【制裁】
その後──いのりは十分ほど走り続け、目的の三人を発見する。
彼の席からは途中までしか追視が出来なかったが、いのりは学園内の地図をくまなく網羅しているし、第一に人目がつかないと言う条件があれば、位置を割り出すのは容易な事だった。
「なぁテメエ……雑魚のクセに一丁前に調子乗ってんじゃねえぞ!」
「ひっ、調子なんか乗ってないよ。僕はただ注意を……」
「それが調子乗ってるって言ってるのが分からないかなぁ。君たち人間族は六種族の……つまりこの僕とゴルゴスの奴隷なわけだよ。何で奴隷が主人に注意するのさ?」
「そ、そんな。僕は君たちの奴隷じゃないよ……」
脅しとしか形容できない、物騒なやり取りをいのりは察知した。
(やはりな。予想はできたが、やはりこういう展開になったか)
ここ最近激化しつつある、六種族から人間族への陰湿な排他的攻撃。予想するに、あの人間族の少年が耳長族の生徒二人に何らかの注意喚起を促した結果、目をつけられてしまったというところだろう。流石に表立って攻撃するわけにもいかず、こうして人気のないところまで連れて行き、暴力で鬱憤を晴らすわけだ。
確かに上手い。ここは敷地の中でもかなり西端であり、今は使用されていない旧校舎が存在している。地形を言い表すとすれば、手前を除く三方が旧校舎の壁で囲まれているため行き止まり。上部を見れば螺旋階段が無数に出っ張って邪魔をしているので、実質的な入口は一ルートだけだ。この現場を偶然発見されるということはまずありえないと言える。
「前々から嫌気がさしてたんだっ、何様のつもりだよ劣等種!」
「うぐっ!」
柄の悪そうな耳長族──ゴルゴスが荒い口調で少年を蹴飛ばす。
「そうそう。いちいち囀らないでよね、虫唾が走るんだよ」
鈍痛に悶える少年に対し、残る片割れのおかっぱ耳長族──ヤルジースが冷酷な眼差しで頬を蹴飛ばし、対象の少年は血痰を吐き出しながら地面を何度も転がった。苦しむ少年を見て悦に浸る耳長族に対し、いのりは耐え難い怒りを覚える。
(下種共が……! やはり狂っている。何が誇り高い天蓋の六種族だ。高潔な誇りを豪語する割には、結局は裏でこそこそと弱者をいたぶっているじゃないか……ッ)
少年の頭を踏みつけるヤルジースを、いのりは冷淡に睨みつけた。
(幸い敵は二人。この愚か者どもに、この俺を敵に回したことを後悔させてやる)
既に第一優先目標は達成している。いのりは制服の内側を漁り何かを弄り終わると、今度は〈聖母の弾丸〉を取り出した。片手で照準を定めて一歩を踏み出す。
「そこまでにしてもらおうか。下種共」
「「──っ⁉」
少年の頭に乱暴に手を掛けていた耳長族二名だったが、いのりの気配を察知して両名共に驚愕から目を見開いた。とはいえ、誰にも見つからない確信があったうえに、乱入者の正体が『黒の帝王』一ノ瀬いのりと言うのだから、仕方ないと言えばそれまでだろう。
「黒の帝王……一ノ瀬いのり。何でテメエがここに……」
「お前たちのような馬鹿の短絡的な行動などお見通しだ。ああそれと、その汚らしい声で俺の名前を口にしないでくれないか。嫌悪感でどうにかなってしまいそうだよ」
いのりは〈聖母の弾丸〉を構えたまま、二人に侮蔑の視線を投げかけた。これまでそういった類の視線を送ることはあっても送られたことはなかったのか、両者ともに引きつった表情を見せ、「テメエ……」と鋭い視線で睨みつける。
「いのり先輩……っつ、どうしてここに」
「後輩を守るのは先輩の役目だ」
「っ、早く逃げてください! 悔しいですけどっ、彼らはとても強いです! 僕を助ければいのり先輩が次の標的にされちゃいますよ!」
少年の瞳には、深い感謝の気持ちと並列して焦燥や不安が存在していた。だが、いのりが言葉を返そうとするのを遮るようにして、耳長族両名が口を開く。数秒前の激怒の表情を一変させ、にたにたと下卑た笑みを張り付けながら。品が無いとはこのことだ。
「おう、まるでヒーローじゃないの。かっこいいねぇ……まあでも今更逃げたところでもう遅いぜ? お前は俺たち二人に喧嘩を売ったんだ。この場でぶっ殺してやらあ」
