【傲慢】
「魔力変換機構が作られたことで、旧時代の発電所やガスタンクは廃れて一新された。まあそりゃあそうだわな。直接エネルギーに変換できるんだから、コスト面でも環境面でもコスパがいいんだし。俺たちがこうして使っている電気も突き詰めれば魔力だ。んで、龍脈暴走は除去されなかった古い水道管、送電線とかガス管内部なんかで非常に起きやすい」
魔力を原料としての送電や送水が可能となり、旧時代に使われていた配管の大部分は除去されているが、数が数だけに到底完璧とはいかず、少なくない頻度で今でも被害は引き起こされている。全ての配管を一新するのは物理的に不可能なのだ。
「龍脈はいわば魔力の塊だからな、あらゆる属性に変化する。四元素を初めとして、マニアックなところで行けば爆裂・氷結・深淵とかな。とりあえず、そんな属性を孕んだ魔力の奔流が地表に噴き出て被害を与える。こんなとこだな。あー、めんどくせぇ」
「……工藤せんせー、今日は特段やる気ないですね。もしかしてまた失恋ですか?」
「うるせ。余計なお世話だ」
いのりが今履修している講義は、魔力学という特殊な分野の学問だった。
この変貌した世界で軍人になるのならば必須な座学なのだが……いや別にいのりは軍人になるつもりなど毛頭ないので不必要と思われるかもしれないが、それは違う。赤点を取れば恥となるし、何より彼個人が六種族に勝るものといえば知識ぐらいしか存在しないだろう。とはいえ、今日に限ってはどうにも集中できず萎えの気持ちを味わっているが。
(まあそうだよな。この程度で気分を一新できるほど俺は器用じゃない)
無意識にペンを持つ手の力を緩め、手の中でくるくるとペンを回してみる。
この学園の座学の水準はかなり高めだが、いのりは全ての範囲を予習済みだ。こうして集中が散漫としていたとしても特段危機感を募らせるということはなかった。
「おうおう、随分と余裕じゃねえか」
いのりの前方で姿勢を崩していた、金髪で軽薄そうな男子生徒が振り向いた。
「そう見えるか。いやまあ実際余裕だしな」
「おぉさすがは黒の帝王様。俺なんか所々何言ってんのか理解すら出来んぞ」
「馬鹿をひけらかすなよ。ぶっ殺すぞ」
「相変わらず口悪いよな……。いやまあ取り繕う必要が無いぐらい友情関係が築けているのは素直に嬉しいことだけどよ」
そう小声でやり取りをする相手の名前は赤坂誠也。周や朔夜ほどではないが、かなり親密な部類の友人……否、いのりは認めないだろうが悪友と言えた。
「そういうあなたこそ相変わらず気持ち悪い。空気が汚れるから喋らないでよ」
「お前も相変わらずの毒舌っぷりだなぁ」
今度はいのりの隣から女性特有の高い声色で、しかし厳しい内容を孕む毒舌が聞こえる。いのりが視線を送ると、茶髪を払いながら不機嫌そうに誠也を睨んでいる女子生徒がいた。
紬坂若葉、彼女の名前だ。誠也と同様に、いのりとはかなり仲が良い部類の友人であるのだが、しかし誠也と若葉は犬猿の仲と言っても良いほどに仲が悪かった。いや正確に言い表すと、若葉が誠也のことを敵視しているという一方通行であるか。
「おーい、講義中だぞ。おしゃべりしたい気持ちはわかるが、講義はちゃんと聞いてくれないと悲しくなる……ついでに泣くぞ俺が。特に赤坂」
「え、俺だけですか?」
「お前は成績が洒落にならないぐらい壊滅的だし。このままじゃ、楽しい楽しいスパルタ補修が待ってるぞ~♪ あ、プライバシーがどうとか言うなよ。知らんから」
「それはいくら何でも酷いですよ!」
「すまんすまん。先生今日で十五連勤目でな、そろそろ過労で倒れそうだしストレス溜まってんだわ。ついうっかりお前をストレスのはけ口にしちまった……あのクソ学園長め(ボソッ)」
「別にいいですけど……ていうか今さらっと怖いこと言いましたね⁉」
さらっとエルメシアを貶した工藤に、生徒たちはぎょっとした視線を投げかける。工藤が後頭部を掻きながら、苦笑気味に「空耳だろ」と言い逃れし、この場が失笑で和んだ。いのりも釣られるように一瞬だけ苦笑いを浮かべたが、結局気難しい顔つきへと戻る。
神妙な雰囲気で外を眺めることしばらく。確実性は無いが何個か策を思いつき、賭けに出ようかと本気で悩んでいた彼のもとへ不意に訪れた転機。
「……ん?」
少し距離が離れているものの、耳長族の生徒二名が涙ぐむ人間族の生徒の肩を強引に引いている光景を目撃したのだ。会話内容は定かではないが不審過ぎると思ったのもつかの間、移動していた三名姿が障害物に阻まれて、それ以上の追視が不可能となった。
(あれは……なるほどな。これは使えるぞ)
しかし、そこからの思考は素早い。それを認識するや否や、すぐさま考え付く状況と結果を脳内で計算する。数秒もせずいのりは確信を秘めた笑みを浮かべ、それと同時に行動を開始すべくその場で派手に立ち上がった。しかし、講義の最中にそんな行動をとれば目立つわけで、周囲の生徒は一体何事かと言わんばかりに困惑の視線を送る。
「ど、どうしたんだ一ノ瀬?」
「すいません。今日は早退します。体調不良ってことで処理しておいてください」
「……は?」
唐突に告げられて工藤は柄にもなく素っ頓狂な声を捻り出すが、いのりはそれを意に介さず教室を走り抜けて廊下へと出る。非情に機敏に動いているし、今の彼の表情は喜々としたものだった。その様子はまるで体調不良に見えず、工藤を含むほとんどの人間がぽかんとし──唖然とした空気が漂う中、誠也と若葉のみが口元を抑えて微笑みを浮かべていた。