
途端にアリシアが嘲笑を浮かべたのは、いのりへの意趣返しが含まれていた。
しかし、その通りだ。彼らが持つ価値観からして、人間族は劣等種である。まともに殺し合いを行えば、圧倒する結果に終わるのは火を見るよりも明らかだ。それは傍から見れば、強者が弱者を嬲る構図に繋がると言いたいのだろう。もちろん皮肉だ。
(くくくく。まさかここまで予想通りの反応をされるとはな……まあ良い、案の定アリシアは了承しないか。ならば、感情方面に揺さぶりをかけるだけだ)
いのりは息をつく暇もなくアリシアを挑発し始める。
「おやおや、まさか耳長族の帝王とあろうものが逃げるとはね。お前は偉そうに言ったが、突き付けられた挑戦状から逃避するほうが、よっぽど恥ずべき行為だろうに。ああ失敬……別に強要しているわけではないんだ。ただ単に誇りを主張する割には、逃げ腰だと思っただけで。しかし……そうか、つまり耳長族は腰抜け種族となるわけだな。誇り高く高貴な精神を持つと思っていただけに興ざめだよ」
「っ……好き勝手言ってくれるじゃないの、この人間風情がッ‼」
アリシアの逆鱗が逆なでされ、怒りの段階がうなぎ登りに上昇する。
「落ち着け、どこからどう見ても一ノ瀬いのりの挑発だ。散々言われて悔しいのは俺も同じだが、ここで君が怒りに支配されるのは相手の思うつぼだぞ」
「分かってるわ! でもっ……種族のことを馬鹿にされて黙ってられるはずがない!」
テュフォンは必死に宥めるが、頭に血が上ったアリシアには効果は薄い。しかし、一応理性は残っているのか、種族間対抗戦争を受けた時の軽微とはいえ自陣における被害を想像することができ、怒りに流されることは無かった。
「まあ分かってはいたことだがな。緑の軍団が臆病者の集まりだということぐらい」
いのりが奥の手として取り出したのは、スモールサイズの録音再生機器だった。
再生ボタンを押せば、一件の際のやり取りが流れる。あの時、さりげなく録音していた耳長族の二名との会話の記録音声だ。卑劣としか取れない会話を聞き終わり、アリシアは衝撃から呆然と立ち尽くす。事の顛末は編集で切られており、一層耳長族二名の悪行が際立っていた。
「この声色はゴルゴスとヤルジース……嘘、嘘よ。あんな良い子たちがこんな低劣な行為に手を染めるはずが無いわ! 何かの間違いよ!」
「くははは、これは……つまりあれか? お前の前では猫をかぶっていたことになるなあ。その程度も見抜けないとは緑の帝王も見る目がない。──とはいえ、理解しただろう? これが高潔で立派な誇りを持つ耳長族とやらの汚い本性だ。憐れみしか感じないね」
「ぐっ──つうううううぅ……‼」
録音再生機器が手荒く放り投げられ、アリシアの手前まで円卓上を滑った。
「それは記念に贈呈するよ。あとで本人に事実確認でもするといいんじゃないか?」
途端にアリシアの端正な顔が歪む。それがいのりには非常に気持ち良く、快感だった。遥か高みにいる絶対強者が墜ちていく姿を見るほど、愉悦に浸れることは無い。
このことに関して部外者である他の帝王は、皆同様に事の成り行きを沈黙で見守っている。
「さて、どうするアリシア? お前はどうやら同胞を信じたかったようだが、証拠がある以上認めるしかないだろう。初めから分かっていた俺からすれば、お前が必死に仲間を擁護しようとするその姿勢には馬鹿らしさを感じずにはいられなかったけどな」
「策士め……俺たちにも面子がある。名誉を守りたければ……つまりこの録音を公に晒されたくなければ、人間族との種族間対抗戦争を受け、お前たちに勝利する必要があるわけか」
「ああ。その通りだよ、テュフォン」
テュフォンが苦しい表情なのは、それだけ責任の伴う決断だからだ。録音データという証拠が無ければ、逃げることはまだ可能だった。しかし、こうなった以上それは悪手に繋がる。一ノ瀬いのりと言う少年が、敵に対して情けをかけるはずがないのだから。
(さあ受けろ。お前にはその選択肢しか残されていないはずだ)
今いのりは確実に耳長族を、もといアリシアを追い詰めている。この状況を作り出すことが出来たのは、一重に録音データによるものだ。この会心の一撃をくれたゴルゴスとヤルジースの馬鹿二人には、心の底からの感謝を感じている。
「アリシア、君が仲間を大事に思っているのは知っている。それに耳長族であることに誇りを抱いていることも。それを踏まえて、自身の心に正直になって決断してほしい」
「テュフォン……私がどんな決断をしても、貴方は受け入れてくれる?」
「当たり前だろう。我々は従うだけだ。それが君の選択ならば」
アリシアは「ありがと」と微笑み、真摯な表情でいのりに視線を送った。
「どうやら腹は決まったらしいな。お前の出した答えを聞こう」
「いいわ。私たち耳長族は、人間族との種族間対抗戦争を行うことをここに誓う」
そんなアリシアからは固い決意が感じられ、いのりは頬を吊り上げた。
「じゃあ、それで決まりだね!」
「そうだね、こうなった以上は部外者である僕たちに何かを言う権利はないよ。今は彼らの決定に黙って見守ることとしよう。それで良いね?」
シャリアが凛とした音色で問いかけると、帝王たちはそれぞれ肯定の反応を示す。
「日程は今日から一週間後、会場はこちらで手配しておく。時間などの詳細事項に関しては再度検討し、後程連絡しよう。どうだ?」
「一週間……そんなに短くていいの? いえ、こちらは構わないのだけれど……あんたの軍団は人数が多い分、物資の調達なんかの準備に膨大な時間が掛かるでしょう」
「心配は無用だ」
「……そ」
心中でアリシアの反応に満足し、いのりは「じゃあそういうことで」とだけ言って腰を持ち上げた。言うまでもなく、するべき話は終わったという態度の現われだ。
「あ……何だ、もう帰るのか。随分とサバサバした奴だな。もう少しは話さねえ?」
「これ以上用はない。朔夜、行くぞ」
いのりが淡々と椅子の背を掴むと同時に、朔夜は「かしこまりました」と恭しく一礼した。
「やってくれたわね……この変態」
「生憎と何を言っているのか分からないな。語彙はもっと細かく使うものだぞ?」
「白々しい。ていうか、うっさいわね。余計なお世話よ」
軽口を交わすも、そこにあるのは刺々しさのみであった。
「覚悟しなさい。あんた達ごとき敵じゃないのよ、ぶっ潰してやるわ」
「ならば俺は予言しよう。足手まといなお仲間のせいで、お前は敗北することになると」
「足手まといな仲間なのはどっちかしらね。雑魚が群れた程度で私たちには勝てないわよ?」
こうなった以上、アリシアは容赦しないだろう。獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くすというように、黒の軍団を潰すために全力で挑み、そして蹂躙するはずだ。当然一人ならば答えに逡巡していた可能性が高いが、幸いにもこの場には頼れるブレーンがおり、彼がアリシアこそが緑の軍団の総意と言ってくれたからこそ、果断に富んだ決断が出来たわけだ。
それだけ考え、いのりは冷めたように手を軽く振り、この場を去っていくのだった。