「そうそう。黒の帝王は聡明だと聞いていたけど、まあ確かに僕たち上位種族二人相手にその強かさは称賛するけどさぁ……もう少し後先考えて行動すべきでしょ」
その態度からは余裕綽々といった、絶対的な自負と自信に満ちた様子が窺える。いのりはその強気で傲慢な態度を見て、「ふっ」と鼻で笑う。
「ははは、粋がるなよ。というか、そこのおかっぱ耳長族。後先考えて行動だと? 馬鹿かお前。俺が勝算も無く現れるとでも? もしそうなら随分とおめでたい脳みそだと称賛してやるぞ。勝算だけにな」
その煽り(冗談)は耳長族のツボを刺激したらしい。二名は盛大に吹き出して腹を抱える。
「ひゃひゃひゃ、真正の馬鹿かテメエ‼ 帝王と言っても人間ごときがっ、俺たちに勝てるとでも⁉ いくら何でも楽観的過ぎるぜ。余裕かましてんじゃねえよ!」
続いて、眼鏡を弄りながらヤルジースが冷ややかに告げた。
「何故こんな奴をアリシア様は警戒しているのか……。なるほど、分かったよ。そこまで言うなら彼我の絶対的な力の差を見せてあげるよ!」
興奮とともに彼らが吼えると、この場の魔力が奔流となって可視化する。
ゴゴゴゴゴゴ……と言う振動とともに、彼らの背後の旧校舎の壁から十本ほどの巨大な樹木の幹が生える。それはまるで鞭のようにしなり、すさまじい速度で周囲を駆け巡った。
耳長族が誇る固有刻印──『樹海降誕)』。
魔力を原料に強靭な樹木を変幻自在に生成する。単純明快であるが故に攻守ともに応用の利く大変強力な刻印であり、現にかつて人間族を圧倒した。断言できる、この樹木の一つでもまともに食らってしまったら最後、即死は免れないだろう。
「なるほどな……この迫力。確かに大口を叩くだけのことはある」
「ふふふ、だから今更怖気づいたってもう遅いんだよ。その綺麗な顔をぐちゃぐちゃに歪ませて……泣きわめくまで痛めつけて、そしてアリシア様に差し出してやる」
「ふん、相変わらずその傲慢さと堕落は典型的な馬鹿としか言いようがないな」
表面上は戯言と気に留めていないように見えるが、きっと内心では荒れ狂う怒りを覚えているはず。いのりは眼前の耳長族を見てそう判断した。彼のすまし顔が気に入らないのか、追加で濃密な殺気が周囲を包み──後輩の少年は顔面を蒼白に染めて後ずさる。無理もない、これほどの殺気だ。だが、いのりの表情に関しては微動だに動かすことも叶わなかった。
「固有刻印まで使用するとはな。これ以上やれば取り返しがつかなくなるぞ?」
「だから止めろって? そのままそっくり返すぜ、馬鹿かお前。こういうのはばれなきゃ問題ねえんだよ。この場でテメエをぶっ殺すことに変わりはねえ」
「仮にも帝王の俺をか? それこそ隠蔽など不可能だと思うが」
「口の減らない奴だね、僕らの言っている意味が分からないのかな? 死人に口なし。ここで君らを殺してしまえば、誰がやったかなんてわからないだろう⁉」
「こ、殺すって……本気で言っているのかい⁉ 僕といのり先輩を……」
「当たり前だろ。僕は人間族が大嫌いなんだ。特に一ノ瀬いのり、君のように愛想ぶって楽観している奴が、僕は異様にムカつくんだよ!」
血管を浮き彫りにして怒鳴るヤルジースだが、その様子を一瞥したいのりはなおも笑う。
「そう、その通りだ」
「……あ?」
「ばれなければ問題はない。至極真っ当な意見と言える。ならば……ここで俺が貴様らを殺しても、ばれなければ問題はあるまい?」
ヤルジースは長い耳を不快そうに震わせ、耳長種特有の金髪を弄った。
「だーかーらーさあ、何でわかんないかなあ‼ 人間では僕たちには勝てないんだって‼」
「──弱い犬ほどよく吠える」
「「……は?」」
ぼそりと呟けば、両名共にここ一番の怒りを露わにした。余りに予想通りの反応を返してくれるので、いのりはほくそ笑んで更に挑発を重ねる。
「どうした上位種族。やけに過敏に反応したが……おやおや、まさか図星か? しかしそうだな。振り返れば先ほどから動かすのは口ばかり。ははは、であるのならば、僕たちは犬畜生にも劣るほどの憶病者ですと言って俺に媚びてみろ。気が変わらないうちにな」
よくこの状況で口が回るものだ。その上それはいのりにも当てはまることである。しかし激昂し周囲が見えなくなった状態では、それすらも気づかないらしい。
「人間の分際でっ、僕たちのことをここまでコケにするかっ!」
「殺す、殺す、殺すぅっ‼ テメエは何が何でもここで殺してやるッ!」
野生動物のように双眸を細め、背後の樹木を一斉に操作する。圧倒的な数を以ていのりを殺害しようという魂胆だろうが──彼らは〈聖母の弾丸〉の存在を知らない。なまじ銃撃など意にも介さない能力があるだけに油断しているのだ。その余裕が……命取りとなる。
「馬鹿め。その慢心がお前たちの敗因だ」
いのりはコンマ一秒で情報を入力し終え、〈聖母の弾丸〉の引き金を引く。音速を超えて射出されるのは半圧縮した魔力が融合した空気弾。五感の中でも特に視覚に頼り切っていた彼らは、不可視の弾丸を捉えることが叶わず──ヤルジースの腹部に空気弾がめり込んだ。
「ぎゃあああああああっ⁉」
着弾部位を中心に全身に広がる裂傷だが、幸いにも命の危機は無い。もちろん、無事と言うわけではないが。ヤルジースは流血を空中に散乱させながら、強烈な衝撃が原因で後方へと吹き飛ばされる。体中を土泥で汚し、しばらく地面を弾んでから停止した。
「……は?」
白目をむいて倒れ伏す同胞を呆然と見て、ゴルゴスは喉がはち切れそうなほどに叫んだ。
「テ、テメエエエエエエエッ‼ 何しやがったぁッ‼」
更に増加──合計十数の樹木が緩急を描きながらいのりを狙うが、頭に血が上っているのか攻撃の軌道は非常に単調だ。僅かなフェイントも取り入れず、真正面から迫る鋭い樹木──だがいくら攻撃力があろうと、このような単純な攻撃ならば対処できる。
「愚か者め。脳筋ほどやりやすい相手はいないということを知らないのか?」
いのりは手首の動きだけで〈聖母の弾丸〉を動かす。それと並行して情報羅列計算式を脳内に展開し、〈聖母の弾丸〉の仕法を変化させた。これまでは空気を一点に圧縮させることで点の攻撃を実現させていたが、今度は圧縮させた空気を六個に分離させ、それを薄く引き伸ばすことで不可視の特性はそのままに広域拡散化させた面の防御を作り出す。
極小の六つの穴から指向性を持った空気の奔流が放出され、それはまるで円を描く形でいのりの前に展開された。十数の鋭利な先端と空気の防御が拮抗したのは一秒程度で、一秒が経過した途端ゴルゴスの操作する樹木の樹皮から芯まで亀裂が走り破壊される。
「ば、馬鹿な……俺の固有刻印がそんな小さな武器に──」
呆然状態となるゴルゴス。いのりはその隙を逃さず、素早く〈聖母の弾丸〉を四連射し、相対する耳長族の四肢の筋肉繊維を捩じ切り、骨を粉々に粉砕した。
「うぎゃああああああっ、痛え、痛えええええッ‼」
いのりは耳障りな悲鳴を上げながら激痛に地面を転げまわるゴルゴスを冷めた瞳で収め、最終的に彼が顔面を歪めながらもうつ伏せの姿勢に落ち着い時には、彼は〈聖母の弾丸〉を頭部を狙う形で構えていた。
「ま、待て──」
「黙れよ、これが報いだ」
ゴルゴスがおどけた視線をいのりに送るが、いのりは少しも逡巡せず〈聖母の弾丸〉の引き金を引き、空気弾を後頭部に命中させた。ゴルゴスは泡を吹くと同時に白目を向き、意識を闇の中へと落とす。これでしばらくは目覚めないだろう。
空気弾が着弾した衝撃で脳が揺さぶられ、脳震盪が引き起こされたのだ。もちろん、殺そうと思えば殺せたが、今の一撃、いのりは敢えて威力を抑えていた。
(こいつらはアリシアを引きずり出すための変えの利かない駒……正確に言えば証人だからな。ここで殺してしまえば、俺が苦労した意味もなくなる)
それに理論だけだった〈聖母の弾丸〉が、実際に天蓋の六種族に通用することが分かっただけでも収穫は大きい。もちろん、油断を突く形での半ば奇襲だったが、それでも結果的に見れば満足の一言に尽きたのだ──殺さないのはそのお礼とでも言うべきなのだろう。
「これぞ本当の返り討ち……と言うやつだな。いや、因果応報のほうが正しいか」
そんなどうでも良い呟きは、彼の頬を撫でた微風の中に溶けて消えていった。